第34話 ブルーハーツ


 飛んでいるのに、落ちているかと思った。


 僕がその世界に来た、最初の感想はそれだった。

 黒い穴に飛び込んだ瞬間、視界が一瞬真っ白になったと思うと、気が付いたら青い海に吸い寄せられるように落ちていたのだ。

 何を言ってるか分からないと思うが、僕の体験した事を率直に言葉に表すとそうなるのだからしょうがない。

 僕達は慌てて空中で態勢を整えると、ゆっくりと青い海に降り立つ。


 ……ここは、さっきまで僕達がいた黒海じゃないのか?


 僕がふと空を見上げると、そこにはもう僕達が入ってきたはずの穴は存在せず、まるで星が消えた夜空のような真っ暗な空が一面に広がっているだけだった。


「あれは、黒海……? なるほど、天地が鏡になっているのか。また、ややこしい世界を創ったね」

「しょうがないだろう。何が鏡になるのかは、私にも分からんのだ」


 その時、突然アリスさんの声が聞こえてきた。

 僕達は、同時にバッと声の方向を向く。

 すると、そこには……。


「アリス、その腕……」

「うん? ああ、これか。そういえば、痛覚がないからすっかり忘れていたが片腕が無いのだったな」


 目元に深いくまを刻み込み、死人のように真っ白な肌をした本当の姿のアリスさんが、血の代わりとでも言うように大量の黒い霧を千切れた片腕から垂れ流していた。


「もう、色彩魔法すら維持出来てないじゃんか……辛いだろうに、何で諦めないの? しつこい女は嫌われるよ?」

「貴様にだけは言われたくないな。私は一度、完全にお前らブラックハーツを沈めたはずだが、何を平然とした顔で戻ってきている。大人しく死んでいろ」

「残念、私達の旅は終わらないよ。天海に行くまではね。アリスも来る?」

「馬鹿が、付き合っていられるか。天海でも地獄でも何でもいいから、もうさっさと何処かへと消えてくれ。私は疲れた」

「うーん。どちらかと言えば、それは日々の業務が原因じゃないかな?」

「……悲しい事に、否定し切れんな」


 嘆くように首を振りながら、アリスさんは溜息を吐く。


「……アリス、私の仲間になりなよ」

「断る」

「私は真面目だよ。このまま海軍にいても教会が掛けた封印魔法を解いてしまったアリスは、今度こそ光海教会に殺される。それは、自分でも分かっているんでしょ?」

「……例え、そうだとしても、私は海賊になどならない。海賊に殺された父と母に誓って、絶対に」

「……分かったよ。でも、私はいつか言ったよね。私達は、とても良く似ている。それこそ、鏡合わせみたいに。貴女がキラキラとした朝の海なら、私は全てを黒く染める夜の海だって……でも、結局その二つは見せているモノが違うだけの同じ海なの。だから、私には分かっちゃうんだよね。アリスが、本当は凄く我慢しながら生きているって」

「……」

「貴女には、私と同じように死んでも叶えたい願いがあるはずだよ。世界平和とか関係ない。貴女だけの望みが」

「……さてな。果たして、そんなものがあったのか。それすらもう覚えていない。ただ、私の役割はハッキリと分かる。私が死ぬ前に、世界滅亡の種を排除する事だ」


 アリスさんは、僕を見る。


「天条蒼。自覚は無いかも知れないが、貴様は放置しておくにはあまりに危険だ。九割以上が海で出来ているこの世界において、海の支配者スキルなど存在して良いはずがない。使い方を間違えれば、簡単に世界を破壊してしまうだろう。この私の魔法と同じようにな」

「……それが、アリスさんが僕を狙う理由ですか?」

「そうだ……私の事を恨んでくれて構わない。貴様には、何の罪も無いのだからな」

「本当ですよ。狙うなら、どう考えてもディアの方でしょ」

「あれ、そういう問題なのかな?」

「まあ、確かにそいつを殺せれば一番なのだがな。どうだ、私に協力するならお前は見逃してやってもいいぞ」

「二人でディアを倒すんですね。分かりました。二対一でボコボコにしましょう」

「いやいや、おかしいよね⁉ 私との共闘は散々渋るくせに、何でアリスとは簡単に手を組むのさ!」


 ディアが本気で警戒したように身構えるが……流石に、この状況でディアを裏切る事はしない。


「はぁ……冗談に決まってるじゃないか、お姉ちゃん。何でそんな身構えてるのさ」

「いや、何でだろう……何故か、驚くほど冗談に聞こえなかったんだよね」

「ソンナマサカ」

「棒読み⁉」

「……お姉ちゃんだと?」

「ああ、いや、僕とディアは——」

「家族でーすっ!」


 僕が事情を説明しようとすると、ディアが遮るようにそう叫ぶ。

 おい、誤解じゃないけど誤解が生まれるだろ。


「……そうか。ますます、貴様を逃がす訳にはいかなくなったな」

「おい、状況が悪化したぞ」

「いやー、あんまり変わってないんじゃないかな?」

「馬鹿言うなよ。もう少しで、アリスさんと協力出来たのに」

「でも、それ狙われる対象私だったよね⁉」


 僕は抗議の視線を向けてくるディアをサラッと無視して槍を構えると、アリスさんに向き合う。

 

