第十四夜

三人は白井稔しらいみのる未花みかの自宅に戻って来た。

この家に住む二人は真っ直ぐ家に入ったが、れんはすぐには入らず辺りを見回す。

そんな蓮に所長は声をかける。


「大丈夫。

誰も待ち伏せなんてしていないよ。

私は君に手伝ってほしいことがあるんだ」


蓮は疑いの目を所長に向けつつも、仕事部屋に同行する。

が、部屋はひどく荒れていた。


「あまりに動揺してしまってね。

落ちていたクマの人形にも気付かず踏んでしまうほどで……情けないことだよ」


床に落ちているクマの人形の瞳は粉々に砕けている。

未花はクマの瞳が父に踏まれて壊されたのだと分かった。

一方蓮は、この時初めて瞳が破壊されてしまったことを知った。

蓮は怒りに任せて所長の胸倉をつかみ、荒い語気で迫る。


「おい!

クマの目には未花のSCTが施してあったんだぞ!」


「蓮!」


咄嗟とっさに未花が二人の間に立ち、蓮の掴みかかった手に触れてやめるよう促す。

蓮は手を緩めて所長から手を離す。

未花は彼を落ち着かせるために目は見えることを教える。


「私は大丈夫。

目は見える。

クマに移してた感覚は右の聴覚だったの」


「大丈夫じゃねぇだろ!

右耳が聞こえなくなってんだろ!」


蓮は怒りそのままに未花にも怒鳴りつける。

未花がビクッとしたのを見て、蓮は小さく「ごめん」と謝る。

そのやり取りを受けて、所長は気まずそうに口を開く。


「申し訳ない。

一番謝らなければいけないのは私だ。

縫い直された人形の目にSCTが施してあると気付いたのは、壊した後だったんだ」


蓮は落ち着きを取り戻すために目を瞑り、こめかみを手で抑える。

そのまま息をふぅと吐き出した後、目を開いて所長の目を見据えながら言う。


「所長は、未花の聴覚を奪い取った罪を一生背負って生きてください」


「返す言葉がないよ」


重苦しい空気が流れる。

いたたまれない未花はその雰囲気を壊すように、父に記憶を戻すよう願い出る。


「私の記憶をお願い、お父さん」


父は首を縦に振り、了承する。


「そこの医療ポッドに横になってくれるかい」


未花は言われた通りに医療ポッドに横たわり、処置の準備が進められる。

麻酔をかける前に父は未花に話しかける。


「全部元に戻すからね」


未花は父の呼びかけに微笑み、麻酔で眠りに落ちる。

白井所長は麻酔が効いたことを確認して、一歩下がった所で注視していた蓮に声をかける。


「加納くんが怒るのも無理はない。

私がしてしまった全ては褒められたことではない。

けれども、未花を幸せにしてやりたいという気持ちは私も君も同じはずだよ」


「都合がいいですね」


未花の記憶が保存されている引き出しの鍵を医療ポッドに差し込みながら所長は答える。


「そうかもしれないね。

それでも、未花を幸せにしてやりたい気持ちがあるなら、私に協力してほしい。

未花に記憶を戻し終わったら、私の聴覚を未花に移して欲しい。

移した後はリンクを切ってくれ。

そうすれば受容体が排出された後もずっと、聴覚は未花だけのものになる。

君にしか頼めないんだ。

頼む」


作業の手を止め、蓮に向いて頭を下げる所長。

しかし蓮は、その提案を素直には受け入れない。


「未花はそれを望まないかもしれないし、気に病むかもしれない」


所長は下げていた頭を上げ、蓮に問いを投げかける。


「それは重々分かっているよ。

そうだったとしても……君も未花の聴覚が戻ってほしいだろう?」


所長のノーと言わせない問いに蓮はため息交じりに答える。


「ずるいですね、所長。

俺だって未花の耳が聴こえるようになってほしいです。

わかりました。

協力します。

どうやってやるんですか」


蓮の返事を聞き、所長は伏せ目がちに「ありがとう」とささやいた。

それから蓮は所長から聴覚を復元する手順を教わる。

時折蓮は説明を聞いては驚いてはいたが、蓮の理解の早さは凄まじく所長は舌を巻いた。


「さすがだよ」


「いや、これを一人で考え出して確立した所長がすごいですよ」


蓮は所長の偉業に感銘を受けていた。

彼は尊敬のまなざしを所長に向け、やはり自分の見る目は確かだったと思った。

内心を知ってか知らずか所長は、蓮に期待の言葉をかける。


「君にもできるさ。

さあ、記憶の方が終わるからよろしく頼むよ」


所長は未花の記憶を戻す作業を終えた後、仕事部屋にあるもう一つの医療ポッドに横になる。

蓮が準備を進めて聴覚を移行する施術に入る。


「始めますよ」


「加納くん……もしも私に何かあった時は、未花を頼むよ」


「そんなことにはなりませんが、任せてください。

お義父さん」


互いにフッと笑い、蓮は所長に麻酔をかけた。

彼は教わった通りに淡々と作業を進め、無事聴覚の移行も終える。

夕闇が迫り、部屋の中は薄暗くなっていた。

二人が目覚めるのを待つ間、蓮はもう会えないと思っていた未花の手を握る。

クーラーせいか彼女の手はほんのり冷たい。


「俺は未花を救えたか?

これからも俺はどんな時だってお前を救うから」


蓮の誓いは誰にも聞かれることなく静寂に消えた。


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