第四夜
その後しばらくは加納からの接触もなければ、母についての調べも進展はなかった。
あとできるのは父の仕事部屋に侵入することくらいだが、扉にセキュリティロックがかかっており私だけではどうにもならない。
というわけで、自分から行動を起こそうにも何もできない。
「はぁ。
今日くらいは気晴らしに買い物でも行こうかな」
ノロノロと支度をして、家を出る。
息をするのも苦しいほどの暑さのなか、私は汗を拭きながら電車を待つ。
「よお、やっと一人で出かけたな。
家に引きこもり過ぎだろ」
声の方に顔を向ければ、加納がヘラヘラした顔でこちらに歩いてくる。
しかし、前に会った時よりもきちんとした格好をしている。
「あ!
加納さん!
私ずっと待ってたんですけど!」
「お前なぁ、ずっと家にいたら接触もできねぇだろ」
「それはそうだけど。
それより、なんで私の居場所が分かったわけ!?」
「俺は人様より頭がいいから、何でもできんだよ」
「確かにお父さんの研究室にその若さで入れたのはすごいけど、はぐらかさないで!」
加納は大学を卒業する前に父の研究所に入ったが、わずか数年で退所している。
私とそんなに年も離れていないはず。
「大声出さない方がいいんじゃないか?
俺たちは父親に内緒の仲だろ?」
ニヤニヤ笑う加納に腹が立つ。
こいつは何度も私を怒らせる。
「さて、お前が乗る電車はそっち方面じゃない。
反対側だ」
加納に手を引かれ、私は反対側の電車に乗せられる。
私は自身の手の先にある少し汗ばんだ加納の手を見つめる。
大きい手。
どこかで同じように手を引っ張られたような。
雑居ビルに行った時かな。
余裕がなかった割に覚えているものだと自分に感心していたが、加納がいつまでも手を繋いでいるので指摘する。
「それで、手を離してくれる?
どこに行くのよ」
「誰にも聞かれずに話ができる所」
「分かった。
逃げないから、手を離して」
「んなに怒んなよ」
ようやく手を離したが、こいつは最初会った時から馴れ馴れしい。
怒るのも当たり前だ。
私は一息ついて電車の中を見回したが、電車の中はそれなりに混んでいる。
近くに居たい気分ではなかったけれど、仕方なく二人で車内に並んで立つ。
私は買い物に行くつもりだったから、ヒールのあるサンダルで来てしまった。
こういうサンダルで長時間立っているのはつらい。
そう思っていると隣駅に電車が到着し、加納の目の前の席が空く。
「ほら、空いたぞ。
座れ。
んだよ、その目は。
早く座れ」
思ったよりも気が遣えることに驚いてしまった。
足が痛くなるのは避けたかったので、お礼を言って座らせてもらう。
それから一時間くらい電車に乗っていたかもしれない。
ウトウトする私に、立つ加納が上から声をかける。
「次の駅で降りるぞ」
そう言われて着いたのは、潮の香りがする駅だった。
利用者もさほど多くないこぢんまりとしたこの駅を私は知っている。
私は小さい頃ここに住んでいて、父とよく海に行った思い出の場所。
「俺、ここの海好きなんだよ」
偶然の一致に驚きを隠せず、私は間を置いて同意することしかできなかった。
「……私も」
「そうか。
じゃ、海まで行くか」
少しだけ歩き、海の見える高台から浜辺に下りる。
電車で冷えきった体が、うだるような暑さで溶けていく。
一番暑い時間帯なのもあり、浜辺に人はほとんどいない。
「ここなら誰にも聞かれないと思ったが……」
「「暑すぎる」」
声がそろい思わず笑ってしまう。
「だよな。
とりあえず、あそこの屋根の下だ!」
加納が指さした先には、屋根が付いた休憩スペースがあった。
私も彼に続いて駆け足で日差しから逃げる。
それでも湿度をはらんだ重苦しい暑さに変わりはない。
「暑すぎて話し合いどころじゃないね」
「まぁ、待ってろ」
加納はそれだけを言い残し、どこかへ走って行ってしまった。
置いてけぼりにされた私は、海面に反射する光を眺めて待つ。
その光の中にはしゃぐ幼い私と微笑む父が居たような気がした。
私の意識は遠くに行ってしまっていたが、突然大声で呼ばれる。
「おい、乗れ!」
存在感のある深緑色の車の窓から、加納が私に向かって叫んでいる。
まさか車で迎えに来るとは思わず固まる。
「暑いだろ!
何もしねぇから来い!
話し合うんだろ?」
外は暑すぎて話をするのは無理。
かと言って、涼しくても人がいる所で話はしたくない。
天秤にかけた結果、情報欲しさに助手席に座ることにした。
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