第28話 生協病院小児科での実習
生協病院は、同院が企画する勉強会に参加したり、妻のぜんそくを、関連の生協クリニックで治療していただいたりして、いろいろお世話になった病院であった。私自身が政治的に特別な思想を持っているわけではないが、地域みんなの病院、という意味での生協病院、というありかたは悪くないあり方だと考えている。
大学病院は必然的にある程度診断のついた方を治療することが多く、特に小児科は、先天大奇形や小児血液腫瘍を大学病院で担当するため、いわゆる子供によくある病気を診ることがほとんどできなかった。そこで、子供のcommon diseaseを少しでも経験したいと思い、生協病院にお願いし、1か月間のクリニカル・クラークシップを受け入れていただいた。
その1か月間は小児科医歴20年の殿山先生に指導していただくことになった。また同時期に、1学年上の先輩が同病院で初期研修を受けられ、ちょうど小児科にローテーションされていた時期とも重なり、大変心強かった。
そのころの生協病院小児科は部長の北畠先生以下4人の常勤医師で体制を組んでおられた。私は、殿山先生とともに、朝の回診を回り、外来の見学をさせてもらい、午後からの健診や検査なども見学させていただいた。部長の北畠先生は私たちの母校を卒業後、東京女子医科大学で小児循環器を修められた方で、聴診能力も高く、また同院で小児の心臓カテーテル検査もされていた。たまたま、年に一度カテーテルで心機能、逆流の程度を評価されている心室中隔欠損症を持つ10歳の女児の検査前の診察につかせていただいたことがあった。
「彼女の胸の聴診と同時に、彼女の胸壁も触ってください」
と指導を受けた。聴診では心尖部付近に強い汎収縮期雑音を聴取し、彼女の胸壁に手を当てると、明らかにthrill(微振動)を触れた。心雑音の強さを表す指標の一つにLevine分類というものがあるが、Levine Ⅲ度と、Ⅳ度の違いが、thrillを触れるかどうか、というものである。なので、彼女はLevine Ⅳ度以上の心雑音を有する、ということになる。
現在、日常診療で心雑音、特に収縮期雑音は高齢の方でよく見つけるのだが、雑音が大きいなぁ、と思っても、thrillを触れることはまずない。やはり若い心臓だということと、胸壁と心臓が接近しているのが理由だったのだろう、と思う。
また、「さすがプロの技だ!」と思ったことがあった。近隣の産科から
「Ⅱ音の感じがおかしいような気がするので診てほしい」
と、生後数日のbabyちゃんが紹介受診された。北畠部長は
「あの先生が『Ⅱ音がおかしい』と言って紹介してくるのだから、多分心臓に問題があるよ」
とおっしゃりながら、babyちゃんを診察。
「うん、確かにあの先生の言う通り、Ⅱ音がおかしいね。保谷先生も聞いてみてください」
と部長がおっしゃられ、私は自分の聴診器をbabyちゃんに当てた。しかし、自分の知識を総動員しても、Ⅱ音の何がおかしいのか、私の力では全くわからない。素直に
「先生、よくわかりません」
と答えると、
「そうだね。これから、たくさんの人の心音を系統立てて聴診してください。これはI音で正常ならこう聞こえる、これがⅡ音で正常ならこう聞こえる、という風に。そうやってたくさんの心音を系統立てて聞いていけば、あれ?という微細な変化に気づけるようになりますよ」
とおっしゃってくださった。心エコー検査のない時代でも、聴診で正診率80%だった、というのは、このレベルの聴診ができる人がたくさんいた、ということなんだなぁ、とそのプロの技に強く感動したのを覚えている。
「小児科を学ぶためには、まず正常な子供がどれだけ元気かを知っておかないといけないよ」
とのことで、実習中の1日、病院のスタッフが主に利用している保育園で過ごすこととなった。もちろん、一般からの園児も受け入れているが、その教育方針にひかれて、大人気な保育園だそうだ。園長先生が
「うちの園では、習い事をしたりなどはしていません。この時期に必要なのは愛情と遊びです。その中で、人として必要なことを子供たちは自分で学びます。だから、うちの子供たちはみんな元気いっぱいです。先生は負けないようにしてくださいね」
と注意を受けて、保育園実習が始まった、といっても子供たちと一緒に、同じことをしているのだが、やはり子供は元気だ。みんな個性的で見ていると面白い。
今、世の中では「男らしさ」や「女らしさ」という言葉は嫌われた言葉となっている。確かに強制されたり強調された画一的な「男らしさ」「女らしさ」に縛り付けられるのは間違っていると思う。誰もが、「自分らしさ」を誇れる社会であってほしいと思っているが、「その人らしさ」からにじみ出る「男性らしさ」「女性らしさ」を否定するのは行き過ぎだと思っている。「その人の持つ魅力」の中に、その人が感じさせる「男性らしさ」「女性らしさ」が含まれていてもいいと思っている。なぜこんな話をしているかというと、子供たち一人一人は個性的だが、男の子たちの振る舞い、女の子たちの振る舞いとして見てみると、明らかに違いがあり、男の子に強くみられる特性、女の子に強くみられる特性があったからだ。私は男性なので、ついつい男性目線となってしまうが、男の子は「ワーッと元気な男の子」という感じなのに対して、女の子は、ワーッとはしゃいでいても、やはり小さなlady、という感じで、自分の魅力をわかっていて、それをうまくアピールする術をすでに獲得している、ということにも驚いた。我が家の子供は二人とも男の子なので、子供たちの気持ちもある程度分かるのだが、もし娘だったらどうなっていたのだろうか?
