第2話 リトルプリンセス

 「お祖父ちゃーん!ただいまぁ〜。」

七実が靴を脱ぎながら玄関を上がると奥の部屋から、「おかえりなさい。」と優しい声がした。七実のお祖父ちゃんの声だ。

七実はいつもお祖父ちゃんからおかえりと言われると何故だかとっても安心した気持ちになった。

 奥の部屋からお祖父ちゃんが出てきた。

お祖父ちゃんは細身の長身で、丸眼鏡をかけていている。

基本的にはそんなにファッションにこだわりがあるタイプではないが、基本的に綺麗好きなので自分でワイシャツにアイロンを掛けたり、靴を磨いたりと身なりに清潔感があるので、それが何となくお洒落に見えた。

また背筋も真っ直ぐ姿勢が良いので、年齢よりも若く見えた。

七実はそんなお祖父ちゃんが大好きだった。また、ずっとこの街で開業医として小児科を営んでいるお祖父ちゃんをとても誇りに感じていた。

「やぁ。お誕生日おめでとう!もう17歳なんて、この間まで本当に小さな女の子だったんだけどなぁ。なんだか、また背も伸びたんじゃないか?」

七実は少し照れ臭そうに「お祖父ちゃん。また、それー!私だって少しは成長してるんです!いっつも同じ事ばかり言うよね〜。」

お祖父ちゃんも少し照れ臭そうに頭を掻きながら、「そうだったかな。ところで七実。七実の好きなラ・ブリエールのアレ買っておいたから早速ティータイムにしないかな?」と七実を誘った。

お祖父ちゃんにとって孫と過ごす時間は何よりもの癒しなのだ。

ラ・ブリエールとは近所のケーキ屋の事で、アレとは七実がラ・ブリエールのスイーツの中で一番大好きなリトルプリンセスと言うネーミングのケーキだ。

リトルプリンセスは苺が旬な時期の限定品でラ・ブリエールこだわりのスポンジ生地に口溶けの良いレアチーズが乗っかり更にそのレアチーズを包み込む様に甘くてジューシーな苺が沢山のっている円形のケーキだ。

ラ・ブリエールで取り扱っている食材は全て素材にこだわっていて、店主が、自ら産地を訪れ選んで来た食材を使っているのだ。

ラ・ブリエールはお祖父ちゃんの同級生が営むお店だ。実はこの店の面白いところが、ケーキ屋だけをしている訳ではなく、店舗の半分はケーキ屋でまた半分は酒屋をしているのだ。

どうして一つの場所で二つの店舗を構えているかと言うと、元々パテシエ修行をしていた奥さんと、家業を継いで酒屋を営む旦那さん、その二人が結婚して、それを機に一層のこと一つで二つ美味しいものを提供しようと言う事でその様な形になったのだ。

奥さんも旦那さんもお祖父ちゃんの同級生で二人ともとっても気さくで地元民から愛されている店だった。

最近は息子がケーキ屋の方を継ぎ、また新たな感性でどんどん新しいケーキを作っているので、お店を訪れる人々を楽しませ、日々お店は賑わっていた。

誕生日や結婚記念日、様々なお祝い事に合わせて、お客様からイメージしたケーキを作り、そしてケーキや食事に合うお酒を選んでくれる。

人生の幸せな一場面に寄り添ってくれる。そんなお店なのだ。

 二人は家のリビングへと進んだ。

七実はリビングに入るなり冷蔵庫を開けてケーキを取り出して、お祖父ちゃんとティータイムにする準備を始めた。

お祖父ちゃんは紅茶の茶葉をティーポットに入れてお湯を注ぎながら切り出した。

「七実、その、今日の学校での先生とお母さんとの話し合いはどうだったか?」と少し心配そうにお祖父ちゃんが七実に聞いた。

七実は数日前から今日の個別面談が嫌で気が重い事を、ずっとお祖父ちゃんに愚痴っていたのだ。

七実は良くぞ聞いてくれたと言わんばかりに答えた。

「それがさぁ〜。結局なんにも決まらないで終わっちゃってさぁー。先生が母さんや、お祖父ちゃんみたいな医者か看護師目指したらどうかって言ったんだけど、母さんたら、うちの子は看護師とかは興味が無さそうです。とか言っちゃって全然話が進まないで終わっちゃったの!お祖父ちゃんどう思う?!いっその事こと、母さんが看護師になれば?とか言ってくれれば、それでも良いかって思えるかも知れないのにさ!」

お祖父ちゃんは少し笑って七実に言った。「七実。お祖父ちゃんも琴音さんの言ってる事は分かるけどなぁ。その、母さんは七実には七実の好きな事をやって欲しいと思っているんだろうね。」

琴音は七実の母さんの名前だ。

そして、お祖父ちゃんは続けて七実に諭すように話した。

「それに医者や看護師は人の命に関わる仕事だから、とっても大変な仕事でもあるんだよ。それは一言で言い表せない程大変な事だ。」

七実はお祖父ちゃんの言う事をぼーっと聞いて、またいつもと同じ事を言ってると思った。この手の話のやりとりは、もう何年も前から何回も行われているのである。

そして、七実は「分かったよ〜。お祖父ちゃん、午後診療が始まるよね。早くケーキ食べちゃお!もう待てない!!」と言うとお祖父ちゃんは「そうだね。よし!」と2つのティーカップに紅茶を注いだ。

部屋中が紅茶の良い香りで包まれた。少し渋みのある紅茶とケーキの甘味が絶妙に合って、七実はとっても幸せな気分になった。

スイーツでこんなに幸せ感じれるなんてラ・ブリエールのケーキって本当に凄い!!

