第10話 この公爵家の後継者にふさわしいのは……わたしの弟だけなんだから
わたしとフィルは、部屋を出て、父である公爵の執務室へと向かった。
ダミアン叔父様が訪れているらしいけど……何の用だろう?
執務室は二階の中央にある。最も良い部屋で、屋敷の豪華な庭園も綺麗に見下ろせる。
といっても、今は冬なので、庭園も真っ白な雪に覆われてしまっているけれど。
わたしとフィルは部屋のドアの前に立った。
黄金の獅子をかたどったドアノッカーをわたしは叩く。黄金の獅子は、リアレス公爵家の紋章だ。
「入れ」
低い声が返ってくる。父の声だ。
「失礼します」
わたしがフィルの手を引きながら、部屋に入ると、中央の執務机に父はいた。
父は緋色の豪華な椅子に座っている。この国では、赤は高貴な色だから、緋色の椅子に座れるのは公爵以上の特権だ。
父の背後には、赤の布地に黄金の獅子をあしらった公爵家の紋章旗が掲げられている。
座れ、というように、父はあごをしゃくった。わたしは慌てて、一礼してから手前のソファに腰掛ける。
フィルはびくびくしながら、わたしの隣にちょこんと腰掛けた。そして、わたしの服の裾をつまむ。
フィルに頼られて嬉しいけど……正直、わたしも父が怖い。
父の前では、前回の人生でも、今回の人生でも、やっぱり緊張する。
カルル・ロス・リアレス公爵。
それがわたしの父の名だ。
名門貴族の当主らしい威厳に満ちている。わたしはいま12歳だから、父の年齢は35歳のはず。
髪も目も焦げ茶色のわたしと違って、父は金髪碧眼だ。いかにも貴族らしい見た目とも言える。
体つきは細めだが筋肉質で、顔立ちも端正だ。
目つきが怖くなるぐらい鋭かった。
前回の人生では、父はわたしに冷たかった。
特段ひどい扱いを受けたということはなかったけれど、きっと政略結婚のための道具だとしか思っていなかったと思う。
父はいつもわたしに無関心だった。
だからといって、わたしは父のことが嫌いかといえば、そうでもなかった。
父は謹厳実直を絵に描いたような見た目で、性格も真面目そのもの。
大貴族だが、妾の一人も囲っていないし、酒に溺れるようなことはない。
有能な領主として、王家の忠実な臣下として、若いけどかなりの名声を得ている。
苦手ではあるけれど、尊敬はできる。
父はそんな人だった。
そんな父が、わたしとフィルを呼び出した。
「クレアとフィル君、そしてダミアンに来てもらったのは、他でもない、公爵家の後継者のことだ」
父が重々しく、ゆっくりと言う。
後継者?
それなら、王族のフィルが後継者になるということで、話はまとまっているはずだけれど。
そういえば……ダミアン叔父様もいるんだった。
わたしがきょろきょろとあたりを見回すと、叔父様は部屋の隅っこにいた。
足を組んで、傲然と椅子にふんぞり返っている。
「お久しぶりですね、叔父様」
とわたしが思わず言うと、ダミアン叔父様は「あん?」と怪訝そうな顔をした。
「久しぶり? こないだも会ったばかりだろうが」
しまった。
中身17歳のわたしは、前回の人生では長いことダミアン叔父様には会っていなかった。
けど、12歳のわたしは、数日前に叔父様と会っているみたいだった。
そして、わたしはたった二日前に12歳の自分に戻ったばかり。だから、こういうミスもしてしまう。
だが、ダミアン叔父様は「まあ、いいか」とつぶやくと、どうでも良さそうにあくびした。
細かいことを気にしない人で助かった。
叔父様はフルネームでダミアン・ロス・リアレス。父の年の離れた弟だ。二十代後半のはず。見た目は父とよく似ていて、すらりとした体型の美男子である。
でも……。
まだ昼間なのに、叔父様の顔は赤い。
きっと酒を呑んできたばかりなんだ。というか、今も片手に酒瓶を持っていた。
いつも叔父様は酒浸りなのだ。
叔父様は公爵領の隅っこに領地をもらい、男爵を名乗っている。
が、領地のことはほったらかしで、金遣いも荒い。
たくさんの美女を妾として囲い、食事も豪勢かつ高価なものばかり用意している。
だから、叔父様はいつも借金まみれで、その一部を公爵家が肩代わりしていた。
要するに……叔父様は典型的ダメ人間なのだ。