実習の半ば過ぎ、いつもと同様に殿山先生の外来についていたところ、1か月ほど前から吐き気が止まらないお子さんが受診した。何度も殿山先生の外来に受診されているそうで、いろいろ検査をしているが、原因がはっきりしないとのこと。幼稚園に通園しているが、最近は通園を嫌がることも増えてきたそうで、殿山先生も、
「何か精神的な問題や環境的な問題が原因なのかなぁ」
とお考えとのこと。環境を変える目的、精査を行なう目的でお母さんに
「一度入院して、詳しく検査をさせてください」
と殿山先生がお話しされ、入院することとなった。殿山先生が
「保谷君、何か追加で検査しておくことないかなぁ、入院指示を出しておくから、午後から一緒に診よう」
とおっしゃったので、
「一応嘔気が続いているので、頭のCTは確認しておきたいなぁと思います」
と伝えた。
「先に昼食を取っていて」
とのことだったので外来終了後、昼食を食べていると殿山先生が食堂に飛んでこられて、
「保谷君、よく言ってくれたよ!CTを撮ったら脳腫瘍が見つかったよ!今、大学病院の脳外科に連絡中で、転送になるよ!」
とのことだった。ただ何となく、吐き気が続いているから、頭部の疾患は除外した方がいいよなぁ、と思って頭部CTのことをお伝えしたのに、まさかの結果にこちらがびっくりした。CT画像からは髄芽腫が疑わしいとのことだった。殿山先生も、
「20年間小児科医をしていて、脳腫瘍は初めて経験したよ」
と驚いておられた。市中病院で小児の脳腫瘍は殿山先生のおっしゃるように極めてまれなことなのだと思う。しかし、このお子さんは、1か月近く、嘔気が続いて元気がなかったとのことだった。おかしな事が続いているときには、稀な疾患も鑑別診断にあげないといけないなぁ、と感じた出来事だった。
後は、ワクチンの話を書いておきたいと思う。私がこの小児科研修を受けさせてもらった時、まだインフルエンザ桿菌血清型bに対するワクチン「アクトヒブ」も、肺炎球菌に対するワクチン「プレベナー」も日本では未承認だった。海外ではちょうど開発され、その有効性が報告され始めたころだったと思う。
病棟に一人の患者さんがいた。私が実習を受ける9か月くらい前とのことだが、発熱のため生協病院小児科を受診。病歴、身体所見から髄膜炎を疑い、速やかに腰椎穿刺を施行、細菌性髄膜炎と診断しステロイドや抗生剤で治療を開始するが半日程度で病状が急速に悪化し、脳にきわめて重篤な後遺症を残されたそうである。数日後に培養検査の結果が返却され、インフルエンザ桿菌が起因菌だったとのこと。
ご家族も、医療スタッフも遅滞なく速やかに診断、治療を開始しても、時に細菌性髄膜炎は命を奪ったり重度の後遺症を残したりする。毎日ご家族が面会に来て、
「早く元気になってね」
とお子さんに声をかけている姿を見ると、とても胸が痛んだ。
今はアクトヒブ、プレベナー13も乳児の定期予防接種に組み入れられており、国内でもワクチン接種開始後から、インフルエンザ桿菌、肺炎球菌を起因菌とする髄膜炎は急速に減少している。おそらくワクチン開発、ワクチンの普及があと10年早かったら、この悲劇は避けられたのかもしれない。
その後、診療所で仕事をしていた時、ワクチン外来も担当していたが、母子手帳を見るとアクトヒブ、プレベナー、時にはMRワクチンも空欄のお子さんが来られることがあった。どうかワクチンで予防できる疾患に対しては、ワクチンを接種してほしいと強く願っている。
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