「アリスさん。悪いですけど、僕は天海に行かなくちゃならないんです。だから、ここで殺される訳にはいかない」

「……貴様も、天海に囚われた者か。本気で何でも願いを叶えてくれる神様が、海の上にでもいると思っているのか?」

「いえ、全く。ただ、僕は帰らなくちゃいけないので」

「帰る?」

「はいはい、そこまでだよ。早くしないと、いい加減アリスの身体が限界だからね」


 ディアが再び割り込むように、僕達の会話に入ってくる。

 恐らく、言葉の通り本当にもう時間が無いのだろう。

 その証拠に、アリスさんの身体からは今もどんどん黒い霧が溢れている。

 アレがどんなものなのかは知らないが、ディアの様子を見るにあまりいい症状ではないのは確かだ。


「アリス。今から死霊魔法をかけ直してあげるから、大人しくしてくれるとありがたいかな」

「……はぁ、何故だ。貴様達は、何故そこまでして私を助けようとする? 逃げるチャンスなど、いくらでもあっただろうに」

「あははっ、逃げないよ。アリスは友達だからね」

「アリスさんを助けると、約束しました」

「……私は何度勧誘されても海賊にはならないし、私が生きている限り、貴様達の命を狙い続けるぞ」

「え、別にいいよ。今までと何も変わらないじゃん」

「あの……出来れば、僕の命は狙わないでくれると助かります」

「はぁーーーー……、本当に何処までも人を舐め腐った奴等だ。兄弟というのも、いよいよ現実味を帯びてきたな」


 アリスさんは深く溜息を吐くと、もうなるようになれと言うように投げやりに魔法を唱える。


「もう、どうなっても知らん。私を生かせるものならやってみろ。来い、【正体不明の怪物ジャバウォック】」


 その瞬間、アリスさんの影が大きく広がり、異形の怪物が姿を現した。

 その顔はどんな生物にも似ても似つかないようなおぞましい見た目をしており、身体にはまるで西洋のドラゴンのように巨大な羽と二本の脚が生えている。


「……蒼、あのドラゴンは厄介だから私が相手をするよ。蒼はアリスをよろしく」

「え、でも、僕はアリスさんより圧倒的に弱いぞ?」

「大丈夫。今のアリスに新しく魔法を使えるような魔力は残っていないよ。その証拠に、あのドラゴンは魔法じゃなくて【鏡の世界】の副産物に過ぎないからね」

「いや、アリスさんが魔法を使えなくても、そもそも単純なステータスでも僕は負けてるんだけど……」

「私とのパスが切れかかってるから、アリスのステータスも下がってるの! いいから、ビシッと決めてきなさい! 蒼は、私の元から逃げ出してまで強くなるんじゃなかったの⁉」

「それ、まだ根に持ってたのか……はぁ、分かった。行ってくるよ」

「うん、頑張ってきてね。私も行ってくるから」


 ディアはそう言うと、ドラゴンに向かって拳を構えて走り出す。

 ……あれ? もしかして、あの人素手でドラゴンと戦おうとしてないですかね?

 確かに、事前にディアからこの世界では魔法がほとんど意味をなさないと聞いてはいたが……まさか、そのレベルで使い物にならないのか?


 僕は半ば呆然としながら、姿がブレて見えるほどの速さで走り去っていくディアが、異形のドラゴンが吐くマグマのようなブレスを避けて、綺麗な腹パンを決めるところまで見届けると……そっと、アリスさんの方を向く。


 よし。やっぱり、ディアだけは敵に回さないようにしよう。


「ふぅ……色々な意味で、貴様が私の相手になった事は幸いだったかもしれんな」

「比較対象がディアだと、微塵も反論する気が起きないですね」

「アレと比べられたら、誰だってそうなるさ」


 お互いに乾いた笑いを上げながら、僕達は武器を構える。

 そういえば、サズ子がいない状態で戦うのは初めてかも知れない。

 アイツは、何やかんやで僕が本当に危なくなったらいつも助けてくれていたから、いないと少し心細く感じてしまうな。しかも、相手がアリスさんだとなおさらだ。


「分かっていると思うが、手加減はしないぞ」

「そこを何とかなりませんかね……?」

「ならん」


 アリスさんはそう言うと、右手に持っていた蒼い剣を頭上に掲げる。


「天叢雲よ、契約だ。この戦いが終われば、私の全てを喰ってもいい。だから、お前の全ての力を私に寄越せ」


 頭上に掲げられた蒼い剣は、その声に応えるように眩く光ると、刀身から溶け出すように蒼い雫のようなモノを垂らす。

 すると、その雫がアリスさんの身体に触れた瞬間、それは瞬く間に半透明の羽衣となり、アリスさんを守るように身体を覆った。

 刀身と同じく蒼い半透明の羽衣を纏ったアリスさんは、まるで日本神話に出て来る神様のような神秘的な雰囲気を醸し出しており、正直めちゃくちゃ強そうだ。


 ……ていうか、記憶を取り戻した今だからこそ分かるが、あの剣と良く似た名前の剣を僕は知っている。

 まさか、アレって本物なのか……?

 そういえば、あの剣の本物は海に沈んで失われたっていう説があった気がしなくもない。


 僕が冷や汗を垂らしながらあまりに神々しく輝く剣を見ていると、同じく神々しく輝いているアリスさんが真っ直ぐ僕を見据える。


「さあ、最後の戦いを始めよう」



****************



 アリスさんは倒れ込むように地面を蹴ると、そのまま一度も足を地面に着けることなく僕の元まで一直線で飛んでくる。


「なっ⁉」


 僕は何とか咄嗟に槍で剣を受け止めるが、あまりの衝撃に押し負けてあっさりと吹き飛ばされてしまった。


 槍を真ん中からへし折られるかと思った……何の魔法も使ってない上に、ステータスまで下がっていてこれなのか?

