魔法少女に助けられた
二酸化酸素
第1話 罪
「す、すごい正義の心ですね!あ、あの、魔法少女とかに、興味…ありませんか…?」
絶望に打ちひしがれている彼の背中から、オドオドした話し方には似合わない甲高いい声が聞こえてきた。
鍵は閉めているはずなのにどこから入ってきたのかと考える少年は、勧誘の内容の全てに疑問を持った。
「魔法少女…何を言ってるんだ?」
「ええと、その、あなたには、強い正義の心が見えるので、それで……」
オドオドした声が聞こえなくなるほど曇っていく。いかにも自分に自信がない人の声、と言った感じで妙に彼の癪に障る。
「えと、今この星には、私たちの仲間が攻めてきているんです。……いえ、もうすでにこの星を攻撃しています。地球人の皆さんにはバレないように。で、でもこんなこと、間違っていると思うんです。お互いに共存する道も、きっと…! 」
私たちの仲間? 地球を攻撃?
あまりにも現実離れした単語ばかり出てきて、危うく思考が止まりかけた。
何を言っているかは理解できない。
「魔法少女」なんて小学校低学年の女児でも信じていないかもしれないのに。
今でも彼の頭は考えることを拒否している。
けれどもたった今、大切な人を失った彼は、自分が生きるための理由が欲しかった。
「……わかった。俺も協力しよう。君の仲間から、この星を守るために。」
彼が声の主のいる方向に振り向くと、そこには重力に逆らってふわふわと浮くぬいぐるみが居た。
比喩ではなく本当に。
例えるならば、ぬいぐるみのようにファンシーな見た目。大きさも、クレーンゲームで取れる物と同じだ。
おそらくは兎がモチーフのぬいぐるみは、彼の顔を見るなりはっと驚いた顔をしてから、ふわふわの頭をかわいらしくペこりと下げた。
「え……男の人!? ご、ごめんなさい。その、女の子だと勘違いして。い、今話したことは、忘れてください!! 」
(なん…で? お前から言ったんだろうが。守るための力を与えるって。この腐った世の中を変えることの出来る力が……! 手に入ると思ったのに!!)
どこかへ飛んで逃げようとする宇宙人の首を掴んで力を込める。
生き物の断末魔が電気のついていない薄暗い部屋に響いた。
彼は今日、初対面の宇宙人を殺した。
夜が明けた。
罪のない命を奪ってしまった事が、頭の中にこびりついて離れない。最期の断末魔は、今なお鮮明に脳裏に流されている。
カーテン越しに差し込んできた日光が、昨日の非現実的な出来事から、変わらない日常に無理やり戻そうとしてくる。
学校は……今日は行く気になれない。
「ドンドンドン!!!」と、乱暴に玄関のドアを叩く音が耳に届いた。
あやふやな意識が、力強いノックで無理やり覚醒する。
手のひらに嫌な感覚を覚えて、恐る恐る見てみると、宇宙人から流れ出た紫色の血が、彼を罪から逃がさないためかのように全身にまとわりついていた。
力無く動かないぬいぐるみを、居間のテーブルの上に壊れないように優しく置き、着替えを取りに自分の部屋まで急いで戻る。
着替えている最中にも、玄関では、銃声のように大きいノックが鳴っている。そこまで怒らせるような事をしでかしたつもりは無い。
弱々しい足取りで、騒がしい玄関へ向かった。チェーンを外し、鍵を開けて、ドアノブを回して、ドアの向こうにいる人物と対面する。
ドアの向こうには、この少し古くて大きなアパートの大家である吉岡さんが、怒りを露わにして佇んでいた。
「ちょっと君彩さん! 昨日の夜の叫び声、近所迷惑ですよ! 何があったんですか! 」
大家である50代の女性は、早口で君彩に迫ってくる。
何をしていたか、なんて言えるはずが無い。
初対面の宇宙人を殺してしまいました、と言った日には、おばちゃん特有の広い情報網の中から腕の良い精神科医を勧められるだろう。
「ええと。怖い映画を見ていて、びっくりするシーンがあったので。ご迷惑をおかけしてすみません。」
丁寧に嘘を伝えると、パーマの頭がゆっくり近づいてきて、君彩に疑いの目を向けてくる。
「本当かしら。じゃあ今、家に上がって調べてみても何も問題ないわよね?」
それだけは許可する訳にはいかない。家にはあの死体も、死体から流れ出た血もまだ残っているというのに。
ここで狼狽えたり必死に言い訳すると、余計に怪しまれてしまう。
「ええ、構いませんよ。やましい事は何もしていませんので。」
穏やかに、嘘を悟られないように入室を許可した。
