第12話 解剖学と生理学、静と動

 2年次の前期は、専門の授業では生理学を学んだように記憶している。第一生理学講座の教授からは酸-塩基平衡の基礎、それにかかわる腎機能の説明、電解質など、いわゆる植物的生理学(植物的、というのはhouse-keepingといってもよいのかもしれないが、生物が生存するにあたって、必須のもの、というニュアンスと取ってもらえれば、と思う)を学んだのだが、その時はわかったようなわからなかったような、キツネにつままれたような気分で授業を受けていた。特定の教科書を指定されていたわけではなく、先生の配布するプリントで授業が行われていたが、先輩方の話では

 「教授のプリントは絶対取っておいた方がいい。後になって役に立つから」

 とのこと。


 実際に、学年が上がり、各臓器の疾患、病態を学ぶようになって、初めてプリントの内容がストン、と腑に落ちるようになった。実際、卒業して20年近くたつ私の本棚には、いまでもそのプリントが置いてあり、時に見直すこともある。


 第二生理学の先生からは、記憶の分類など、いわゆる動物的生理学を学んだのだが、こちらの方はあまり記憶に残っていない。キャラクターの立った個性的な先生、個性的な授業の方が記憶に残るのだろう。それと、内科医として勤務するうえでは、酸塩基平衡や電解質のことで頭を悩ますことが多いせいだろう。


 看護師さんや臨床検査技師さん、放射線技師さんなど、いわゆるco-medical workerの教育課程では、生理学は解剖学とセットで、解剖生理学として学習されていることが多いようである。実際に本屋さんでも、医学のコーナーには「解剖生理学」として取り扱われている本が多い。このことは、私はよいことだと思っている。解剖学はいわば生体の構造に焦点を当てる「静」の学問、生理学は、その構造の中でどのようなことが起きているかに焦点を当てた「動」の学問である。現在は解剖学教室で行なわれている研究も単純な構造だけでなく、その機能にも踏み込んだものを研究しており、このような立て分けはもう意味のないことかもしれない。その点で「解剖生理学」とまとめるのは適切であろう。ただし、医師になるために要求される知識量は、生理学、解剖学とも莫大であるため、授業形態としてはこのような形は続くのであろう。正常な「静」と「動」、ともに理解して初めて「病気」という異常を理解できるのだと思う。


 生理学については、実臨床で、患者さんの病態を考えて、初めて理解できたことがたくさんあったのは事実である。その点で、基礎知識として生理学、解剖学の知識を備えておくことは極めて重要であるが、本当に理解できるのは、その疾患、病気で困っている患者さんを診察して、実際に現場で苦労したときである。残念なことは、基礎→臨床の流れで学習は進んでいくが、臨床→基礎の振り返りをする時間、余裕がないことである。隙間を見つけて、解剖学や生理学を復習する、このことは最新の医療情報を学ぶことと同様に臨床医にとって必要なことではないか、と考えている。


 また、生理学では、実臨床と関係が深いところは少し多めに時間を割いてくれていたが、あまり実臨床とはつながりがなさそうなところは、さらっと流して授業をしていた。ところが、思わぬところから新しい薬が出てくることがあり、なるほど、そうだったのか、とその時点で復習することもあった。


 今では当たり前のように糖尿病の患者さんで使われているDPP-4阻害薬やGLP-1作動薬。これらの薬は私が後期研修医の時に市販されるようになった。ということは当然、医学生の時には存在しなかった薬である。前述の薬の作用機序を理解するためにはインクレチンの話、その原点となる実験である

 「同量のブドウ糖を血管内に投与するか、経口で投与するかで、その後の血糖値の動きに大きな違いがある」

 ということ、ここがそれらの薬剤の作用機序を理解するうえで非常に大切な知識である。今は非常に大事なところなので、おそらく結構時間をかけて勉強すると思うのだが、僕らの時は確か1時間もかけずにする~っと授業が終わったように思う。僕自身も、

 「等量のブドウ糖なのに、経口摂取だと血糖値はそんなに上がらないんだ。それは腸から膵臓に血糖を下げるように働くシグナルが出るからだ」

 くらいにしか覚えていなかったので、新薬の説明会で説明を聞き、「おぉーっ!」と感動したことを覚えている(その基礎研究は1900年代初頭の研究だったから、基礎研究から薬になるまで100年近くかかっていることになる)。

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