 アリスさんはディアの事を化け物のように評価していたが、これじゃあ、アリスさんだって十分に化け物だ。


「一撃を受け止めただけで、何を呆けている。最後の戦いとは言ったが、最後の一撃とは言っていないぞ」


 アリスさんは再び空中に浮いて僕に近づくと、上空から殴りつけるように何度も剣を振るう。

 剣術も何もあったもんじゃないが、その圧倒的なパワーとスピードのせいで、槍で攻撃を受け流しているはずの僕の腕の方が先に壊れてしまいそうだ。


 僕は堪らず逃げるように空を蹴って、アリスさんの間合いの外へ出る。


「【千変万化】海よ、アリスさんを拘束しろ!」


 シーン……。


 逃げるついでに槍を地面の海に突き刺しスキルを発動するが、しかし、全く手ごたえがない。


「ただのスキルで、海を掌握出来るなど思わない事だな。あの傲慢な悪器ですら、それはやらなかったぞ。それに貴様はまだ勘違いしているようだが、ここは私の世界だ」


 アリスさんはそう言うと、お返しとばかりに下の海に手を当てる。

 すると、海が激しく盛り上がり、瞬く間に頭が八つある蛇となって僕に襲い掛かって来た。


 また、蛇か……蛇はもうアイツだけでコリゴリだというのに。

 ていうか、この蛇も何か昔話で見た目が良く似た怪物がいた気がする。


 あまりに有名な伝説の怪物に既視感を覚えながら、僕は槍を身体の前に出す。


「斬り裂け、黒銀の槍!」


 蛇の頭の一つが僕を丸のみするように喰らいつくが、槍の刃で蛇の口内を斬り裂いた瞬間、弾けるように蛇の頭は破裂した。


「……なるほど。やはり、その槍には魔法を無効化する効果があるらしいな」


 しかし、蛇の影に隠れて近づいていたアリスさんが、いつの間にか僕の頭上にいた。

 反射的に槍で防御の構えを取るが、それを見たアリスさんの身体からは蒼色の光が滲み出す。

 あれは、不味いっ⁉


「【命令権限】天条蒼、今すぐその槍を手放せ」


 蒼い光に包まれたと思った瞬間、気が付いたら僕は槍を手放していた。


「終わりだ」


 アリスさんが冷たい蒼い瞳でそんな僕を見ながらそう呟くと、残った七つの蛇の頭が一斉に僕に喰らい付いてくる。

 一瞬で身体の骨がぐちゃぐちゃになるかと思うほどの衝撃を全方位から受けた僕は、抵抗する事も許されず、そのままあっけなく意識を失うのだった。



****************



「いったぁー……」


 マグマのようなブレスに左腕を焼かれた私は、顔を顰めながら炭化して完全に動かなくなった左腕を見る。

 うーん……ただの高温のブレスだったら、私の肉体がここまで破壊される事は無い。

 恐らく、あのブレスには触れたモノを強制的に死滅させる猛毒と似たような効果があるのだろう。

 触れた瞬間に、対象に等しく死を与える【死を齎した明星】の劣化版とはいえ、肉体の強度に関係なくダメージを与えて来るブレスはかなり厄介だ。

 特に、魔法が使えない今は早く蒼がアリスを何とかしてくれないと本気でヤバいかもなぁー。


 私は、チラリと蒼達の様子を見る。すると、丁度そこでは大人気なく本気を出しているアリスが、私の可愛い蒼をボコボコにイジメている所だった。

 ……まあ、当然だろう。いくらステータスが下がっていると言っても、アリスの肉体は私に近いレベルで強靭だ。

 アリスくらいの肉体になると、魔法による強化無しで、なおかつ本物の死体になったとしても、皮膚は何年経とうと朽ちず骨が刃を弾くくらいの事は普通にやってみせる。

 また、今のアリスは、ただでさえ強靭な肉体を悪器によって更に強化しているんだから、まさに鬼に金棒状態だ。


「それに、アリスには支配者スキルがあるからなぁー……」


 支配者スキル。それは異界の神の権能の一部であり、究極魔法を使うために必要になる鍵だ。

 しかし、いくら鍵とはいえ、スキルはスキル。それが貸し与えられたモノだとしても、きちんと恩恵はある。

 例えば、私の【破壊権限】があれば、この世に存在するどんな物質だろうと破壊する事が出来るし、アリスの【命令権限】があれば、どんな地位や権力を持つ人にだって強制的に命令を実行させる事が出来る。


 ……ただ、結局それは厄介なモノではあるが、単体では工夫次第でいくらでも簡単に防げてしまう。

 支配者スキルが本当の真価を発揮するには、それにが必要だ。


「そういう意味じゃあ、アリスと蒼は凄く相性が良いんだよね」


 だからこそ、本来なら相手にすらならないほど実力が劣っている蒼にアリスを任せた。


「さあ、頑張って、私の期待に応えてね。君が本気で私を超えるつもりなら、このくらいの困難なんて笑って乗り越えてよ♪」



****************



 やっべ、負けちゃった……。


 深い暗闇の中、やけに懐かしく感じる波の音を聞きながら僕は深い敗北感を味わっていた。

 正直、惜しかったとかそういうレベルの話じゃない。まさに、完敗だ。

 まったく、情けないにもほどがある。現実は漫画のように甘くはないとは言っても、ここは絶対に負けちゃいけない場面だと小学生でも分かるだろうに。


 ……しかし、僕が本当に情けないと思っているのは、弱っているアリスさんに負けた事でも、アリスさんを助けられなかった事でもない。

 僕は心の奥底で……例え、僕が負けても、最悪ディアが何とかしてくれるだろうと思いながら戦っていたのだ。

 アリスさんに負けそうになった瞬間、僕はそれに初めて気が付いた。


 ……本当に、このまま死んでしまいたくなるほど情けない。

 僕のこの他人任せの性格は、もしかして、もう一生治らないのか?


「馬鹿野郎が! そんな簡単に死にたいなんて言うんじゃねえ‼」


 その時、突然何処からか懐かしくも恐ろしい怒鳴り声が聞こえてきて、僕の背筋は反射的にビクゥッ! と真っ直ぐ伸びる。


「蒼! お前、こんな所で寝ている場合じゃねえだろ⁉ さっさと起きやがれ‼」

「あ、兄貴、何でここに……?」


 僕はゆっくりと目を開ける……前に胸倉を掴まれると、グワングワンと身体を揺さぶられて強制的に叩き起こされる。

 この強引さ……間違いない。


 僕は揺れる視界の中、目の前にいる僕と瓜二つの顔をした兄貴の顔に焦点を合わせる。

 いや、瓜二つというには少し語弊があるかも知れない。

 本来、僕と兄貴の容姿はとても似ている……はずだ。しかし、兄貴は僕と違って全身から目に見えない覇気のようなものを発しており、何故か百人が見たら百人全員が僕と兄貴を見分けてしまうのだ。


「お前は、俺の弟だろうが‼ 一度テメエで決めた事を諦めんな‼」

「……僕は、兄貴と違って弱いんだ。一緒にしないでくれ」

「っざけんな‼ いつまで反抗期なんだ、お前は⁉ 別に俺の真似をしろなんて、一言も言ってねえだろ‼ 俺が嫌いなら、それでもいい! だが、お前がお前を嫌いになってんじゃねえ‼」

「……そうさ。僕は、僕なんて大きっらいだ。だって、僕は弱いから。いつも周りの期待を裏切って……兄貴に嫌な事を押し付けている」

「なら、自分の嫌いな所を今すぐ無くせばいいだけだろ⁉ お前は、ガキの頃からずっとそうだった! 自分からわざわざ悪ぶって大人のフリをする、思春期真っ盛りの恥ずかしくてしょうがねえガキだ! いい加減、その性格直しやがれ‼」