おばちゃんは相変わらず君彩を疑っているようだ。心の中では引いて欲しいと願う、君彩の思いとは裏腹に。
「まあ分かったわ。それじゃあ、お邪魔させてもらうわね。」
(駄目……だったか。しょうがない、罪には罰が与えられるべきだ。受け入れるべきだな。)
大家さんの手がドアノブにかかりノブを回してドアを開けると、
「あら、吉岡さん。お孫さんをお送りする時間は大丈夫なのですか、もう8時になりますが。」
突然。
吉岡さんは、少女に呼び止められた。口振りからして2人は知り合いなのだろうか。
「もうそんな時間なの!? ええと、君彩さん!次から気をつけるように!!」
彼に注意だけすると、吉岡さんは50代とは思えない速度でこの場から離れていった。
君彩と少女だけがこの場に残った。銀の髪に赤の瞳の、改めて見るとかなり人間離れした美貌の持ち主だ。
一体何人の男達がこの女神の前に砕け散ったのだろうか。
「ご苦労様です。mpt@'gmw。作戦の進み具合はいかがですか?」
目の前にいる少女から、意味不明な単語が吐き出された。謎の単語のせいで言葉の詰まっている君彩を、少女は心配そうな目で見つめている。
「あ、こちらの配慮が足りていませんでしたね。すみません、長い間この星で過ごしてきたあなたには、この星の言葉で話した方がよろしいですよね。」
この星。そう言っていた、君彩が殺したあの宇宙人の姿が頭に蘇る。
(まさか、同族なのか? あのぬいぐるみと、目の前の少女が? )
長時間喋らなかったことが原因で、少しずつ少女の目が、君彩を訝しんでいるものに変わっていく。
「どうしたのですか? そんなに今のヨシオカサンが恐ろしかったのですか? 」
「ぃ、いや、そういう訳では「それとも。」
君彩の話をさえぎって、少女が発言権を得る。
周囲の気温がぐっと下がった気がした。
君彩の中の生存本能が、今すぐ逃げろと警告する。
「あなたは本当に…mpt@'gmwなのですか?」
少女が空間をデコピンで弾くと、横に寝そべった竜巻が君彩に突進して来る。出てきた風の砲撃が、君彩を横殴りにアパートの壁に叩きつけた。
大きな音がこだまして廊下に響く。
呻き声を上げながら、君彩は床に倒れこんだ。理解不能な攻撃に理不尽に殴られて、抵抗することも許されない。
しょうがないとは頭で分かっていた。うさぎがライオンに挑み、敗北しても誰も責めることはない。
それでも、何も出来ない自分が憎い。今も力に屈している、自分の無力さが憎い。
(ふざけるな。まだ何も果たしていない!死ぬ訳には……)
風を生み出した少女は、アパートの廊下をゆっくりと歩いて、痛みで身動きの取れない君彩に近づいてくる。
廊下には、コッコッと少女の靴が、一定のリズムを奏でている。
「驚きました。こんなにもmpt@'gmwに似た容姿の方がいらしたなんて。」
謎の少女が話し終えると、微かに階段から音が聞こえてくる。
少しずつ、ゆっくりと階段を上がってくる。
今ここに来てしまった場合、この謎の少女に殺される事は絶対だろう。
それでも足音は消えずに、少しずつ大きくなってくる。近づいてきている証拠だ。
「今階段を登っている人! こっちに来るな! 殺されるぞ!」
階段で声が反響している。これで止まってくれるなら。
…それでも足音は消えなかった。速度を上げたのか、さっきよりも早いペースで近づいてくる。
「必死なのですね。他人を助けるために自分を犠牲にするなんて、かっこいいですよ。」
可哀想なものを見る目に、端の吊った笑顔を併せて、無力な少年を嘲笑う。
「大丈夫ですよ。先にあなたから殺すので、これからの事は気にしなくても。ほら、階段からはまだ足音がしていますね。あなたが必死で止めたのに、そんな馬鹿な事あるわけ無い、と決めつけて上がってきているんでしょうね。もったいない。」
足音が目の前で止まった。
君彩の額に少女が指を構える。チェックメイトだ。
「さようなら、ヒーローさん。」
勝利宣言が耳に入る。
目の前で風が起こり、少年の体はもう一度壁に叩きつけられて、今度こそ絶命した。
はずだった。少女は構えた指を弾かずに、額から狙いを階段に変える。
「行くよ! ルファーちゃん「任せて! 花音! 」変身!」
階段の踊り場に居たのは、自分と同年代の少女だった。
自らの肩の近くに浮いていた、「ルファー」と呼ばれたぬいぐるみを掴んだと思えば、胸の中にしまった。しまったと言っても、谷間や服の中では無く直接、中に入っていった。
