第63話 「これ、食べたいです……!」
三咲ちゃんは、俺の防御を、いともたやすく突破し、我が家への侵入を果たした。
これはまずい。もっとも回避すべきことであったのに……。ただ、結果は出てしまっている。俺の望みなど叶えられることもなく。
残酷な現実を受け止めるほかない。
「待てっ、三咲ちゃん!!」
いって、追う。
実に素早い。間に合う気がしない。
「はやいな……」
それでも、走る。
ドアを開け、リビングへと足を踏み入れる。
「……どういうつもりなのかしら?」
案の定だった。目の前に広がるのは、地獄であった。
騎里子から醸しだされているオーラは、自身が捕食者であることを誇示しているかのようだった。
三咲ちゃんは、さながらライオンを前にした草食動物である。これは、ひとつのミスが命取りになるという、いい例なのかもしれない。
「ユージ、知らぬ存ぜぬって顔してるけど、あんたにもいってるんだからね? 傍観者気取ってる場合じゃないわよ?」
あえて考えてこなかったが、俺も草食動物の立場にあった。
「騎里子、これはだな……」
「空気くらい読みなさいよ! 微妙な雰囲気ぶち壊しじゃない! 気持ちの整理がうまくつかないじゃないの」
それな!!!!
と、声を大にしていいたいのは山々だったが、いえるわけなかった。
「せんぱい、どうするんですかこの状況? 終わってますよ」
耳元でささやかれる。
「三咲ちゃんも責任の一端を担ってるんだぞ。忠告はしたはずだ。なのに三咲ちゃんは無視したじゃないか」
「まさかこんな状況だとは思っていなかったんです!」
声を抑えつつも、表情とジェスチャーをふんだんにいかし、訴えかけてくる。
「そもそも、せんぱいに信頼がないのがよくないんです。ふだんからすぐにハラスメントするせいなんですよっ!」
「なにをいってもハラスメントに帰着するらしいな。うーん、というか、俺に信用がないってのは聞き捨てならないんだけど?」
「まあ、せんぱいですから」
「理不尽な真実が現実のようだ」
「ラップハラスメント!」
「新たなハラスメントがまた増えた!」
ラップハラスメント。ラプハラか。語感がよろしくないな。
「……おふたりとも、ドゥーユーアンダースタンドジャパニーズ? 日本語通じてる?」
この様子だと、マジで捕食されかねない。
三咲ちゃんと会話をしていると、いまが修羅場であったことを、つい忘れてしまう。なんだかんだ、かけあいが楽しいのである。
「もちろんですわかってます真面目に話聞きます」
「これはインハラでs……」
物理的に黙らせる。
今度はイングリッシュハラスメント、とでもいいたいのか?
たしかに流暢な発音で、一瞬ネイティブかと思ったけどさ。もうさ、ハラスメントハラスメントくどいのよ。
「いちおう、経緯のほうをきかせてもらえる?」
かくして、ひととおりの、たいしたこともない事情を説明した。少し前にも同じような光景が繰り広げられていたね。本日二回目の〝取り調べ〟とでもいったところだろうか。
「ふーん。つまるところ、綾崎さんは事情を知らずにきてしまっただけのようね」
「そうみたいだな」
説明してみると、どうも三咲ちゃんがそこまで悪くないように思えてくる。肉食動物の住処に図らずとも侵入してしまい、巻き込まれてしまっただけの、哀れな被害者である。
「それに、ああなったのも、ユージの説明不足によるものらしいわね。はっきりいえばよかったじゃないの。私がフラれたってこと」
先の〝取り調べ〟の段階で、騎里子が告白したことは、三咲ちゃんの知るところとなっていた。
事実を耳にしたとき、三咲ちゃんは「そうだったんですか」と簡潔に感想を述べただけで、ほかに多くを語らなかった。
「いえるわけあるかっ!」
「あんた男でしょ!? ためらわずに正直に真っ直ぐに生きる!」
「どうも、俺の幼馴染は時代錯誤の極みらしいな」
暴力を振るい、基本的にツンデレな態度をとるところも、な。その言葉は、自分の心の中だけに留めておく。
「時代錯誤で結構。どうせ私は古い女。そして、ユージにとっての新しい女でもない……それはさておき、もう一度絞めておきましょうか。怒りがぶり返してきたみたいだわ」
こうして、これまた二回目の実力行使がなされた。
意識が飛ぶと思った。痛みに対する耐性がついてきたとはいえ、まったく痛みを感じなくなるわけではないのだから……。
二度の修羅場をくぐり抜けた先には、夜が待っていた。
日が短くなりつつある今日このごろだ。きらめきを放っている月が、空に浮かんでいる。すっかり夜だ。
「……で、これはどういうことなのかしら?」
食卓には、成竹祐志、円花、綾崎三咲、月里騎里子の四名がついている。
真ん中に置かれた鍋を囲み、おのおのの箸で、鍋の中身をつっついている。
「見ての通り、鍋パーティーだな」
修羅場をともにした四人には、いまだ複雑な感情が渦巻いている。ひとりになる時間も必要ではある。
しかし、それ以上に、我々は三大欲求に抗えないのである。腹の空いてくる時間帯であったし、何より、多くのパワーを消化した面々だった。
別に成竹家以外のふたりは帰ってもよかったのだが、用意されていた鍋の具材を目にした三咲ちゃんが「これ、食べたいです……!」と、小動物のような瞳をきらめかせた。
騎里子は「頃合いを見計らって帰ろう」という、当初の予定を変更した。
鍋を調理しはじめ、食事が目につき出すと、彼女も食欲を優先する決断を下さざるをえなくなったらしい。
「よくやりますよね。おふたりはそこまでして、ゆーくんとの間接キスを求めるというのですから」
円花にとって、同性であるふたりがいるのは、いささか快いものではないらしい。
「か、勘違いしないでよね! 別に間接キスを意識していないといえば嘘になるけど、そんなことで、フラれた男に対して感情を抱くなんて、ありえないんだからね!」
「せんぱいの唾液が私の体内を侵蝕するだなんて、考えただけで恐ろしいですね」
「評価がひどいな」
これまで、食事のさいに、円花と間接キスをしていたなんて、考えたことがなかった。
やはり、たとえ異性として意識はしているものの、円花はあくまで義〝妹〟にすぎないのだという考えが浮かぶ。
間接キスうんぬんは、考えすぎだと思うところではあるな。
「そんなことより、鍋を楽しみましょうよ。食事のときくらい、面倒なことを忘れましょう」
こんな日でも、こうして鍋パーティーを敢行しえていることに、俺は驚きを隠せなかった。それと同時に、地獄のような空気が長く続かなかったことに、俺は安心していた。
鍋パーティーが終わると、それから四人はテレビゲームやトランプを楽しんだ。三咲ちゃんと騎里子は、成竹家の両親が帰ってくるまでには、我が家を後にした。
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