「このご時世に番長とかこっぱずかしい称号を掲げている兄貴に、そこまで言われたくはねえよ⁉」

「やかましい! じゃあ、お前は俺を恥ずかしいと思った事があるのか⁉」

「……」

「ほら、見ろ! お前は、本当は自分がやりたい事を分かっている! ただ、それが俺の後を追いかけているみたいで恥ずかしくて出来ないだけだろ‼」

「そ、そんな事ない!」

「なら、今すぐお前が正しいと思う事をやれ‼ 失敗しても良い! お前がミスっても、全部俺が何とかしてやる‼ だから、出来る事まで諦めんな‼ お前は、俺の自慢の弟だろうが‼」


 兄貴はそう言うと、僕の目を覚ますかのように頭に思いきり頭突きをかまして姿を消す。

 今まで受けたどんな攻撃よりも、はるかに痛い。例えるなら、何もない空間で思いきり転げ回ってしまうくらい痛い。


 ふ、ふざけんなぁーーっ‼ 好き勝手に言いやがって、挙句に全く意味の分からない頭突きだけ残して消えていきやがったぞ、あのクソ兄貴⁉︎


 僕は熱を持ってジンジンと痛む額を抑えながら、夢にまで出て来たお節介な兄貴がいた方向を涙目で睨む。


「上等だ、クソ兄貴‼ そもそも、僕はアンタの後を追いかけるつもりなんか無い‼ 僕は、アンタと肩を並べるために強くなるって決めたんだ‼」


 僕は額から溢れ出してきそうなほど熱い力を感じながら、自分の魂に刻み込むように天に向かって誓う。


「だが、そんなのは、もう辞めだ‼ 僕は、アンタを超えてやる‼ だから、今は精々上から見下ろしていろ‼ いつか必ず、アンタを泣かしてやるからな‼」


 僕は燃えそうなほど熱くなった全身を振り絞るように、魂の底から吼える。


「【異海の支配者】ぁぁああああーーーーーーーーッ‼」



****************



「な——っ⁉」


 海龍ガイアとドゥルジ、それとスキルの千変万化を駆使して何とか捌いていた水龍が、突然黄金色に光る。


「な、何だ、コレは⁉」

『GYAOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOッ‼』

「ガイア⁉」


 しかし、水龍だけでない。水龍と共鳴するように、黒海も、ガイアも、そして私自身すらも黄金の光に包まれ、折れた腕は治り、身体の内側から無限とも思えるような力が溢れ出してきた。

