第二夜
夏らしい入道雲が浮かぶ朝、私は退院するため身支度を整えていた。
「おはようございます、白井さん。
体調はどうかしら?」
担当の看護師が後ろから私に声を掛ける。
「おはようございます。
やっぱり慣れません」
元々感覚がある人がSCTの手術をすると、感じ方が二重になるという説明を昨日受けた。
一日経っても施術箇所に強烈な違和感を覚える。
「そうよね。
最初は意識の切り替えが難しいみたいだけど、皆さん段々と慣れるから大丈夫よ」
私の悩みはSCT患者によくあることらしく、看護師は軽くあしらって伝達事項を淡々と述べる。
「体調の変化がないようだから、本日退院となります。
それとSCTの効力は受容体が体内から排出されるまでだから、気を付けてね。
大体半年くらいだと思って。
あと最後に、これね」
小さな桐の箱を渡される。
中には綿に包まれた私の感覚が移ったプラスチックの玉。
その中には、ゴマ粒ほどの極小のチップが埋め込まれているらしい。
私はフタを閉め、箱を大事にかばんにしまう。
家へ戻って汗でべったりした体をシャワーで洗い流した後に、自分の部屋でSCTを施したプラスチックの玉を取り出す。
私の新たな感覚器官が外に出たことで、過度な情報が頭に流れて脳内が忙しい。
情報量を抑えるためにそっと目を閉じる。
落ち着きを取り戻した私は手先に視線を落とし、クマの人形にプラスチック製の茶色い瞳を慎重に縫い付ける。
「これでよし」
これからは、このクマの瞳が私の偵察道具になる。
ちょうど夕飯時になったので、私はクマを持ってリビングへ降りる。
台所で冷凍のおかずを解凍していると、車のエンジン音が家の前で止まった。
案の定父の帰宅だった。
玄関の扉を開ける音が聞こえ、しばらくするとリビングのドアが開けられた。
早速父は食卓に載っているクマの人形に気付いて驚く。
「ただいま。
って、クマちゃん!!
ずっと探していたんだよ!
どこにあったんだい?」
「ゴミ箱だよ」
これは事実。
捨てられそうになっていた人形を私が偶然発見した。
「え、そんなまさか……」
「お父さんは片付けが苦手だよね。
私がプレゼントしたんだから、大事にしてよね」
このクマの人形は私が初めて父の日にプレゼントした物らしく、父はとても大事にしている。
「少しきれいにしておいたから」
「ああ!
ありがとう。
取れかかっていた目が直っているね」
バレるとまずいと思い、私はすかさずフォローを入れる。
「あと毛並みもきれいにしたんだからね」
「確かにきれいになっているね」
父は、クマを大事そうに懐へ抱き寄せ撫でる。
「お父さん、家でなくしちゃうなら仕事場に持って行けば?」
「うーん、確かにその方がいいのかもしれないね」
悩んだ父の手に乗せられて、クマのぬいぐるみは自宅の仕事部屋へ連れて行かれた。
その夜、父の仕事部屋の様子がクマの瞳を通して伝わる。
瓶から氷の入ったグラスにお酒が注がれる。
手元では書類をめくっている。
だが、何の書類かは確認できない。
伸びをしてあくびをしている。
書類を片付けて、机の引き出しを開く。
開いた拍子に何かを落とす。
落とした音が部屋に響く。
「しまった鍵が! 引き出しの鍵は大事にしないとな……」
消えそうな声で父はつぶやいた。
それから父は鍵をクマ周辺のどこかへしまった。
私はクマの目から伝わる情報のせいで頭がズキズキと痛んだ。
その日は、痛む頭を休めるために目を閉じ眠った。
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