すり抜けたという表現の方が正しいだろう。ぬいぐるみが胸をすり抜けたようにしまわれると、花音の体が淡い桃色の光を放った。
光の中からは、ドレスを装着した花音が現れた。
謎の少女は驚きの視線を花音に注いでいる。
そしてすぐに、屈辱と怒りに満ちた表情に変わった。
「まさかとは思いましたが、本当に人間の味方に着いたのですね。r6u@foy。失望しましたよ、出来損ないならそれでもよかったのに、挙句の果てには恩を仇で返すような行為。心底失望しました。」
謎の少女の表情が変わる。その表情には、君彩に向けた笑顔は無く、ゴミを見る目と等しかった。
開戦の合図は、謎の少女が放った風の砲撃だった。階段の踊り場から跳び出して来た花音へ、狙いを定めて指を弾く。
跳び出したせいで、空中に居た花音へ砲撃が刺さる。
しかも、飛んだ先はアパートの壁では無く、廊下の手すりの向こう。端的に言えば外だった。
このアパートは、玄関を出るとすぐに空が見えるように廊下が外に面した構造になっている。
もちろん、建設会社は魔法少女が落ちることを想定して建てていない。
弾丸の速さで外にふっ飛ばされた花音を止める障害物は無い。
謎の少女が上向きにエイムを合わせた成果だ。
すぐに君彩の方へ視線を向けると、指を構える。
「先に殺します。さよ「ていやぁぁああ!! 」」
トドメを刺そうとする謎の少女を花音が蹴り飛ばす。君彩から遠ざけるために、謎の少女が元々居た方向へ。
15メートルほど飛ばされながら、踵で床を引っかいて、何とか運動を止める。
蹴り飛ばされた謎の少女は口から血のタンを吐いた。
「落ちこぼれ過ぎて気にも留めていませんでした。あなたの能力は空中を蹴って空を移動する、でしたものね。失念です。」
蹴られた頬を擦りながら歯ぎしりをしている。
最早、元の優雅さが消え失せているのは明確だ。
「しかし、そこの人間から遠ざけようとしたのは失敗では無いですか?今のこの距離、あなたの行動範囲、完璧に私の間合いです。」
この謎の少女の攻撃方法は、風の砲撃を作り出すこと。
アパートの横幅が狭い廊下と、近接攻撃しか無い花音には、18メートルの差は大きい。
「だったらさっきみたいにッ! 」
もう一度、廊下から空へ脱出するために、足を折りたたんで跳躍の準備をする。が、
「いいんですか、そこの彼、もう動けませんよ? あなたは変身して、防御力も攻撃力も上がっていますので平気でしょうが、彼は人間ですよ。」
今もまだ、最初の攻撃を受けて、死体のように動かない君彩を指で指し示した。
もし花音が空へ跳べば、風の砲撃が今度こそ君彩を砕くだろう。
「俺はほっといてくれ! 今はあいつを倒さないとだめだッ! 」
大声を出すために息を深く吸ったため、長い間むせ込んだ。足の骨はもう折れているだろうし、腕も危うい。意識だって今にも手放しそうだ。
君彩の言葉を聞いても納得出来ずに、花音の中の自分会議は全会一致しない。どちらも正しい答えなれば、甲乙つけることは出来ない。
ならばと思い、黄緑は腕の力だけで階段へ逃げようとしたが、
「逃がしませんよ。どちらも必ず。」
逃げられることを危惧させたせいで砲撃が飛んでくる。君彩には、避けることは不可能だ。
「させないよ!! 」
風の砲撃を真正面から受け止め「ガキィン!!」と、金属がぶつかり合う音が響いた。見ると花音の手には剣が握られていた。
「へぇ。胸の中から武器が出せるのですか。まさか、人と力を合わせることで、出来損ないでもここまで戦えるなんて驚きましたよ。」
「そうだよ! 人を乗っ取って操るんじゃない。力を合わせることでまだまだ強くなれる! 」
謎の少女が、風を受け止めている花音の元へ一直線に走る。そのまま勢いづけて、足へスライディングをした。
結果、風を受け止めていた花音は、バランスを崩し、君彩の上を飛んでアパートの壁に叩きつけられた。
風は防いでいたため、君彩が追加の怪我を負うことは無かった。
「ま、まだ、諦めない、よ。」
痛む体を動かして、花音は反撃の糸口を探す。
君彩はもう、謎の少女の射程から離れ、踊り場に寝そべっていた。
一般人を守るために、花音は逃げない。
「さあ、帰りますよr6u@foy。まだ今なら王も寛大な措置を取ってくださるでしょう。あなたがそこの器と死ぬ必要は無い。」
おそらくは同族であるルファーに、穏やかな声色で自首を促す。
それ以外の生命には興味が無いようだ。
「嫌だ! もうこんな事やめようよ!
