第18話 医学科での様々な実習
医学科では、基礎系でも様々な実習があった。第二解剖学講座では「組織学」を授業では担当していて、解剖実習以外に組織学も実習があった。それぞれの臓器にはそれぞれ特徴的な顕微鏡的構造があり、もちろんその正常構造を理解することから各臓器の機能、あるいは顕微鏡的な病的変化(これを学ぶのは「病理学」という学問分野)を理解することができる。なので、組織学実習は基本的には「スケッチ」であった。それぞれの臓器の顕微鏡的構造をスケッチし、重要な構造物の名称を記載し提出する、という実習であった。
これは厄介な実習であった、というのは私が壊滅的に絵を描くのが苦手だからである。中学生時代は美術の先生から、
「これは幼稚園児の描く絵です」
とズバーッと切り捨てられたこともある。また絵ではないが、小学校時代「隣の人の顔を粘土で作りましょう」という課題があり、これまた幸か不幸か、隣の子は当時ほのかな想いを寄せていた人。時間内にうまく作れず、遅くまで残って課題をこなしたのだが、あまりにも似ていなくて、しかも出来が悪く、各人が作った作品を教室の後ろに展示するのだが、私の作った粘土細工をネタに、意地悪な男子が彼女をからかい、彼女を泣かせてしまったことは今でも胸が痛む。
そんなこんなで、高校時代以降、絵を描くことはなく(芸術は音楽を選択、大学時代も、私の所属した学科は「製図」が必修ではなかったので選択しなかった)それまで過ごしていたのだが、こんなところで、また「絵」に悩まされることになった。
構造を正しく理解し、下手なりに構造の重要な部分をスケッチして提出するのだが、大体評価はB~B-、同じ班の滝口君は
「保谷さん、僕、絵は上手なんですよ」
と言ってスケッチをしていた。少なくとも彼の絵は、私よりは上手だと思ったが、重要と思われる構造がすこしルーズに描かれていたりして、個人的には
「いや、この臓器のここは一番重要な構造だと思うけど、ちょっとルーズだよなぁ」
と思っても、A-~B+の評価をもらっていた。教官からは
「大事なのは『絵の上手さ』ではなく『構造の理解』だ。そこを評価していく」
と言っておられたのに、どうもうまくいかない。
私たちの学年からはカリキュラムが大きく変更したのだが、組織学の授業形態については前年度と変化なく、こういった科目では、先輩方のレポートが参考になることが多い。優秀な得点をとったレポートが回ってくるのだが、中には「これでA+?」というようなスケッチもあり、かなり評価には偏りがあるなぁ、と思っていた。
生理学実習は、いつもの4人班ではなく、9人ぐらいの班に分かれて実習を行なった。実習のすべてを覚えているわけではないが、今振り返ると、今でも使っている知識(例えば、血圧は運動中は上昇するが、運動後しばらくは運動前の血圧より低下する、という知識があり、これは高血圧の方で軽度の有酸素運動を進める根拠となっている)も含まれており、今の知識を持って実習を振り返れば、もっと深く考察ができたのに、と思っている。決して生理学の勉強をいい加減にしていたわけではないが、実際臨床の現場に立って、患者さんを目の前にして、患者さんの命がかかっている状態で上級医から教えてもらったり、自分で勉強したりしたことと、臨床とどうつながるのかわからない状態で勉強しているのとではどうしても必死さも違うし、身につき方も異なってしまうのは、道理と言えば道理である。
生理学実習で覚えているのは、心電図の実習、自律神経の実習、血圧の実習、尿の実習くらいかなぁ(確か課題は9つくらいあったように思うのだが)。
心電図の実習は、元気なカエルさん、四肢誘導と1局の単極誘導が測定できる簡易心電図、液体窒素を用いた実習だった。カエルさんの胸郭を開放し、拍動している心臓を開放する。その時点で四肢誘導と左室の単極誘導を測定する。その後、液体窒素をしみこませた綿棒で左室壁の一部を焼灼する(心筋梗塞の代わりに)。障害を受けた心臓の状態で、再度四肢誘導と、焼灼部位の単極誘導、ダメージを受けていない部位での単極誘導を測定し、その変化を確認する、という課題だった。循環器内科の授業を受ける前に生理学を勉強しているので、知識不足は否めず、実習メンバーみんなが、「この実習で何を勉強しているのか」と言うことを理解していなかったように感じていた(私も含めて)。
今の知識であれば、四肢誘導では傷害部位を含む四肢誘導ではSTの上昇、含まない部位ではSTの低下、単極誘導では傷害部位からの誘導ではST上昇、傷害部位ではないところからの単極誘導ではSTの低下が観察される(はずである)。心筋障害の時の傷害電流の話は長くなるので割愛するが、カエルさんの命に対して大変申し訳ないことに、そういったことは私たちの班では誰も十分に理解できておらず、心電図の結果がどうだったのかも記憶にない(当時はその程度の理解力しかなかった。恥ずかしい限りである)。
自律神経の実習では、詳細はもう忘れてしまったが、ウサギさんのお身体を使わせていただいた。片方の総頚動脈にカテーテルを挿入し、観血的に血圧を継続測定。そのウサギさんに対して、交感神経を活動させるような刺激、副交感神経を活動させるような刺激を与え、血圧、脈拍がどのように変化するかを調べる実習だった。簡単な刺激としては、顔に氷水で冷たくした布をしっかり当てたり(潜水反射で迷走神経(副交感神経)が活性化する)、頸動脈洞マッサージ(体循環の血圧をモニタしている頸動脈洞という構造物が頸動脈分岐部近くにあり、頸動脈洞に圧迫刺激を加えることで強く迷走神経が活性化され、血圧、脈拍が低下する)を行なったりすることから始めた。
プロレスファンではないので、間違っていれば申し訳ないのだが、スリーパーホールド(上腕を首に巻き付け締め上げる技)では両側の頸動脈洞が強く刺激されるので、高度の血圧低下、徐脈となり意識を失ってしまうのである(場合によっては心臓が止まるほどの刺激がかかる)。
そのほか、どのような形で自律神経系に刺激を与えたのか記憶にないのだが、実習が終わると、ウサギさんの胸郭の半分は解放され、開腹もされていたように記憶している(ここは記憶があいまいだが、おそらく腸管への刺激で迷走神経反射が起きることを診ていたのかもしれない)。実習が終わっても、ウサギさんをもとの状態に戻すのは難しい状態となっていた。指導教官は各班のテーブルを回り、「実習させていただいたウサギさんに感謝の黙祷をしてください」と言って班の全員で黙禱、その後、両方の肺に気胸を作って安楽死をさせていた。ただ、気胸はしんどいし、片方の胸郭が解放されているので、気胸ですぐには絶命しない。しばらくはウサギさんは生きていた。とてもじゃないが、安楽死とは言えない。傍で見ている私たちも心苦しかった。個人的には、
「頸動脈のカニュレーションの時に頚静脈も同定しているので、そこからKCLを注射してあげた方が、ウサギさん、楽なんじゃないかなぁ」
と思ったことを記憶している。この実習では確かに、強い迷走神経刺激を与えると如実に徐脈、低血圧となり、交感神経刺激では頻拍、血圧上昇が起きることが分かった。自律神経の理解は、臨床現場では非常に重要であり、ICU管理だけではなく、喘息の治療、不整脈や高血圧、心筋症の治療、過敏性腸症候群など、消化管の疾患に対する治療薬、排尿の調節など、本当に広い分野で自律神経調節薬が使われており、ウサギさんには本当に感謝である。
長くなったので、章を分けることにする。
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