第九夜

「よお、やっと一人で出かけたな。

家に引きこもり過ぎだろ」


俺は見知ったポニーテールの小柄な女子に声をかける。


「あ!

加納さん!

私ずっと待ってたんですけど!」


未花は暑さのせいか苛立っているので、俺は彼女をなだめる。

だが上手くいかず、未花は俺が彼女の行動を把握しているのを怪しんでいる。


「確かにお父さんの研究室にその若さで入れたのはすごいけど、はぐらかさないで!」


実は俺は彼女のスマホの位置情報を持っていた。

しかし言っても分からないだろうし、適当にぼかしておく。


「大声出さない方がいいんじゃないか?

俺たちは父親に内緒の仲だろ?」


何回も会っているせいで、ついつい以前のノリでふざけてしまう。

今の未花にはそれは通じない。

怒らせてしまったようなので、話を変える。


「さて、お前が乗る電車はそっち方面じゃない。

反対側だ」


手を引っ張り、ちょうど来た反対側の電車に乗り込む。

今年の春に未花が昔住んでいた付近の海に二人で行った。

あそこは静かな海だった。

誰にも聞かれずに話し合うにはぴったりの場所だろう。


「分かった。

逃げないから、手を離して」


「んなに怒んなよ」


人に話を聞かれない場所に移動することには同意してくれたが、未花は手を離さなかったことに怒っている。

今の未花が怒るのは当然なのだが、そんなに拒絶しないでほしい。

目の前の席が空き、俺は未花の足元がヒールの高いサンダルなのを確認する。


「ほら、空いたぞ。

座れ。

んだよ、その目は。

早く座れ」


俺は去年の夏に未花を連れまわして怒られたことを思い出す。

『ヒールは疲れるの!』とか言ってたので、今回は座らせる。

1時間くらい電車に揺られ、もうすぐ駅に着く。

眠そうな未花に声をかける。


「次の駅で降りるぞ」


潮風の吹く駅に降り立てば、未花は驚いている。


「俺、ここの海好きなんだよ」


俺の発言に未花は声も出ないほど驚いていて、俺は少し言い過ぎたなと後ろめたさを感じる。

未花はぽつりと短く応じる。


「……私も」


「そうか。

じゃ、海まで行くか」


浜辺まで行くものの、春来た時とは違って暑くて話などできそうにない。


「ここなら誰にも聞かれないと思ったが」


と俺がため息交じりに愚痴れば


「「暑すぎる」」


未花も俺の言葉とシンクロして不満を口にした。

ただ声がそろっただけで笑い合う。

今の俺には、それだけで十分嬉しかった。


「だよな。

とりあえず、あそこの屋根の下だ!」


俺は屋根が付いた休憩スペースまで走った。

ここは懐かしい。

前回来た時、未花が浜辺で水がはねて濡れてしまった。

春の海はまだ冷たく、寒くて震える未花を俺がここで温めてやった。


「暑すぎて話し合いどころじゃないね」


「まぁ、待ってろ」


俺は近くに停めておいた旧型のチェロキーまで行く。

愛車のエンジンをかけ、車内の温度を下げる。

駐車場の支払いを済ませ、未花が待つ場所まで急ぐ。

未花の居る休憩スペースのすぐそばの路上に車を停めるが、未花は俺の存在に気付かない。


「おい、乗れ!」


まぶしい海を注視している未花に俺は車内から呼びかける。

車で来るとは思わなかった……って顔してるな。

さすがに会って二度目の男の車に乗るのは怖いよな。

もう何度も会ってるんだがな。

どうにか車には乗ってくれたが、未花に脅迫まがいの言葉を吐かれる。


「何かしたら、即行でお父さんにあんたが調べてるのバラすから」


「だから、しねぇって。

それに、あんたじゃない加納蓮だ。

知ってるだろ?

蓮でいいぞ」


「蓮……ね。

私のこともお前って呼ぶのやめて」


「はいはい、未花」


ようやく名前で呼び合える。

俺の思いとは真逆で未花は俺を警戒している。

俺は所長が俺たちの位置を把握していることを伝えたが、未花は信じたくないようだった。


「あんた……蓮と違ってお父さんはそんなことしない」


俺だって尊敬する所長のことを疑いたくなんてない。

だが、所長以外にあり得ないんだ。

未花の記憶を消しているのは。

俺はそれについて答えることはできず、話を続ける。


「今から未花の最寄り駅まで戻る。

ルートは基本的に線路沿いを走るつもりだから、バレないはずだ。

あとは、適当に嘘でもついとけ」


「蓮、適当すぎ」


記憶をなくす前にも『適当すぎ』って言われたな。

やっぱり未花は未花だ。

俺は思わず笑う。


「お父さんについて話してくれる?」


さて、どう答えたものか。

オブラートに包んで答えるしかない。

できるだけ核心に触れないように話すが、それは難しいようだ。


「怪しい事って何」


と未花に聞かれれば答えるしかない。


「人体実験」


俺が伝えられるのは、ここまで。

口が裂けても未花を使って人体実験しているとは言えない。


「え……」


「巧妙に隠してて証拠はないがな」


事象は経験しているが、確固たる証拠だけが掴めていない。

俺が未花に所長を疑い始めた理由も話したところで、目の前の信号が黄色くなり俺は減速する。


「んで、未花の情報は?」


赤信号で止まる。

今までの未花なら大した情報は持っていなかった。

今回はどうだ?


「私は、SCTを施して偵察してる。

お父さんが大事にしてるクマの人形の瞳にね」


今までと大きく違って度肝を抜かれる。

感心できないやり方ではあるが、引き換えに意味のある情報は手に入れられた。


「そうか。

仕事部屋は調べたのか?」


「ううん、ドアに暗証番号のロックがあって開けられない」


 扉のセキュリティロックが変わっていない?

2回目の時にバレなかったのか。

なら、前に調べた4ケタの暗証番号が使えそうだな。

念のため暗証番号の確認はするが、手間が省けた。


「そのセキュリティ、俺が突破してやろうか?」


「え、そんなことできるの?」


「俺は天才だからな」


「お父さんには劣る」


実際未花の父親との勝負なのかもな。

だが、俺を応援してくれよ。


「言うね。このファザコンが。

んで、その重要そうな書類ってのは、どこにあるか分かるのか?」


「書類は引き出しにあると思うんだけど、鍵がある。

それがどこにあるか分からない」


新しい情報だ。

会話から鍵がクマの人形の中にあることも分かった。

これで証拠を手に入れる道筋がついた。

それから到着まで前のように会話をした。心が満たされていく。


「よし、最寄り駅まで着いた。

降りる前にこれを持って行け」


俺は渡すか迷っていたスマホを差し出す。

これが所長の手に渡ってしまえば、俺の存在が明るみに出てしまう。

だが、俺は今回で確かな証拠を手に入れられると判断した。

いや、そうなって欲しいと願ったのかもしれない。


「次は、これで連絡する。

早く下りろ。

誰かに見られるぞ」


「うん、また」


俺は車を発進させる。

これからやる事が山積みだ。

まずはクマの人形について調べてみるか。

様々な算段を立てて、俺は未花にメールを送る。


『今日はお疲れ。1週間後、会えるか? 場所は任せる』


俺が未花の返信に気付いたのは翌日の昼過ぎだった。

場所を決め当日を待つ。

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