第62話 「うおぁっ?」

「私と付き合いなさい!」


 騎里子が、俺に告白をした。


 ここで、どう返事をするのか。答えという名の天秤は、ある側に強くに傾いている。だが、いまだ完全には傾ききってはいなかった。


 もし、騎里子と付き合ったとしても、円花を忘れられないだろう。脳裏から離れることはなく、騎里子を選んだことに迷いが生じやすいかと思われる。


 かといって、円花を選んだとしても、騎里子のことを忘れるのは難しい。


 いずれにせよ、後悔はついてまわる。ふたりはコインの表と裏の関係であって、両方の面を同時に出すことは、できない。


 答えは、表か裏のどちらかしかないのだ。


「……」


 口をつぐみ、うつむいてしまう。


 コインが、ずっと空中で回り続けていてほしかった。決断したくないのだ。円花を選ぶ。その答えでいいじゃないか。それに、さきほどの白状が、足をぎゅっと掴んで、前へと進ませてくれない。


 沈黙が長引くにつれ、申し訳なさと自己嫌悪が、ぐちゃぐちゃに混ざっていく。答えるのは簡単なはずなのに。


「なあ、騎里子」

「決まったかしら?」

「……やっぱり、俺は、お前を選べない」


 結論は、変わらなかった。コインの表裏は、ここで確定した。


「そう」


 返答は簡潔だった。悔しがる様子もいっこうに見せず、「興味ないわ、ユージの答えなんて」とでもいうかのようだった。


「ありがとう、ユージ。私も諦めがついた。待ってるだけじゃダメだって、よくわかったわ。それだけで充分よ」


 気の利いた言葉をかけられるほど、自分は大人ではない。黙っていることしかできない。下手なことをいっても、騎里子の気持ちを乱すだけだ、そう思ったのだ。


 誰にも顔を見せぬよう、背を向け、深呼吸しはじめたのは、騎里子だった。


 静かにその場を離れ、自室へと向かったのは、円花だった。


 俺は。


 ポケットの中で震えるスマホを手にとり、画面に目をやった。


「こんなときくらい、気をつかってはくれんかね」


 独りごちる。ため息が漏れた。


 スマホのスクリーンは、三咲ちゃんこと、綾崎三咲からの着信を伝えていた。通知欄をみる。すでに、何度かかかっているらしかった。


 しかし、いまは状況が状況だ。音を消し、電源を切ってしまう。この空気の中で、電話に出る勇気はなかったし、ハイテンションな三咲ちゃんの声に苛立たない自信もなかった。


 クリスマスとお正月が一気に来たような気分だ。あいつら、一週間でやってくるから厄介だよな。一日も休日がなく、大したイベントもなさそうな六月に回してやってくれ。一月は成人式だけで充分だろう? 一年の中でやけにここだけ充実しすぎだ。


 閑話休題。


 次から次へと問題が降りかかってくる。こうやってふざけたことを考えないとやっていられない。沈黙が痛いのだ。俺に非がないといったら嘘になるが、この状況を避けられるだけの技倆ぎりょうを、俺は持ち合わせていなかった。


「……」

「……」


 騎里子を背をむけ、黙りこくる時間が、なお続く。二階の円花が動く気配もない。


 何もできぬまま、数十分が経ったころ。


 インターホンが、鳴った。


「はい」

『せんぱい! どうして電話に出てくれないんですか? きょうはせんぱいの家にゲーム機つないでレースゲームをやるというのが私の予定だったのに! もう夕方じゃないですか! 別に両親の帰宅は遅いのでいいですが、暗いなかを歩くのはちょっと酷でしたよ? どうせおひとりでしょう? 入りますよ?』

「……」

『せんぱい?』

「待ってろ。大事な話がある」


 外との通信をきり、外靴をはいて、駆け足でドアをあける。


「せ、せんぱい! 遅いじゃないですか。それに大事な話って、その、あれですかね……?」

「三咲」

「は、はい?」

「悪いことはいわん。頼む、帰ってくれ。それも、可及的速やかに」

「え?」


 三咲ちゃんは怯えていた。それもそのはずだ。俺の瞳には、純粋な負の感情しか込められていなかったろうから。この場に三咲ちゃんがいると拗れるだけだ。ひどいやり方だが、この場にいるのはマジで困るんだ……。


「うぅ……ぐすん……せ、せんぱいってそんな薄情な人だったんですね。私のこと、嫌いだったんですね」

「違う! これには深い事情があるんだ」

「あれですか? 女性にセクハラしてしまったが故に、警察に突き出されないか、わなわなと困惑しているんですか……そうですよね。そんなことだろうと思いましたよっ」


 勘違いして欲しくないのだが、俺は何もいっていないぞ。見えない俺が、どうも三咲ちゃんと会話を成立させていたらしい。


「脳内で補完して自己解決するんじゃない」

「なら、どんな事情がおありなんです? 詳細は口にできずとも、大筋くらいはいいんじゃないですか?」

「うぐっ」


 よし、考えてみようか。


 ____________


 問 現在の状況を簡潔に説明せよ。


 答 女性関係で大変なことに


 ※三咲ちゃん訳→せんぱいがセクハラして大変なのです!


 ____________


 ……つまるところ、セクハラにいきつくらしい。嫌だな。


 ただ、三咲ちゃんフィルターを通せば、どうせそうなるのだ。諦めるしかない。


「女性関係で大変なんだ」

「なるほど、では、現場検証をしなければなりませんね。どうせお家にいると思いますから!」


 三咲ちゃんは数メートル後ろに下がると、助走をつけて突進してきた。


「うおぁっ?」


 これまでの三咲ちゃんとは違う、スピーディーでキレのある動きだった。


 進路を防ごうと、ゴールキーパーよろしく構えたのだが、あえなくそれは突破された。その間、一秒にも満たなかったろう。三咲ちゃんは、疾風と化していた。


 細かいステップを駆使し、玄関を抜ける。俺は、三咲ちゃんの侵入を防げなかったわけだ。


 面倒なことになってしまった。


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