第十二夜

 白井稔しらいみのるの仕事部屋に侵入してから数時間後の昼前。

 雑居ビルの狭いエレベーターの扉が開き、中から若い女が降りる。

 おぼつかない足取りでフロアに一つしかない扉の前まで歩く。

 彼女は鍵がかかっていないかも確認せずに、薄い扉を力任せに押し開ける。

 幸い扉に鍵はかかっておらず、勢いよく扉が開かれる。

 バンッ! と扉が壁にぶつかった音と同時に女性は叫ぶ。


れん!」


 ソファに力なく寝そべっていた蓮はがばっと起き上がり、驚愕の表情で扉を開けた女性を見つめてささやく。


未花みか、無事だったのか」


 気付けば蓮は未花に駆け寄り、彼女を力いっぱい抱きしめていた。

 腕の中で泣きじゃくる彼女の頭を蓮は優しく撫でる。

 未花は蓮に身を任せながら、知ってしまった事実を告げる。


「……私……クローン……なの……」


 蓮は小さな声で知らされた内容に固まる。

 クローンという言葉が、蓮の頭の中で何度も何度も繰り返される。

 そうして彼は一つの答えに到達する。

 未花は記憶を消されていたのではなく、クローンとして何度も蘇らされていた。

 クローンであることを知ってしまった未花は処分され、新しい未花を所長がクローンとして作り出していた。

 だから、蓮と会う度に未花の記憶はない。

 蓮が会った未花は全員違う未花。

 白井所長の犯したおぞましい所業。


 その時、蓮は扉の方から音がするのを聞いた。

 いまだ泣き続ける未花を自分の背中側に移動させ、声をかける。


「そこにいるんですよね? 白井所長」


 その言葉にびくりと体を震わせる未花。

 扉の向こうから息を切らして汗だくの白井稔所長が現れた。


「未花が突然家を出て行ったから、慌てて追いかけて来たんだが……君だったか。

 加納くん」


「寄らないでください」


 歩み寄ろうとする白井所長に対して制止する蓮。

 所長はピタリと足を止める。


「どうしてかな」


「知らないふりしないでください。

 もう未花をクローンの実験台になんてさせません」


 蓮は未花をかばうように所長の前に立ちはだかる。

 所長は驚いた後に、少し困惑した表情を見せる。


「クローンについて加納くんも知ってしまったようだね。

 しかし、未花をクローンの実験に使ったことなんて一度もないよ」


「嘘ですよね。

 じゃあ……どうして未花は俺に会う度に記憶がないんですか……」


 蓮の後ろに居る未花が小さく「記憶がない?」とつぶやく。

 そして力なく床に座り込む未花。

 蓮は床に崩れ落ちた彼女に寄り添うようにしゃがむ。


「そう、俺たちはこれで知り合って三回目なんだ」


 蓮は未花に事実を伝える。


「やはり母のことを調べ続ける未花の背後に居たのは加納くん、君だったんだね」


 納得した面持ちの所長とそれを睨みつける蓮。


「しかしね、二人とも大きな勘違いをしているよ。

 私は未花をクローン実験に使ったことなんてない」


 今まで黙っていた未花が反論する。


「でも私は資料を見た。

 クローン計画の書類が入ったファイルの中に私によく似た『白井美月しらいみつき』という人の写真を見つけた!

 私は美月という人のクローンなんでしょ……」


「違うよ。

 白井美月は未花のお母さんだよ。

 未花は、決して美月のクローンじゃない」


「じゃあ、なんで!

 なんでクローン計画と同じファイルに写真が入ってるわけ!?」


 所長はふふふと苦笑いしている。


「私は片付けが苦手だからね。

 大事なクマを捨てそうになってしまうくらいに片付けが下手だよ。

 それは未花が一番よく分かっているよね」


 そう言われて未花は自分の父を信じるほかなかった。

 所長は諦めの笑みを浮かべる。


「加納くんにまで知られては、もうどうしようもないね。

 少し詳しく話をしてあげよう。

 美月は私と同じ研究者でね。

 実に穏やかな性格で私とも馬が合った。

 私と彼女の間に子供はいなかった。

 なかなか子供ができなくてね。

 私たちは子供を持たないことを選んだ。

 それでも二人で十分幸せだった。

 一片の悔いもなかったよ。

 ただね、それは美月が生きていればの話だ」

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