この星の人達は皆いい人だからきっと、僕たちの事情を話せば受け入れてくれるよ! 」
中性的な声だけが廊下に響く。
謎の少女の情に訴えるが、少女の考えは変わらない。
「いつからそんな考え方をするようになったのですか?
私達が生きていくにはこの方法しかありません。私達が、メスに寄生しないと生きていけない事を伝えた所で、人を調子に乗らせるだけです。奪うことだけが、私達の生きる術です。」
再び指を構えた少女の顔は、何もかもを諦めきったような顔だった。
(使うなら……今しかないよね!! )
花音の持っていた剣が、桃色の光に包まれる。剣の形をした光はしだいに形を変え、長身の銃が姿を現す。
謎の少女は、目を見開いたまま動かない。
(何ですかあの銃は。今の力も一体?)
初めて見る現象に、脳が麻痺する。
考えている時間も与えずに花音は走り出す。
君彩が少女の射程にいない今、花音を縛るものは無い。
「後悔…しますよッ、r6u@foy。人間なんかの味方をすると! 」
少女の前方で、風の砲撃が放たれる。
少女へ走る花音を狙って。
だが、花音は止まらない。狭い廊下から一瞬だけ跳び出して風の蛇をやり過ごすと、そのまま足元の空気を蹴って廊下に戻る。
空気を蹴って移動すれば、18メートルくらい一瞬だ。風を撃ち終えて何も出来ない少女の額に、銃口を突きつける。
この生き物を、生かすか殺すかは花音が握っている。
少女の顔は怒りと憎しみで破綻していた。
「約束して、もう二度と人間を襲わないって。一緒に生きていけることは、私がこれから証明するから。」
握られている命の怒りが、最高点に達した。
指を構えることも許されずに、ただ睨みつけることしか出来ない。
「随分と素敵な心構えですね。殺そうとしてきた相手を許そうとするなんて。共存だって無理だと決まっているのに。」
「絶対にできる! ふたつの種族が手を取り合う未来がきっと来る! 」
「……無理ですよ。私達は、生き物の寿命を吸わないと生きられないし、こうやって他の生き物に寄生しないと、力を得られない。それに、」
ポツリと、消え入りそうな声で謎の少女は呟いた。
目の前の未来を信じて疑わない花音に同情すら向けて。
「たとえ私達が心を開いても……あなた達人間は!
平等なんて望まずに! 私達を支配するのでしょう! 」
指を構えて、躊躇なく弾いた。
瞬間、酷く重たい銃声が鳴り響く。
放たれた銃弾は、謎の少女の頭蓋を貫き空へと消えた。
頭の消えた、少女だったものがどさりと倒れると、胸の中からシマウマのようなぬいぐるみが姿を現した。
「裏切ったこと、王に伝えますッ。情状酌量の余地も無いこともッ! 」
ぬいぐるみは空を泳いで、花音から一直線に逃げる。
「ルファー。「撃って、花音。」……分かった。」
逃げたぬいぐるみの行き先を、桃色の光が塗りつぶした。
(また。分かってもらえなかったなぁ。)
銃声を聞いて駆けつけた、パトカーのサイレンだけが虚しく響く。
魔法少女に助けられた 二酸化酸素 @nisankasanso
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