第三夜


 翌朝、SCTを施した人形の瞳を通してあのクマが父の鞄の中にあることが私に伝わる。

 寝ぼけた頭で研究所に持って行くんだと思った。

 部屋のドアが叩かれ、父の声がする。


未花みか、父さんは仕事に行くから、何かあれば連絡しなさい。

 あ、クマちゃんは、未花の言う通り研究所に持って行くことにしたよ。

 それじゃ、いってくるよ」


「いってらっしゃーい。

 気を付けてねー」


 私は窓から差し込むまぶしい朝日に背を向け、思惑通りに事が進んでいるとほくそ笑む。

 ベッドでうだうだしている私に人形から父が研究所に着いたことが知らされる。

 父に大事にされているクマちゃんは仕事机の一角に置かれたようだ。

 これで私はいつでも研究所の様子が窺い知れる。

 とは言え、すぐに有力な手掛かりが手に入るわけでもないので、冷房の効いた部屋で学生らしく夏休みの課題をこなす。

 そう思っていた矢先だった。

 一人の男性がノックをして父の研究室へ立ち入る。


「所長、かわいい未花ちゃんの健康診断の結果でーす」


齋藤さいとうくん、その格好は何だね!

 ここは職場なのだから派手さを抑えた服装をしたまえ!」


「美しい月でみつきさん……へぇ、未花ちゃんのお母さんですかー」


「何勝手に開けているんだ!

 個人情報だろう!」


 父に怒られた部下と思われる男性はへへと笑い、紙を机に置いてバタバタと逃げ去った。

 クマの前には封筒からむき出しになった健康診断書が置かれる。


 ……美月みつき

 それが私の母?

 この人が私の母なのかを父に今すぐにでも聞きたいけど、SCTの施術をしたことは知られたくない。

 父の心労をこれ以上増やしたくない。

 それに名前だけを知ったところで、話をそらされてしまうかもしれない。

 もっと情報がほしい。

 その思いとは裏腹に、一週間ほど手掛かりを得ることはできなかった。


 これは想定内と割り切り、私は次に会うべき人物のSNSを覗く。

 私はこのキーパーソンのアカウントをなぜか知っており、簡単に居場所を突き止められた。

 おかげで私は次の計画へ進める。



 日没の頃、私は繁華街にある雑居ビルの一室の前にいた。

 金属の薄いドアをコンコンと叩き、中に居るであろう人物に声をかける。


加納蓮かのうれんさんはいらっしゃいますか?」


 すぐに返事はない。

 少しの間、そこに立っていると中から返事がある。


「入れ」


 誰なのかも聞かず、いきなり入れとは不用心だなと思う。

 けれども、言われた通りに入室する。

 加納と思われる人物が、ごちゃついた部屋の片隅でパソコンを前に座っている。


「おい、早く戸を閉めろ」


 加納は振り返らず言う。

 私は体の向きは変えず、後ろ手で扉を閉める。


「用件は何だ?」


「私は白井未花しらいみか

 感覚移行研究所の白井稔しらいみのるの娘です」


「所長の娘が俺に何の用だ」


「母の行方を探していて、父について調べています。

 加納さん、あなたが知っている父のことを教えてください」


 加納は振り向く。

 彼はだらしない印象だが、若いせいか不潔さは感じない。


「俺はとっくに感覚移行研究所をクビになってるし、話せることはねぇよ」


 私は全く聞く耳を持たないこの男にイラつく。

 負けじと言葉を続ける。


「クビになっていることは知っています」


 この男が研究所を追い出されていることは調べ済みだ。

 だからこそ、父に見つかることなく母への手がかりを調べられる。


「所長を調べるのはやめろ」


 つっけんどんな言い方にまた腹が立つ。

 その時、ドンドンドンと扉が乱暴に叩かれる。

 加納はスクッと立ち上がり、私をパソコンが置かれた横の壁まで引っ張る。

 そして、覆いかぶさる。

 彼は私をすっぽりと隠すほどに背が高かった。

 身を軽く屈めて私の耳元で「動かず黙ってろ」とつぶやく。

 動くなと言われなくても、急な事態に頭がついてこない。

 ドアが開けられる。


「加納いるなら返事くらい……って、まぁた女連れ込んでるのか!」


 誰だろうか。

 加納は私を隠したまま、顔だけ後ろに傾ける。


「んだよ。うるせぇな」


「そう睨むなって。

 例の調査結果持って来たからよ。

 その代わり、お・支・払・い、頼むぜ」


「わかったから、早く出て行け」


「おぉ、怖い。

 お楽しみのところ悪かったな。

 今度俺にも紹介してくれよなぁ」


 来客の男はケケケと笑い扉を閉めて行ってしまった。


「ったく。

 お前がここに来たことが分かったら、俺の努力が無駄になるだろうが」


「それって、どういうこと……」


 机の上に『感覚移行研究所』と書かれた資料があったが、加納に取り上げられてしまう。


「お前の父親は怪しい。

 それを調べてたらクビになったんだわ。

 この件からは手ぇ引け」


「嫌です!

 もう打つ手がないんです!」


「めんどくせぇ!

 もう帰れ!

 ここは、おめぇみたいなガキが来る所じゃねぇんだよ!」


「情報提供してくれないなら、あなたがまだ父について調べていることをバラします」


「はぁ……お前な……」


「情報提供してくれるなら、私の知っていることも、これから知ることも共有します」


「チッ……だがな、おめぇの父親の悪事が分かれば、俺は迷わず公表するぜ。

 いいのかよ?」


「いいわよ。

 私の父は悪事なんて働いてないから!」


「そうかよ。

 わかった。

 協力する」


「意外にあっさりなのね」


「正直こっちも手詰まりだったんでな。

 どうせこの調査結果も、ろくな事書いてねぇよ。

 あいつは間違った資料を寄越すこともあるしな。

 ま、とりあえず、今日は帰れ。

 歓楽街の外まで送る。

 お前も帽子とマスクしろ」


「え、ちょっと!

 話は⁉」


「協力はする」


 掛けてあった帽子を私の頭に被せ、使い捨てマスクを手渡す。

 女性物の帽子なのか、やけにサイズがぴったりだった。

 さっき来た男が『また女を連れこんで……』みたいなことを言っていた。

 きっと以前連れ込んだ女性の物だろう。

 私にだらしのない人だと思われているとも知らずに、加納も帽子を被りってマスクをする。

 私達は冷えきった部屋を出て、むせ返る暑さの街へ繰り出す。

 繁華街を抜けると、加納はマスクをずらして言う。


「この辺まで来りゃ平気だろ。

 またこっちから接触するから、待ってろ。

 じゃあな」


 加納は踵を返し、歓楽街へ戻って行く。

 これ以上どうしようもない私は仕方なく駅へと向かって歩き出す。


 

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