 私が呆然と突然訪れた黄金の世界を眺めていると、その時、魂に響くほどの強烈な意志が私に伝わってくる。


『来い、サズ子‼ 力を貸せ‼』

「……なるほど、そういう事か」


 私は、頭上に開いた巨大な穴を見上げる。


「今行くよ、蒼」



****************



 僕は水中で目を覚ますと、スキルを発動させる。


「【千変万化】水よ、弾けろ‼」


 その瞬間、僕を拘束していた激流は弾け飛ぶ。

 それを上空から見ていたアリスさんが、驚いたように目を見開いた。


「わ、私が創った世界でスキルを発動させただと⁉ まさか、私の世界を掌握したとでも言うのか⁉」


 僕は驚愕しているアリスさんを横目に、衝動のまま叫ぶ。


「来い、サズ子‼ 力を貸せ‼」


 すると、星の無い夜空が一瞬でひび割れ、ガラスが砕けるような音と共に二匹の黄金の龍が飛び込んで来る。


『GYAOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOッ‼』

「海龍⁉ いや、それどころか【渦巻く災禍】まで……っ‼ 貴様まさか、私の魔法を⁉」

「アリスさん! 貴女の負けだ! 大人しくぶっ飛ばされてください‼」

「ふざけ……っ⁉ くぅっ!」


 アリスさんはガイアと一緒に天を割って入ってきた水龍に飲み込まれると、激しい水の流れに拘束され、動けないかのように水龍の身体の中で必死にもがいている。


「蒼、これ!」

「おう!」


 その時、サズ子が地面に落ちた槍を拾って僕に放り投げてくれた。

 僕は飛んできた槍を受け取ると、アリスさんに向かって思いきり空中を蹴る。


「いい加減、もう楽になってください……っ‼」


 僕は祈るように目を閉じると、水龍ごとアリスさんを貫いたのだった。



****************



 幼い頃の夢を見た。

 優しい母。勤勉な父。本で溢れた不思議な香りがするお家。

 どれも、私の大切な宝物だった。

 でも、私の手元に残っているモノなんか一つも無い。


 私は幸せだったよ。

 嘘じゃない。

 だって、私には貴方達が残してくれた力がある。

 たくさんの人の涙を拭える、優しさがある。


 ……だから、ね? 泣かないでよ。お父さん。お母さん。



****************



「……うん?」

「やっほ、起きた?」


 数年間積み重ねた疲れが一気に取れたかのような心地の良い眠りから目覚めると、非常に不愉快な顔面が私の顔を覗き込んでいた。


「いやー、アリスはやっぱり可愛いねぇー。可愛過ぎて、思わず嫉妬しちゃいそうだったよ」

「……そうか。お前ほど、毒林檎が似合う女もいないだろうな」


 私はとある御伽噺の一節を思い出しながら、そう皮肉を返してやる。


「いやいや、毒殺なんて手間だけかかって不確実な事はしないよ。やるなら、確実に心臓を抉り取るね」

「なるほど、これほどナンセンスな回答もない。どうやら、お前に文才はないようだな」

「あははっ! そりゃあそうだよ。文才があるのはアリスの方だもん。何て言っても、アリスは世界一の【魔法書作家ブックメーカー】の一人娘だからね」

「……その才能に殺された父は、死に際に一体何を思ったんだろうな」


 私は身体を起こすと、切断したはずの左腕が生えている事に気が付く。

 いや、それだけではない。

 死にたくなるほどの苦痛も、鬱屈とした倦怠感も、全てが夢だったみたいに元通りだ。


 ……これで死んでいるのだから、魔法とは本当に理不尽な力だと思う。


「……お前、今日だけで一体いくつの究極魔法を使った?」

「え? うーん……数え切れないくらい!」

「化け物め……」


 私は大きく溜息を吐きながら背伸びをすると、周囲を見渡す。

 どうやら、ここはブラックハーツの船の上のようだ。

 しかし、船の上をいくら探しても、肝心のもう一人の化け物の姿が見えないな。


「残念、蒼ならもういないよ。先に上の海層に向かっちゃった」

「なに? 貴様が蒼を見逃がしたのか?」

「ねえ、何でわざわざ見逃がしたって言い方をしたのかな? 私、別に束縛とかしてないんですけど」

「だが、貴様は第一海層で散々蒼のことを追いかけまわしていたのだろう?」

「それは、あのクソ蛇の真っ赤なデマだよ」

「ほう? それはまた、驚くほど信じる気にならんな。あの悪器といい、貴様ら二人からは言葉だけでは覆い隠せない胡散臭さが溢れ出ている」

「……ちなみに、私が今一番言われてストレスを感じる言葉ランキングの第二位がネクロフィリアで、圧倒的第一位があのクソ蛇と同列に扱われる言葉全てだよ」

「何とも分かりやすい同族嫌悪だ」

「むーっ、アリスの意地悪!」


 私が年齢を考えず子供のように膨れているディア・シーを蔑んだ目で見ていると、不意にディア・シーの隣で粉々に砕け散っている天叢雲の残骸を見つけた。


「うん? ああ、コレ? アリス、相当無茶な契約をこの悪器としてたでしょ? 危ないから、私が殺しといたよ」

「……そうか」


 何だかんで長い付き合いだった愛刀の成れの果てを見ていると、不意にそれが自分の姿と重なる。


「……私は、いつまで生きなければならないんだ?」

「……アリス、貴女はずっと勘違いをしているよ」


 ディア・シーは立ち上がると、空を見上げる。


「私の魔法はね。確かに、死者の魂を強制的にこの世に繋ぎ止める。だけど、仮にこの世に未練がない人の魂を、無理矢理この世に繋ぎ止めたとしようか。すると、どうなると思う?」

「……知るか」

「答えは、廃人。この世に未練の無い死者の魂は、肉体と一緒に死んじゃうの。だから、例え生き返らせたとしても、その人は意志を持たないただ生きているだけの屍となるだけ」

「……」

「アリス、もう一度だけ聞くよ。私達の仲間になりなよ。海軍も光海教会も、アリスの本当の居場所じゃない。それは、ステータスにも如実に現れている。死にたいなら、貴女のやりたい事をやりな……じゃないと、この地獄は永遠に終わらないよ」

「地獄を作っている元凶の貴様にだけは、言われたくないな」

「それは違うよ。私は、アリスが天国に行く道を作ってあげているのさ。黒い心は、いつだって貴女を導いている」

「……私が、お前の本当の目的に気が付いていないとでも思っているのか?」

「え?」

「今回の件で、お前も確信したはずだ。お前の弟……蒼のスキルは、だ。私のような偽物とは違う」

「……」

「だが、これでいい。お前は、そのまま一生叶わぬ夢を見ていろ」


 私はディア・シーに背を向けると、浮遊魔法を使って海軍基地に戻る。

 背後からの不意打ちを警戒しなくとも、ここで無理矢理私を拘束するような奴ではないだろう。

 そんな底の浅い女なら、この私がとっくに殺している。


「……また、フラれちゃった。ざーんねんっ♪」



****************



 私は海軍基地の方に飛び去って行く、アリスの後ろ姿を見送る。

 死霊魔法は、無事に成功した。

 アリスの身体は、完全に元通りだ。


 ……しかし、暫く戦うことは出来ないだろう。

 浮遊魔法程度なら発動出来るようだが、アリスの魔力は今ほとんどカラだ。

 殲滅系の魔法は勿論使えないはずだし、魔力の代わりに魂を削る事は出来ても、魔力自体が無ければそもそも魔法は発動出来ない。


 私は誰も居なくなった黒海を見渡すと、海層渡りをした時からずっと発動し続けていた魔法を切り替える。


「伝令魔法【神見の杖ケーリュケイオン】改変、伝令魔法【神告の笛シュリンクス】……あー、聞こえるかな? もう上がって来ていいよ」


 私が魔法を使い下層まで声を響かせると、周囲数十キロの範囲にいくつもの渦潮が次々と現れ、下層から無数の海賊船が海層渡りをしてくる。

 これは、本来ほとんどが蒼を探すために海賊島から連れて来た手下達だ。

 しかし、もうその必要はない。

 ここにいる海賊達には、次の役目を与えるとしようか。


「さて、みんな。私の魔法でずっと様子を見ていたから分かると思うけど、私が探していた少年は見つかった。だから、


 海賊達はまるで神話の世界でも覗き込んでしまったかのように、ある者は呆けたような顔を、ある者は恐れたような顔を、そして、またある者は羨望に満ちたような顔をしながら私を見る。


「おめでとう。君達は、今から自由だ。好きなだけ奪え。好きなだけ満たせ。好きなだけ夢を見ろ。阻む者は全力で壊せ。ゴミ溜めみたいな世界から解放された狂喜を、世界中にぶちまけてこい。ただし、自由の対価は貰う」


 私は空中に浮かぶと、上空から総勢数万を超える海賊達を見下ろす。


「【誓約】その一、一年以内に必ず第五階層か、もしくは、それ以上の自分達が行ける限界まで上の海層に行くこと。その二、ブラックハーツ海賊団、副船長ディア・シーが正式に【海賊王】と名乗ることを決めたと各階層に広めること。そして、その三……これが、一番大事だからね。良く聞いてね」


 私はもう、今から起こる事を想像しただけで楽しくて堪らなくなる。

 こんなにワクワクしたのは、一体いつ振りだろうか?

 私は鏡の世界で起きた、今までの人生で一番痛快だったあの光景を思い返す。

 ああ、君は……軽々と私の想像のはるか上を飛び越えて行ったね。

 鳥のように飛び去っていた愛しい人を思い浮かべながら、私はまるで初めて恋を知った少女のような可憐な笑みを浮かべる。


「私の弟、天条蒼がこれから伝説の海、第十三海層の天海に向かうよ。きっと、この世界が始まって以来の大事件が起こる。見逃したくない人は、私の弟の元に集まりな。たぶん、海賊をやるだろうけど、きっとどんな人でもウェルカムだろうから、海賊以外の人も興味があったら会ってみてね。海賊団の名前は……そうだなぁ、【ブルーハーツ蒼の心】にしようか! それじゃあ、みんな……今から、この内容を一語一句違えず、全ての海層に轟かせてこい。返事は?」


 その瞬間、声だけで黒海を揺らすほどの大絶叫が辺り一帯を埋め尽くす。


 くふ……っ、蒼。いよいよ、これから時代を動かす大狂乱が始まるよ!

