第十一夜

 俺は未花と別れた後、研究所に人がいなくなるのを待ち、内通者である齋藤さいとうからクマを受け取る。

 俺はその足で駐車していた愛車に乗り、エンジンをかけてエアコンの冷風を強くする。

 暑さが体から引くのを感じながら、クマの中にあると思われる鍵を慎重に探す。

 鍵が入っているような箇所は見当たらないが、人形の腕部分から金属反応がある。

 腕をあちこちから調べてみると、肩に近い上腕の布が若干よれている。

 恐る恐るその部分を引っ張る。

 すると上腕の生地が伸びる。

 実際に伸びたのは、人形の肩口に目立たないように仕込まれたゴムだった。

 そこを引っ張ると、腕の内側に物を入れられるようになっていた。

 パンパンに中綿が詰められているので指はスムーズには入らなかったが、すぐに未花が言っていた鍵に触れた。

 すかさず未花に連絡しようと思うが、もう2時を過ぎていて躊躇する。

 だが、もし俺と同じなら緊張で眠れずにいるだろうと思い、鍵を見つけたことを知らせる。

 ものの数分もしないうちに返事が来る。


『ありがとう。眠れない』


 やっぱり俺と同じだったか。

 俺は自分に言い聞かせるつもりで返事をする。

 その後未花から返事はないので、眠れたのだろう。

 俺は人形から鍵を取り出すのは後回しにする。

 未花のSCTが施されている人形にあまり触りたくなかった。

 それがいくらクマの瞳だけだったとしても、もしも壊れてしまったら未花の目が永遠に見えなくなってしまう。

 それだけは絶対に避けたかった。

 鍵は明日の朝になってから取り出そうと結論を出し、俺はひとまず車を未花の家方面へと運転することにした。


 もう何度確認しただろう。

 俺は未花の家から十五分ほどの場所で、所長の車の監視システムを一晩中嫌になるほどPCで見直していた。

 やっと朝日が出てきた。

 もう未花は起きているだろうかと思い、連絡をしてみる。

 返事もほどなくして来た。

 それをチェックしてから、俺は予定通り未花の家の近くまで車を動かす。

 所長の出勤ルートから外れた駐車場に車を停め、クマの人形から慎重に鍵を取り出す。

 ところが一本だと思っていた鍵が、取り出してみれば三本もあった。

 予想外のことではあったが、未花が確認する時間はあるはずだ。

 平気だ、問題ない。

 計画決行の時間が近付いてきたので車を降り、未花の家が見える所でこっそり様子を伺う。

 朝だというのにじっとりとした湿度と暑さが俺にまとわりつく。

 俺はそれを気にせず、意識を未花の家の玄関に集中させる。

 ややあって所長が玄関を開き、俺に気付くことなく車で出発した。

 俺は所長の車が見えなくなったところで、家まで走る。

 ちょうど未花が玄関を開け、少し遠目から俺に挨拶をする。


「おはよう」


「ああ、おはよ。

 これがクマと鍵なんだが……」


 俺が鍵を差し出すと、未花の動揺が手に取るように分かった。

 それに俺の指示も全く聞こえていない。

 緊張しているのか顔色も良くない。


「未花。

 おい! 未花!

 こっち見ろ」


 俺が何度も呼んでようやく未花は顔を上げた。


「大丈夫か?

 今ここでやめてもいいんだぞ?」


 未花は明らかに緊張していた。

 俺を覚えていてくれるなら、またやり直しもきくだろう。


「大丈夫!

 ここまで来て引き下がれない」


 俺の弱気な発言を跳ね返すかのように、未花の瞳からは強い意志を感じた。

 彼女の決意を無下にはしたくはなかった。

 俺は心配しながらも、ここを離れることにした。


「無理はするな。後でな」


 俺は未花を抱きしめたい衝動を抑え、肩を叩いて彼女の元から去った。

 これが彼女と会う最後になってしまうかもしれない。

 だが、感傷に浸っている時間はない。

 俺は車に戻ってすぐにPCを開き、所長の車を追尾するシステムを開く。

 所長が真っ直ぐ研究所に向かっているのを確認する。

 直後、未花からセキュリティ解除成功の連絡が来る。

 暗証番号は変わっていなかった。

 よかったと安堵し、このまま上手くいってくれと願う……が、その思いを打ち砕く警報が鳴り響く。

 所長の車を追尾するシステムからの警報。

 それは所長が家に戻って来ることを意味していた。

 まさかと思いPCに目を走らせるが、所長は間違いなく戻って来ている。

 やられた!

 扉が開くと所長に通知がいくようになっていたんだ!

 クソクソクソクソクソッ!

 俺は気が動転したまま、未花に電話をかける。


「所長が戻って来てる!

 もう戻ってくるまでに二、三分しかない!

 クマも鍵もそのままにして、今すぐ出ろ!」


 未花は分かったとは言っていたが、通話が切れた後は不安しか残らなかった。

 刻一刻と所長が仕事部屋に迫る。

 早くしろ未花!

 俺って奴はどうしてこんな簡単な事にも気付かなかったんだ!

 自責の念に苛まれる。

 だが、まだ失敗に終わったわけではない。

 わずかな可能性が残っているなら、俺もここに居るべきではない。

 所長の悪事を暴いて未花を救い出すためには、所長に俺の存在が分からない方が良い。

 それに俺はあの雑居ビルの一室で待つと約束した。

 最後に未花に電話をかける。

 だが、出ない。

 俺も長居はできない。

 どうすることもできず、俺は最悪の状況で車を発進させて未花の家を後にした。


 何とか来た道を車で戻り、仕事で使っている雑居ビルまでたどり着く。

 俺は事務所のソファに倒れ込み、途方に暮れる。

 俺が未花を救う?

 笑えるな。

 今頃クマの目にSCT施したことも、部屋に侵入したことも所長にバレているんだろうな。

 そうしてまた所長の人体実験の犠牲になるんだ……。

 俺は後悔の奥底まで沈んでいく。


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