第21話 いろいろな制度変更と勉強会の話
私たちの学年から、医学科のカリキュラムが大きく変更となった。一つは、診療科別授業から臓器別授業へと変更されたこと、それと、授業にPBL(Problem Based Learning)が導入されたことである。従前の講義型の授業よりも、講義の中で問題点を提起し、それについて各自が「自主的に」学び、問題解決を図る、というスタイルの方が、知識の定着に有用である、というevidenceに基づいた変革であった。
とはいえ、カリキュラム変更の初年度は、先生方も不慣れであり、試行錯誤のような授業であった。今振り返ると、先生方も片手で外来診療、病棟診療をこなしながら、もう片手で、新たな授業体制に合わせて学生へのハンドアウトを作ったりと、大変だっただろうと思う。学生側も、十分にトレーニングされていないので、
「問題点の抽出」
といわれてもどうしてよいのか、わからないままであった。
例えば、とある疾患について勉強してもらおうと教官から症例提示がされるが、症例を見ると明らかに典型的な症状を呈している患者さんの病歴が提示され、典型的な検査結果が添付されている。症例を見れば、誰でも間違いなくその疾患が想起され、学生側はどのように問題点を抽出するか、途方に暮れていた。今の自分なら、その中からProblem Listを作り、鑑別診断を挙げ、議論することは可能なのだが、あの頃の実力ではそれはやはり難しかったと思う。今は、どのような形になっているのだろうか?
カリキュラム化はされていなかったが、OSCE(Objective Structured Clinical Examination)の国家試験への導入、臨床実習前のCBTの導入などもちょうどその時期に議論されていた。
大学生は人生のモラトリアム期間、と考えられていることが多いが、医学生の中には非常にモチベーションが高く、自分たちで勉強会を立ち上げ、率先して勉強する人たちも少なからずおられる。私たちの学年でも、長老組の岡原さんを中心に有志が集まり、勉強会を持つようになった。もちろん、私もその勉強会に参加したのだが、Supervisorとして、学生のカリキュラム作成などにかかわっていた医学教育計画室に所属しておられた川谷先生が、迷える私たちの道しるべとなって勉強会を助けてくださった。先生は僕たちの勉強会に”Medical-Bambi”と名前を付けてくださり、メーリングリストを作ったり、先生のつながりを通して、OSCEでとても大切な役割を担ってくださるSP(模擬患者さん)のグループの代表の方とお話しできたり、少し実践をさせていただいたりすることができたりと、本当に助けていただいた。
OSCEについては、SPさんを交えて実技をする前に、自分たちで練習会を持った。練習を始める前に、
「君たち不慣れでしょ。まず僕がやって見せるね」
と川谷先生はおっしゃって、実演してくださったのだが、臨床経験の長い川谷先生(専門は心臓血管外科)は、すでにご自身のスタイルが出来上がっているので、逆に教科書通りにできなかった。却ってぎくしゃくした医療面接となってしまった。
「いやぁ、もう自分のスタイルが固定してしまっているので、なかなか教科書通りにはできないなぁ」
と困った顔をしておられたことを覚えている。
勉強会としては、クラスの中で有志が集まって行うものもあれば、学年の枠を超えて集まっている勉強会、学外の組織が主催し、学生を代表として行うような勉強会もあった。前者としては、第二病理学講座の杉上先生が中心となって行われていた、New England Journal of Medicineに連載されている”MGH-CPC”の輪読会などがあった。こちらにも参加させてもらっていたのだが、杉上先生が大学を離れられてしまい、勉強会は止まってしまった。本来なら医師として、NEJMくらいは購読すべきだ、と思いつつ、不勉強な今の私がいる。
学外組織が企画し、学生が中心となって呼びかけ、開催する勉強会としては、民医連に所属している地元の生協病院の勉強会が記憶に残っている。一度は聴衆として参加し、一度は中心メンバーとして参加させてもらった。自分が中心メンバーとなった時の症例は、もう忘れてしまったが、聴衆として参加したときの症例は覚えている。離島で実際にあった症例をベースにしており、1か月以上続く不明熱、いろいろと検査をして、最終診断は「血球貪食症候群」というものであった。当時の国試ガイドラインには「血球貪食症候群」が含まれていなかったためか、授業で扱われることも、僕らが使っていた国試対策を前提とした教科書にも載っていない疾患だったので、「へ~っ、こんな病気もあるんだ」と心に残った(後期研修医時代、この勉強会の記憶が、患者さんの命を救うことにつながるのは、この時にはまだ知る由もないことだった)。
色々と脱線してしまったが、私たちの学年のころから、カリキュラムも、そして医学教育、臨床研修に至るまで大きな変化があったのは確かであった。それまでの過去問はほとんど意味がなくなり、臓器別のカリキュラムとなったため、頻繁に試験が行われた。一番つらかったのは4年次の麻酔科学の試験で、大学祭の前日に試験が行われた。しかも、大学祭の中心学年が4年次なので、大学祭の準備と並行して2週間で麻酔科学の勉強を行なうことになった。大学祭委員のトップであった親友滝口君と、No.2であった私は、本当に血の汗を流すような思いで両方に頑張ったことを覚えている。そして、私は大学祭当日に血の汗ではなく血尿とひどい腹痛に襲われ、尿管結石と診断された、というオチまでついている。
そして、進級要件とはされなかったが、4年次から、臨床実習の始まる5年時に進級する際に急遽、OSCEと第1回の試行CBTも受けることになった。今では、臨床実習を受けるためには、OSCEで臨床技能を、CBTで知識の確認を受け、どちらも合格しなければ臨床実習を受けられなくなっており、その先駆けとなった学年である。
激動の中ではあったが、私たち(少なくとも私や、それぞれの勉強会に参加していたみんな)はより良い医師になろうと、精一杯頑張ったのである。そして、みんなで一緒にトレーニングして身に付けたOSCEでの技術は、医師歴20年近くたった今でも、私の日常診療を大いに助けてくれている。
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