 私と一緒に、全力でこの狂騒を楽しもうね♪



****************



 ~とある空~


「……」

『どうしたのー?』

「いや、ロクでもない事が始まったような気がして」

『きゃはっ、貴女以上にロクでもないものなんてないから大丈夫だよぉ☆』

「おっと、手が滑った」


 ぽーいっと、手に持っていた鎌を眼下の海に投げ捨てる。

 さて、これでやっと静かになった。

 必要のないゴミをいつまでも持っていてもしょうがないし、これでようやく全部スッキリだ。


 うん? 契約?


 何のことか分からないけど、仮にそんなモノをしていたとしても、私は最悪だから自分にカケラも利の無い契約なんてさっさと破り捨てるに決まっているとだけ言っておく。

 というか、何か得る代わりに律儀に何かを犠牲にしようとする生物なんて、善を知る素直で愚かな人間くらいだ。

 それに神から存在の全てを悪と定められて創られたこの私が、神が創った世界の理の一つである契約の代償を支払う義務を無視したところで何もおかしくはない。

 だって、それは神が定めた悪の定義の範囲内であるからだ。


 あの馬鹿女は、どうやらその事に気が付いていなかったようだけど……まあ、そもそも私が人間に堕ちるなんてイレギュラーが想定されていないのだから、母様から見栄とプライドだけしか与えられなかったあの馬鹿女が気付けなくてもしょうがない。だって、馬鹿なのだから。


 私が性悪女のせいで溜まりに溜まっていたフラストレーションを、馬鹿女で解消出来てようやくスッキリとしていると、ガイアの背に乗ったまま静かに寝息を立てている蒼の顔が、チラリと視線の端に映る。

 彼は、あの金髪女が復活した瞬間、安心したように気を失ってしまった。

 ……全く、最後まで手間のかかるご主人様だ。

 また、あの性悪女にステータスを奪われたらどうするつもりなのだろう? いや、まあ、今も奪われている事に変わりはないのだが……。


 しかし、あの性悪女は嫌にあっさりと蒼を連れ去る私を見逃したな。

 あの性悪女の事だ。間違いなく、ロクな事を考えてはいないだろうが……それにしても、不気味だ。


「……はぁ、私が言うのもなんだけど、貴方はなんて厄介な女に気に入られてしまったのかしら?」


 蒼は良く私の事を最悪だというが、あの性悪女は自分の最悪な部分を最悪だと感じさせないカリスマ性を持っている分、私なんかよりもよっぽど最悪で危険な存在だ。

 あの女がその気になれば、こんな純朴な少年はあっという間に魂まで余さず美味しく頂かれてしまうに決まっている。

 すでに少年の魂を美味しく頂いた前科のある、この私が言うのだから間違いない。


 ……しかし、現在、少年の魂はすでに私の魂でもある。

 あんな女の好き勝手にされるのは、不快を通りすぎて苦痛でしかない。

 なので、しょうがない。

 約束通り、この愚かで優し過ぎるお人好しが騙されないように、私がずっと近くで見守っていてあげるしかないのだろう。


「約束……」


 そういえば、私は蒼ともう一つ約束をしていた事を思い出した。

 あれは、私自身もただの嫌がらせでした、守る気もないくだらない約束だったけど……私はこれから彼の信頼を勝ち取って、天海まで連れて行って貰わなければならない。

 だから、どんな些細な約束だって、無碍にする訳にはいかないのだ。


「……とか言って、何か言い訳を用意しないと行動に移せない。女ってそういうもの」


 私はそっと彼の寝顔を覗き込むと、静かにキスをした。


「なるほど、これが幸せか」



****************



 ~とある医務室~


「失礼する」


 医務室に誰か入って来たかと思うと、目を見張るほどの美女が真っ直ぐ俺の元に向かってやって来る。

 俺はベッドに預けていた身体を、慌てて起こした。


「君が、ヴァン・ブラッド君か」

「は、はい」

「そうか。治療魔法を施したとはいえ、酷い怪我だったのだ。リラックスした体勢でいてくれ」


 そう言われても、正直相手が美人過ぎてとてもリラックス出来そうにない。

 しかし、その女性はこちらの思いなど知ったこっちゃないと言わんばかりにベッドの下にあった丸椅子を取り出すと、憂鬱そうな顔をしながらさっさと腰かける。


「まずは、そうだな……私は、アリス・オーシャンという者だ。そして、君のお父上には大恩がある」

「親父に?」

「ああ、そうだ。私は幼い頃、君のお父上に命を救われた」

「そ、そうなんですね」


 俺はそれを聞いて、少し誇らしい気持ちになる。

 親父の海軍時代は、俺の自慢だ。

 別に、今の親父が駄目という訳ではないが、それでも昔の親父の話を誰かから聞くと自然と嬉しくなってしまう。


「……君は、お父上が好きなのだな」

「はい。俺は親父のようになりたいと思って海軍に入りましたから」

「そうか……それでは、これから聞く話はもしかしたら、君の負担になってしまうかも知れないな」

「え?」

「……天条蒼に関しての事だ」

「蒼の⁉」


 俺はここ数日、一向に顔を見せに来ない親友の名前が突然出て来たことに驚いて、思わず身を乗り出してしまう。

 すると、アリスさんは僅かに目を見開いて、苦笑しながら俺をベッドへと押し戻す。


「こらこら、怪我人が無茶をするんじゃない」

「す、すみません……で、でも、アイツは無事なんですか⁉ 怪我とかしてないですよね⁉」

「そうだな……無事といえば無事だろうし、怪我もしてないんじゃないか?」

「いや、何でそんな重要な部分だけ濁すんですか⁉ どう考えても、今は焦らす場面じゃないでしょう⁉」


 俺はつい、蒼といる時のくせでツッコんでしまう。

 ……今更だが、アイツが俺に及ぼした影響は中々大きい。

 どのくらい大きいかというと、階級も分からない見ず知らずの女性に大声でツッコんでしまうくらいにはデカい。

 ヤバい、完全にアイツのせいでやらかした。少なくとも、アリスさんは俺よりは確実に上官だというのに。

 致命的な沈黙の中で、俺が激しく蒼を恨んでいると。


「ぷ、ぷふぅっ……失礼した。君はいつもそんな感じなのか?」

「い、いえ、蒼のヤツがいつもボケてくるので、いつの間にかツッコミが身体に染みついてしまっていて……す、すみませんでした!」

「いや、気にするな。しかし、そうか……彼は私といる時は、どちらかといえばいつもツッコミ役だった気がするが……アレは気を使われていたのかな?」

「ああ、それはアリスさんが美人だからっすね。アイツ、綺麗な女の人には弱いんですよ」


 アイツはそんな素振りは一切見せないが、意外とむっつりなのだ。

 すると、アリスさんは僅かに戸惑った様な顔をする。


「そ、そうなのか?」


 ……おや?


