第19話 医学科の様々な実習(2)

 続きである。


 血圧の実習は、検体は自分たち自身である。安静時に2回、自分の血圧を測定し、記録、その後、様々な活動(階段の上り下り、とか、冷たい水で顔を洗う、とか、Valsalva運動(息を止めて『フンッ!』と数秒間、全身の筋肉に力をこめる運動。便秘で硬い便を出そうと『フンッ!』と力んでいる状態をイメージしていただきたい)などを行ない、直後、5分後、10分後の血圧を測定する、という実習だった。ウサギさんの話でもお伝えしたように、冷たい水に顔をつけると「潜水反射」と言って、迷走神経が興奮し、血圧は低下、徐脈になる。バルサルバ運動も強く迷走神経を刺激するので、同様のことが起こる。階段の昇降はゆっくりではなく、ダッシュで降りて登ってくるようにしており、これも先に述べたように、運動直後は血圧、脈拍とも上昇しているが、落ち着くと、脈拍も血圧も運動前より緩やかに低下している。


 この実習では、隣の班にいる「長老組」の町川さん(私の1歳上、男性)と私が、安静時の血圧でも高血圧の基準値 140/90mmHgを越えていた。長老組、と言っても30代手前の年齢なのだが、町川さんは

 「保谷君、おれたちHypertensionsだね!」(高血圧は英語で“Hypretension”)

 と明るく声をかけてくれた。町川さんはすこしチョイ悪な雰囲気の親分肌、でもフレンドリーで面倒見がよく、クラスのそれ系男子のアニキ的存在だった。しばらくは町川さんと二人で、「俺たちHypertensions!」とはしゃいでいたのを覚えている。


 尿の実習も被検者は私たち。一度全員排尿した後、真水1000ml(確か、六甲の天然水だったと思う)を飲む人2人、生理食塩水 1000mlを飲む人2人(さすがに塩水1000ml飲むのはきついので、塩9gをオブラートに包んで飲んだ後、真水1000mlを飲む)、アルカリ性物質(たしか重曹)と真水1000mlを飲む人1人、酸性物質(塩化アンモニウム)と真水1000mlを飲む人1人を決め、それぞれ飲んだ後、20分おきに排尿、尿量と尿浸透圧、尿のpHを測る、という実習だった。班は男女混成で作られていたが、僕らは「塩9gを飲むのは大変だから」ということで女性二人を真水1000mlに、男性二人(そのうち一人は私)を生食1000mlとしたが、今考えると、まずかったな、という点がある(その時には気付かなかった)。

 実験をより正確にするためには性別の因子を消すために、男性も女性も一人ずつ真水グループと生食グループに入れるべきだったことである。まあそれはそれとして、みんな頑張って、1000mlの水分を飲み切った。僕は昼ご飯を抜いて1000mlに備えていた。今考えれば当たり前なのだが、真水1000mlグループは薄い尿がたくさん出始めた。一方私たち生食グループは20分で尿30mlくらい、とほとんど尿量は変化がなかった(一応、ICU管理では1ml/分が、尿量管理の目安)。もちろん生理食塩水グループは尿の浸透圧、pHにも変化はなかった。アルカリ性物質を飲んだ人は尿がアルカリ性に(尿は基本的には酸性)、酸性物質を飲んだ人は、経過とともに酸性度が強くなっていった。結果は予想通りの結果となったが、私の飲んだ1Lはいったいどこに行ってしまったのだろうか?尿にはほとんど出なかった(答え:体の中にそのままとどまっている。高齢者の方ではむくみになることが多い)。


 生化学の実習はあまり記憶にない。大学院時代に行なっていた仕事とほぼ変わりがなかったので、印象が薄かったのだろう。ただ、別稿でも書いたが、大学院生時代に毎日行なっていたmini prep、僕だけ失敗したのは痛恨の極みである。


 薬理学の実習は、別稿で書くカフェインの実習については私たち自身が、実験者であり被検者でもあったが、実験動物としてマウスを使う実習も多かった(マウスさん、ありがとう)。


 鎮痛剤の実習では、痛みを客観的に評価するのがとても難しい(「痛みはその人にしかわからない」という言葉は本当である)。しかしマウスの痛みをどう客観的に評価するか、これが問題であった。痛みを何らかの形で客観的に数値化しなければ、薬の効果を客観的に評価することはできない。なので、実習の際に、いろいろな手法を学習した。マウスのしっぽにねじを回すと締め付けられていくクリップをつけ、マウスが嫌がって外そうとする行為を単位時間内に何回したか、という方法や、マウスを透明な壁で覆われた鉄板の上に置き、あらかじめ鉄板を、確か50度か55度かに熱しておくと、マウスが着地すると足が熱くて痛いので飛び上がる。その飛び上がる回数を指標にする、などいくつの方法があるそうなのだが(おそらく製薬会社などでは、そのようにして、新規薬剤の鎮痛効果を測定しているようである)、実習では、前述の「熱い鉄板」法で疼痛を数値化することにしていた。初めに実習に使うマウスを一匹ずつ鉄板の上に置き、1分間で飛び上がった回数を記録する。そして、マウスを実薬群(たしかイブプロフェンを使ったように思う)とプラセボ群(生理食塩水)に分け、それぞれ腹腔内に注入。30分ほどおいてから、飛び上がる回数がどう変化するか、というのを観察する実習だった。統計学的処理を行なっていないので何とも言えないが、確かに実薬群で飛び上がる回数が減っていた。やはり薬は効くものだなぁ、と思った。


 熱い、熱いとマウスを飛び上がらせた罰が当たったのか、その10年近く後、就職し、子供もでき、家族旅行で湯村温泉に出かけたときのことである。その直前に足湯に落っこちてズボンと靴をビシャビシャにしてしまい、はだしになっていた当時4歳のかわいい長男坊が、源泉(98度)の近くにあった温泉卵の販売所の前で、嬉しそうにピョンピョン飛び跳ねていた。

 「何がそんなにうれしいんだろう?」と5秒ほど見ていて「ハッ!」と気付いた。慌てて長男君を抱き上げ、地面を触ると源泉の温度で地面がすごく熱い。マウスを熱い鉄板の上で飛び上がらせた罰が、かわいい息子に出たようであった。


 抗てんかん薬の効果を確かめる実験では、マウスをあらかじめ複数の群に分け、プラセボ群、抗てんかん薬低容量群、高容量群と分け、あらかじめ抗てんかん薬を濃度を分けて投与した。30分ほどおいてから、ペンテトラゾールという痙攣を発生させる薬を一定量マウスに投与し、痙攣発作がどうなるかを観察する、という実験だった。

 記憶は定かではないが、高容量群は痙攣発作を起こさず、低容量群、プラセボ群は全身性の痙攣をおこし、明らかにプラセボ群が低容量群よりも強い痙攣発作を起こしていた。

 これは傍で見ていると結構つらい実習で、多くのマウスがビクビクと痙攣発作を起しているのを見るのはつらかった。隣の班にいた友人の川根さん(女性)は優しい人なので、たくさんのマウスが痙攣しているのを見て涙を流していた。かわいそうに感じていたのだろう。川根さんの涙を見ると、こちらもつらく、でも残念なことに、手元にマウスを安楽死させてあげる薬剤もなく、ただ、マウスたちの腹腔に残っている抗てんかん薬を注射するくらいしかできなかった。


そんなこんなで、様々な実験動物の命もいただきながら、医学を修めていったので

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