第61話 「ユージ。あんた、私と付き合いなさい!」

 騎里子の、言葉によらない教育。


 それは、俺に反省を促す手段として、最も適切なものだったのかもしれない。誰がいっていた。痛みを伴わない経験に意味はない、と。


 ならば、自分にとって、意味のある経験というのは、円花と騎里子からされたことくらいしかない、というわけだ。果汁一パーセント並みに薄い人生だな。


 きっと、俺の遺言書には


「女は危険じゃ……気をつけて関わらなくちゃならん」


 というような、昨今の、男女平等が騒がれる世間の流れに逆らうものが含まれるのだろう。


「ふぅ……やっぱり、激しい運動は快感っ。身体で語りあうのは最高ね!」

「誤解を招く表現は控えようか。それに、騎里子と拳で語りあったような記憶はないぞ。あれは一方的な蹂躙じゅうりんとしか、たとえようがない」


 一行は再度食卓に戻っていた。


 いまだに、節々が痛む。


 悪夢のような時間であった。


 女性の体に密着していたとはいえ、しょせんは騎里子の肉体であるし、それを堪能できるだけの余裕を、俺はもちあわせていなかった。ご褒美なんかじゃない、地獄への片道切符を握らされていたような気分だったね!


「羨ましい。私も、肉体言語でゆーくんと三日三晩、食事もとらずに語りあいたいと思っているのに」

「この女、狂ってるわね」


 騎里子が真顔でドン引きしてしまう。


 円花は、俺と騎里子がみっちり密着していたことに、強い憧れと嫉妬を感じているらしかった。


 俺からしてみれば、「ウェルカムだ……!」とここまで出かかっているところである。ただ、理性のブレーキは、本能のアクセル以上に強く踏み込まれていて、それが行動に移されることはなかった。


「なあ、騎里子。いちおう、制裁は済んだとみなしていいのか?」

「うーん、反省が足りていなかったかしら? 失神までやらないとダメなのかな?」

「……なんでもないです。許してください。骨の髄から反省してます」

「よろしい。これで、ユージがこの女と関わることは金輪際ないわね」

「「え!?」」


 同時だった。円花も、俺も、動揺を隠すことなど不可能であった。


「覚えていないのかしら? 私がユージの恋人になってもいいのよ、っていったこと」

「ああ、そんなこともあったな」


 時は、夏まで遡る。炭酸に凝っていて、ひとり食リポに楽しみをみいだしていた時期のことである。


 我が家に押しかけてきた騎里子は、たしかに「付き合ってもいい」という発言をした。だが、その後、大きなアクションを起こしたことはほとんどないといってよい。


 次第に、あのできごとは、脳内にある図書館の奥深くへと、収納されてしまった。いまや、その記憶は埃をかぶっていたくらいだった。


「ひどいこというわね」

「だって、お前、あれから全然アプローチしてこなかっただろう?」

「ぐぬぬ……そ、それは! きっと、その、アンタのほうからくるって、思っていて……ってことなの」


 平生の、自信に満ち溢れた様子はまるでなく、最後の方なんかほとんどききとれなかった。早口で、ゴニョゴニョとしていたからな。


「つまるところ、騎里子さんは、抱いていた自信が邪魔して、ゆーくんにはたらきかけんとすらしなかった。なにもせずとも、白羽円花という女性なんかより、月里騎里子の方を選ぶだろう。そんな自惚に近い確信があった。そういうことですね?」

「……なによ? わ、私は悪くないんだから! ユージがアプローチしないせいなんだから! どこを指摘されても、そこは曲げないわ!」

「騎里子、お前は愚か者なのか? 俺が生粋の転校生好きであることくらい、わかっていたはずだ。その上、騎里子以上に、円花と過ごす時間のほうが長かった。それを踏まえても……」


 そこまでいってはじめて、騎里子が、悔しさのあまり涙目になっていることに気づいた。


「正論振りかざしてるのキモすぎなんだけど……でも、そのとおりだし、なんもいいかえせないし。ほんとどういうつもりなの?」

「悪い、いい過ぎた」


「別に怒ってないけど……嘘。すっごく怒ってるわ。ユージじゃなくて、私自身に。


 驕っていたのかもしれないわね。ユージは、最終的に振り向いてくれるって、そんな幻想が、私を支配していた。


 つい手を出してしまうけど、本当は、もっと女の子らしく振る舞いたいの。でも、ユージはこんな私を、結局は受け入れてくれていたから、甘えていた。


 ほんとバカな女ね、私って。夏の時点で、半分くらい諦めはついていた。きっと、アンタは白羽円花を選ぶんだろうってね」


「……」

「近いうちに、もう一度ユージに告白しようって思ってたところなの。あきらめるために。それなのに、突然ふたりで学校休んで。いかにも怪しいって。そうしたら、案の定イチャコラしてて。もう、どうでもよくなっちゃった」


 騎里子から向けられている感情を、俺は、完全に理解しようとした試しが、さほどなかった。


 俺こそ、騎里子には甘えがあった。たとえ変なことをしても、アイツは、ふざけて肉体言語で語り、罵倒するだけだ。ただの冗談。そう信じていた。


「いちおう、最後に。やっぱり、これだけはいっておきたいわ」


 騎里子は、勢いよく立ち上がる。


「ユージ。あんた、私と付き合いなさい!」

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