「はい。間違いないですね」

「そうか……」


 おや、おやおや?

 ……ふむふむ、なるほど。これは今度会った時、アイツを問い詰める必要があるようだな。


「それで、結局アイツはどうなったんですか?」

「海賊になった」


「は……?」


 俺はそのあまりにも突然で端的に伝えられたくせに、衝撃だけはこの世界に生誕した時並みの事実を、咄嗟に脳内で処理しきれずに固まる。


「……というのが、海軍の見解だ。本人が名乗っている訳では無い」

「ほ、本人が名乗ってないのに、何で海賊認定なんかされているんですか⁉」

「アイツが、【簒奪者】ディア・シーの弟だからだ」

「さ、【簒奪者】⁉ それって、あの伝説の大海賊団ブラックハーツの⁉」

「そうだ。【簒奪者】は数日前、第一海層から第二海層へと海層渡りを行った。私は天条蒼と共に、ブラックハーツを迎え撃つために黒海ガイアへと向かったのだが……そこで、天条蒼は記憶を取り戻し、海軍から逃亡。そして、【簒奪者】は世界中を大混乱に叩き落とす声明をご丁寧に伝令魔法まで使って、私達海軍に知らせてくれたという訳だ」

「そ、それって……」

「……まあ、隠してもしょうがあるまい。上層部は握り潰す気だが、どうせ不可能だろうしな」

「い、いや、それ本当に俺が聞いても大丈夫なんですよね?」

「うん? やめとくか?」

「……聞かせてください」

「ふふっ、素直でよろしい。ディア・シーは私達を撃退した後、数万の海賊達を率いて三つの声明を出した。一つ目は、第一海層から上がってきた海賊達は、一年以内に必ず第五階層以上まで進行してくるという事。二つ目は、【簒奪者】ディア・シーは、船長ゾア・ロバーツの意思を継ぎ、正式に【海賊王】を名乗るという事。三つ目は、自らの弟である天条蒼が、これから【ブルーハーツ】という海賊団を立ち上げて、天海を目指すという事だ。また、どうやら今はその為の仲間を募集しているらしい」


 俺はあまりに現実味の無い話について行けず、暫く頭が真っ白になる。

 しかし——


「……あーもーっ! 何だよそれ! 相変わらず、無茶苦茶な奴だな。アイツは」


 俺は大きく安堵の息を吐きながら、心の底から安心して笑う。

 事情は全く分からないが、とにかく真っ先に頭に浮かんだのは、アイツが無事で良かったという感想だけだ。だが、今はそれでいい。


「……君は、天条蒼が海賊になったかも知れないのに、裏切られたとは思わないのか?」

「でも、アイツ自身はそう名乗っていないんですよね?」

「……私は少なくとも、彼自身の口から海賊になるとは聞いていないな」

「なら、それが答えですよ。俺の予想が正しければ、アイツは今逃げている真っ最中ですね」


 記憶を取り戻した今は分からないが、もしも、今も俺が知っている天条蒼のままだとしたら、あんなお人好しが海賊になんてなれるわけがない。

 すると、アリスさんは興味深そうな目で俺を見つめてくる。


「だが、仮に天条蒼が本当に海賊になったとしたら、どうするんだ?」

「そしたら、俺が一発ぶん殴って目を覚まさせてやりますよ。それに例え、アイツが本当に悪い海賊になっていたとしても……アイツを捕まえるのは、親友である俺の役目です。そう約束しましたから」

「……そうか、覚えておこう」


 アリスさんはそう言うと、少しだけ羨ましそうに俺を見て微笑む。


「さて、それでは今日はこれで失礼させてもらうとする。また、後日にでも会おう。他に聞いておきたい事はあるか?」

「あっ。じゃあ、一つだけ。蒼と一緒にクオンっていう子もついて行ったと思うんですけど、どうなったか知りませんか?」

「クオンか? 彼女は今、私の元で働いているよ」

「そうなんですか! 無事で良かったです!」

「ああ、彼女はとても優秀で私も助かっている。君達は友人同士なのか?」

「はい!」

「そうか。では、彼女に君が心配していたと伝えておくとしよう。それでは、失礼する」


 アリスさんは手に持っていた豪奢な軍服を身に纏うと、颯爽と医務室を去っていく。


「……蒼、待ってろよ。こんな怪我すぐに治して、お前を迎えに行くからな」


 俺は医務室から見える遠い蒼空を見上げながら、決意するようにそう呟いた。



****************



 ~とある黒海~


「ったく、冗談じゃねえ……」


 俺は海賊島から自分の船を出しながら、人生で最後になるかもしれない酒を煽る。

 いくら、あの女が強いからといっても、たった一つの海賊船で海軍基地本部を沈めるだぁ?

 そんなもん、不可能に決まってんだろ⁉ あんま世の中舐めてんじゃねぇぞ⁉


「しかも、バッチリ誓約魔法までかけて逃げられないように拘束しやがって!」


 俺は海賊島で誓わされた、三つのふざけた内容の誓約を思い出す。

 一つ、私の命令には絶対に逆らわないこと。

 二つ、私がするどんな問いかけにもYESと答えろ。

 三つ、天条蒼という少年の情報は、私がと言うまで、どんな些細な事でも必ず私に伝えろ。


「人を舐めるのも、大概にしやがれッ‼」


 こんなのは、誓約でも何でもねえ! ただの奴隷契約だ!