七実は一口一口味わいながら食べ進めると、リトルプリンセスがいつもと違う事に気が付いた。なんとレアチーズの中にトロトロの苺ソースが入っていたのだ。

ラ・ブリエールのケーキは時々作り手の気分でアレンジが加わる事があるのだ。

それがいつもと違うドキドキ感を与えてくれるので、多くのファンの心を掴んで離さないのである。

お祖父ちゃんも苺のソースに気付いた様で「七実!今日はラッキーだね。誕生日仕様だ。」と興奮していた。

「そう言えば、せがれさんがここにケーキを届けに来てくれた時に、今日のリトルプリンセスの感想聞かせて下さいって言ってたけど、きっとこれの事だな。」

お祖父ちゃんは診療時間以外の時間は殆ど家に篭っていて常に論文や書籍を読んでいるので、そんなお祖父ちゃんの為に時々ラ・ブリエールがスイーツを配達してくれるのだ。

「そうだったんだ。感想はもちろん、最高でした!って伝えておいてね。それにこの紅茶めちゃくちゃ美味しいんだけど!」

七実が興奮気味に言うと、お祖父ちゃんは「だね!今日のこの紅茶もケーキと一緒に届けてくれたんだよ。リトルプリンセスにすっごく合うんだって言ってた。」と答えた。

七実とお祖父ちゃんはケーキと紅茶で極上のティータイムを味わいながら、日々の色々な話をしていた。

そして、病院の午後診療が始まる時間になったので、お祖父ちゃんはゆっくりと立ち上がって七実に言った。

「じゃあお祖父ちゃんは午後診療に行くから七実はゆっくりして行きなさい。あっ!それとケーキ1つ残ったのは琴音さんのだから帰る時に持って行ってね。」

そう七実に伝えるとお祖父ちゃんは白衣を羽織り病院の方へ歩いて行った。

自宅兼病院になっていてお祖父ちゃんの家と病院は渡り廊下一本で繋がっているのだ。

七実はお祖父ちゃんを見送ると椅子から立ち上がった。そしてリビングを出て、父さんの部屋へ向かった。

お祖父ちゃんの家には父さんが幼い頃から使っていた部屋が今も残されているのだ。

 

 さっきも言ったが、お祖父ちゃんの病院は自宅と一緒になっていて、広い敷地に平屋の造りになっている。

病院から一本の渡り廊下で自宅と繋がっていて、行き来する事ができるのだ。

病院も自宅も木造作りになっていて、病院はここ数年でリフォームをしていて、陽の光が入りやすく設計されていて、また大きな窓から庭の大きな桜の木が良く見えるようになっていた。春には満開の桜を見る事ができるのだ。

具合が悪くなってしまい、治療を受けに来る子供を少しでも癒したいと言うお祖父ちゃんの願いが滲み出ているお祖父ちゃんこだわりの病院なのだ。

 七実はお祖父ちゃんの家の中で一番のお気に入りの部屋へ入って行った。

七実の父さんが幼い頃からずっと使っていた部屋だ。

洋風造りの部屋で陽当たりが良く、また窓を開けると、とても良く風が入って来た。

その部屋にある机はお祖父ちゃんのお父さんが使っていたと言う、かなり古い物で、だけどお祖父ちゃんのお父さんが一目惚れで英国から取り寄せをして購入したと言うこだわりの机だった。

焦茶色のビューローで、使わない時は折り畳む事もできた。古くても長年使い込まれたビューローは良い色合いで、また部屋にしっくりと馴染みとても良い味を出しているのだ。七実はこの机の上で宿題をしたり、何か考え事をするのが好きだった。

だけど、この部屋の中で一番の七実のお気に入りは床から天井まである大きな本棚だ。

とても大きな本棚だけど、1mmの隙間も無いほどにギッシリと本で埋め尽くされているのだ。

医学書は勿論のこと、小説や色々な図鑑、絵本、統計学の本、洋書などジャンルも幅広いのだ。

お祖父ちゃんも父さんも本が大好きで、二人とも読み漁って行くうちにこんなに沢山の本がこの本棚に集まってしまったのだとお祖母ちゃんから聞いた。

 お祖母ちゃんは、お祖父ちゃんと同じように七実にとって、唯一甘えられる優しいとても大事な存在だった。

父親記憶が無い七実に唯一、父さんの事を色々話して、まるで物語の様に聞かせてくれる掛け替えの無い存在だった。

しかし、そんな大切なお婆ちゃんは一昨年の冬に心臓の病で亡くなってしまったのだ。

七実は大好きなお祖母ちゃんの死を受け入れたつもりだが、未だに心のどこかに穴が空いてしまった様な何か修復できない様な空虚さを抱え、それが時々寂しさの渦となって七実の心を埋め尽くしてしまう事があるのだ。

まだ17歳になったばかりの七海にはその現実を受け入れきれていないのだ。

そんな自分でも扱い切れない言葉に出来ない気持ちが心の奥底へ溜まって行くのだ。

いつか、時間が経ち、七実が大人になれば、お祖母ちゃんの死と向き合う事が出来るのだろうか、それともこうした痛みに慣れて行く事が大人になると言う事なのか、また誰しもがこんな思いを抱えながら他人に悟られない様に生きているのだろうかと考えてしまうのだ。

そう言った言葉にできない感情に扉をつけて鍵をしてしまった。

そして、その扉へ背を向けて遠ざかる。

 七実はこのビューローと共にある座り心地の良いクルミの木で作られた深い茶色の色合いの椅子に深く座り、窓からぼんやりと空を見上げていた。

窓から優しく風が入って来て、お祖父ちゃんの家の庭に咲いている薔薇の香りを運んできた。

七実はその香りで心が癒される様なリラックスした気持ちになり、次第に心地の良い眠気に誘われた。

七実はボーとしながら本棚に目を向けた。

すると、一冊の絵本が目に止まった。

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