どうしてフィルがうちに養子として迎え入れられたのか、という理由の一つは、この叔父にある。
ダミアン叔父様に公爵家を継がせるぐらいだったら、王族の年少者を後継者にしたほうがマシ。
それが父と重臣たちの結論だった。
ダミアン叔父様は、焦点の合わない目で、わたしたちを見つめる。
「そいつが、王家から
びくっとフィルが震えて、わたしにしがみつく。
父にしてもダミアン叔父様にしても、フィルにとっては怖いことには変わらないだろう。
わたしはフィルの肩をしっかりとつかみ、安心させようとする。
そして、叔父様を睨み返した。
「そういう言い方はないでしょう、叔父様」
「事実だろ? 俺を公爵様にしたくないから、何の役にも立たないガキをもらってきたわけだ」
にやにやと、ダミアン叔父様は言う。ひねくれ者の叔父は、公爵家の後継者になれなかったことで、だいぶ荒れているらしい。
気持ちはわからなくもないが……けど、フィルのことを悪く言うのは許せない。
「フィルは何の役にも立たない子なんかじゃないわ。将来は立派な公爵様になるんだもの。フィルは優しいし、頭もいいし、王家の血も引いているし――」
「ああ、ご立派、ご立派。たとえ娼婦の腹から生まれた子でも、王族が生ませたガキには違いねえからな」
わたしは一瞬、頭が真っ白になった。
娼婦の子?
フィルが?
「いい話を王都の知り合いから聞いたのさ。このガキの父親、セシリオ・エル・アストゥリアス親王殿下は、俺と同じでろくでなしらしいぜ。手当り次第に怪しげな女に手をつけ、ガキをぽんぽんと生ませた」
「……それで?」
「で、余ったいらない子どもは、手頃な貴族の家に捨てているわけだ。そこの小僧みたいにな。だが、そんな下賤な母親のガキが公爵様にふさわしいか? もっとマシなやつがいるだろ?」
わたしは言葉を失った。
フィルが実家で「いらない子」と呼ばれていたのも、王族らしくない特技があるのも、それが理由なのかもしれない。
昔の……前回の人生での12歳のわたしなら、もしかしたら、母親の身分が低いフィルのことを見下していたかもしれない。
でも……今のわたしは身分が低くても、優秀で優しくて、素晴らしい子を知っている。
シアだ。
あの子は平民だったけど、聖女に選ばれ、王太子にもみんなから好かれていた。そして、わたしにとっても、たった一人の、本当の友達だった。
公爵令嬢のわたしより、シアはずっと良い子だった
だから……きっと、生まれなんて関係ない。きっと、フィルは叔父様より、そしてわたしより、ずっと公爵にふさわしい。
叔父はへらへらと笑い、父に話しかけていた。
「おい、兄貴。こんなガキがホントに未来の公爵様にふさわしいとでも思ってんのか? 王家の人間たちも馬鹿にしてるぜ。王族にしても、娼婦の子なんかじゃなくて、もっとましなやつを寄越すべきだったな……」
父は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
もしかしたら、父もダミアン叔父様と似たようなことを考えているのかもしれない。
フィルが後継者でなくなったら、フィルはこの家からいなくなってしまう。当然、わたしとも離れ離れだ。
それは……嫌だ。せっかくこんな可愛い弟ができたばかりなのに!
フィルが怯えたように、黒い綺麗な瞳に涙をためて、わたしを見上げる。
「クレアお姉ちゃん……ぼくは……」
わたしはフィルの黒い髪をそっと撫でて、そして微笑んだ。
「いいの、安心して。どんなことがあっても、わたしはフィルの味方で……お姉ちゃんなんだから」
フィルは驚いたように目を大きく見開いた。そして、白い頬を赤くして、「ありがとう」とつぶやいて、わたしにますますぎゅっとしがみついた。
わたしはふたたび叔父に向き直る。
叔父がダメ人間なのを、わたしは責めようとは思わない。わたしには関係のないことだから。
でも……フィルを傷つけるなら、許さない。
わたしは立ち上がり、そして叔父様をまっすぐに見つめた。
「この公爵家の後継者にふさわしいのは、たった一人。フィル・ロス・リアレス……わたしの弟だけなんだから!」
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