 俺達はあの女に目を付けられた時点で、死ぬまで一生……いや、もしかしたら、それ以上の期間、永遠にアイツの奴隷としての生活を強いられる事が決まっちまったんだよぉっ!

 こんなの飲まなきゃ、気が狂っちまうぜ!


 ゴンッ!


「チッ! 何してやがんだ、クソッたれ‼ 船に穴でも開けて、全員で心中してえのか⁉ ああっ⁉ 死にてえ奴がいるなら、前に出ろ! 今すぐ、俺がぶっ殺してやる‼」

「ち、違うんですよ、船長。海で何かがぶつかって……」

「はぁ? んな訳ねーだろ! ここはもう、黒海に入ってんだぞ⁉ 浅瀬じゃあるまいし、ぶつかるものなんて、精々……」


 その時、急速に酔いが醒めていくのを感じる。

 そうだ。この黒海には、島も無ければ船底に当たるような岩石もねえ。

 こんな不気味な海に、とすりゃあ……海龍だけだ。


 ドォンッ!


 すると、何かに突進されたような轟音と共に、船が大きく揺れる。


「に、逃げろ! こりゃあ、間違いねえ! 海龍が現れやがった!」

「せ、船長、違……っ! 何かが登って……うわぁっ⁉」


 その時、何かに驚愕しながら海を覗いていた手下の一人が何かにはじき飛ばされたみたいにぶっ飛ばされながら、俺の足元まで転がってくる。

 こ、コイツ、気絶してやがる。一体、何が……?


 バァンッ‼


 その瞬間、全身がビクゥッと跳ね上がるほどの爆音が船の先端から鳴り響いた。

 音の発生源は、奇しくも先程俺の部下が海を覗いていた場所と同じ場所から鳴り響いたようで……?


「……人の手?」


 俺はついに酒が回り過ぎて幻覚でも見てんのかと、自分の目を何度も擦って確かめる。

 何度も言うが、ここはすでに黒海の中だ。仮に人が溺れていたとしても、そいつはもう助からねえ。

 命綱無しで黒海に入っちまうっていうのは、そんくらいヤバい。何せ上も下も右も左も全てが真っ黒だからな。方向感覚なんて一瞬で無くなって、そのまま溺れ死んじまう。


 しかし、どうやら俺が見ているのは幻覚でも海の亡霊でもないらしい。

 その手の持ち主はずぶ濡れになった身体を引き上げて船の上に降り立つと、黒海に染まっちまったみてえに真っ黒な髪をブンブンと振り回して、髪の隙間から不機嫌そうに黒眼を覗かせる。


「いってぇなぁ……人が気持ちよく海の上で昼寝している時に、ぶつかって来てんじゃねぇぞ、コラ」

「は?」


 俺は色々な意味であまりに規格外な侵入者を前に、思わず唖然とした声を出してしまう。

 寝てた? 何処で? それに、何だあの見たことない格好は? 少なくとも、ここら辺の海では見かけないぞ? だとしたら、他海層からの漂流者か? だが、何故こんな所まで?


「あん……? アンタ達、外国人か? まいったな。英語なんて喋れねーぞ」


 しかし、その男はそれを別の意味で受け取ったのか、急に困ったような顔で頬を掻く。


「ていうか、意外に海外と日本って近いのな。泳げばすぐ着くじゃねえか。今度ハワイとかまで泳いで行ってみようかな」

「お、おい、テメエは何者だ?」

「おっ! んだよ、おっさん。日本語喋れんじゃねえか! いやー、焦った! これから、どうやってジェスチャーで蒼を探せば良いのかと考えてたところだったぜ!」

「……蒼?」


 その言葉を聞いた瞬間、胸がざわつく。

 あの女にかけられた誓約魔法が、手かがりを見つけたと騒ぎ立ててやがるな……。

 クソッ! ほんとに、イラつくぜ!


「あ? おー、そうそう。天条蒼っていう見た目はひ弱そうだが、中身は俺と良く似た男前を探してんだけどよ。おっさん、何か知らねえか?」


 ダァンッ!


 俺はその言葉を聞き終わる前に、腰から抜いた銃の引き金を引いていた。


「……チッ、お前もそいつを探してんのか。一体、何だって言うんだよ。そのガキはよぉ」


 その男……いや、コイツもまだガキか。

 そのクソ生意気なガキは、銃弾が頬を掠めたのか顔から大量の血を滴らせながらも、獰猛に笑う。

 ……コイツ、銃にビビってねえのか?


「……そうか。おっさん、蒼を知ってるんだな? てことは、やっぱりアイツは生きてるのか……良かった」


 男は心底嬉しそうに目を細めながら、一歩前に進む。


「動くんじゃねえ! 殺されてえのか⁉︎」

「かははっ。外国じゃあ、銃刀法とかねえもんな。俺でもそんくらいは知ってるぜ。ほんっと物騒だよなぁ」

「うるせえ、訳の分からねえ事ばっかりほざきやがって! それ以上喋ると、本気で脳天ぶち抜くぞ!」

「残念、俺はジャパニーズだが銃は見慣れてんだ。今更、そんなもんにビビらねえよ。それに、黒い海を抜けてから何故か全身に力が溢れてくんだよな。冗談抜きで、今ならいくら銃弾が飛んできても全部避けられそうだ」


 ……チッ、何かの情報源にはなりそうだが、流石にこれだけ舐められたら黙ってられねえな。

 俺は部下に目線で合図を送ると、四方八方から一斉に銃を乱射する。

 瞬く間に辺り一帯を激しい硝煙と咽そうなほどの火薬の臭いが包み込み、すぐさま銃に込めてあった銃弾は全て撃ち尽くされた。


「あん? もう終わりか? ていうか、さっきから思ってたけどアンタらが持ってる銃なんか古いな」


 しかし、硝煙が晴れて目の前の視界が開けても、男はまるで何事も無かったかのように平然とした顔でその場に立っていやがる。

 ……ありえねえ。避ける間も隙も与えてねえはずだし、そもそも、あの男は最後に立っていた位置から


「……お前、本当に何者なんだ?」


 俺が呆然とそう呟くと男はニヤリと笑い、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに胸を張る。


「俺は、天条海。天条蒼の自慢の兄貴だ。よろしくな、おっさん」

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異海を漂流してたら海賊美少女とヤンデレ美少女に絡まれたんだが はるかうみ @ocean0709

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