第10話 地域間の収入の格差

 医学部に進学するにあたって、6年間の生活をどうしようかと、うすぼんやりながら考えていた。同級生の中でも、前述の「長老組」の中には、本当に自分の稼ぎだけで授業料と生活費を捻出している人も少なからずおられ、本当に立派だと尊敬していた(もちろん今も尊敬している)。私の場合は、学部生、修士課程の時には日本育英会の奨学金をもらっておらず(授業料免除で乗り切った、というか乗り切れるほど家が貧乏だった、ということ)、博士課程の1年間、月額11万円の奨学金をもらい、そのお金には手を付けていなかったので、その121万円と、日本育英会の奨学金と、授業料免除と、恩師からの応援と、後はアルバイトで何とかしよう、何とかなるだろう、と甘く考えていた。


 進学後、すぐに日本育英会の奨学金の手続きを行なったが、最後の最後で大学事務局から連絡があり、

 「大学院に進学したことのある人は、もう学部の奨学金をもらう資格がない」という規則になっているので、奨学金は貸与されない」

 と伝えられた。手元にある資料にはそんなことは一言も書いていないので、大いに驚いた。奨学金は月4万円程度と大きく、ここで大きな誤算をしてしまったわけである。


 大急ぎでアルバイトを探さなければいけない、と思い、地元でしばしば購入していた”an”(アルバイトニュース)を本屋さんで探したが、そんなものはなかった。アルバイト情報誌として「あつまる君の求人案内」ともう1冊は名前を忘れてしまったが、その2冊を購入した。何かいいバイトがないかなぁ、と雑誌を見ていると恐ろしいことに気づいた。


 時給が地元と比べて格段に低かったのである。そのころ、地元でのアルバイトは、時給700~800円くらいが普通で、深夜のバイトなら、1200円くらいは普通にあったのだが(実際に、前大学時代、冬休みに大学及び空港近くの宅急便拠点で22:00~3:00までの航空便仕分けバイトをしたことがあり、深夜手当込みで時給1250円くらいだった気がする)、当時のその地域の最低時給は571円(!)、記載されている記事を見ても、まともな仕事なら最低賃金のものしか見つからなかった。家庭教師や塾講師のアルバイトにも応募したが、あまり色よい返事はなかった。バイクが好きなので、バイク便にも応募したが、これも返事はなかった。


 当初の2か月ほどは、貯金を崩して何とかしていたが、入学金、授業料、家財道具、教科書などを購入するとあっという間に貯金の底が見え、本格的に仕事を探さなければならなくなった。で、結局、自宅近くのお弁当屋さん兼スーパーの張り紙を見て、

 「仕事を探しているんです。お願いします」

 とお願いし、その最低賃金で、お弁当屋さんのアルバイトをすることになった。夜のお弁当屋さんは、パートのおばさん(名前はもう忘れてしまった)が、17時~23時まで勤務、それとアルバイトのシフトが17時~21時、19時~23時のシフト制だったと記憶している。もともとスピード命のホカホカ弁当なので、手際が肝心、ご飯が無くなる前に新しくご飯を炊いて、でも閉店までにご飯が余りそうなら、ちょっと待ったり、半分だけご飯を炊いてなるだけご飯が無駄にならないように気を付ける。ご飯は基準が280g、ご飯大盛はたしか380g。注文は間違えないように、どんなに忙しくても愛想よく笑顔を絶やさないように(これは難しかった)。調理のおばちゃんの手が回らず、調理用のフライパンが洗えずどんどんたまってくるようならフライパンも洗ったりと忙しく働いた。都合1年半働かせてもらったが、どんどん仕事に慣れてきて、おばちゃんの代わりに調理にも携われるようになったのは、今でも役に立っている。


 お弁当屋さんで勤めているからといって、お弁当はただでもらえるというわけではなく、お弁当は自分で調理して、きっちりお金を払って買うのが原則だった。基本はのりタル弁当(のり弁にタルタルソースがのっている)330円、少し気分を変えたいときは高菜弁当390円やビーフ弁当460円、お金がないときは家でご飯を炊いて焼きそば280円をおかずに腹を膨らませ、リッチな時は牛とじ弁当560円か、かつ重弁当560円を買って帰っていた。一生懸命働いて、月に4万円程度の給料。それだけで生活が成り立つわけでは全然なかったが、少し身につけた料理のコツはいまも役に立っているはずである。あと、ご飯を作ってもらえることのありがたさを実感できたこと。いつも食事を用意してくれる妻には大変感謝している。


 母が私たちに、厳しく家の手伝い、料理の仕方を教えてくれたので、台所に入るのは、ひとり暮らしをする前もそんなに苦ではなかったが、今も、調理のために台所に立つことに全く抵抗感がないことは、自分にとっても、子供たちの教育にとっても良いことだと思っている。子供たちの前でも、料理や後片付けを普通にするお父さんの姿をよく見せているのだが、子供たちのお尻が重いのは、いかがなものだろうか?


 前大学で取得した語学、体育の単位と、一般教養の単位をある程度振り変えることができたので、2年生の前期までは少し時間の余裕があった。友人の紹介してくれた某CMのない放送局のアルバイトは金銭的に大いに助かっただけでなく、この街の様々な町をくまなく歩く仕事だったので、土地勘を養うにも大いに役立った。2年生の夏休みは地元に長期間戻り、伯父の紹介で倉庫業のアルバイトをさせてもらい、これも金銭的にも、体力をつけるという点でも助けていただいた。大学2年の後期は解剖実習で全く時間がなく(毎日9:00~23:00まで実習、その後はその日の復習に時間がかかる)、一人で生活を成り立たせていた長老組の人にとっては本当につらい時期だったと思う。この時には本当にアルバイトをする暇もなかった。大学3年生の時に妻と結婚したので、家計としてはずいぶん楽になったが、4年生頃までは家庭教師のアルバイトをしたりしていた。


 色々とアルバイトをさせてもらったが、何より衝撃だったのは、やはりこの地域の時給の安さであった。時給に見合うだけ、物価が安ければよいのだが、物価は地元とそんなに変わらず、相対的に貧しい生活を送らざるを得なかったのは、自分にとって良かったことでもあり、つらかったことでもあった。


 ちょうど今(R3.7月)、全国の時給の平均を900円以上にする、という議論が厚生労働省で行なわれている。今日(R3.10/1)から全国の時給が900円以上になったはずである。あの頃の最低賃金、時給571円から考えるとびっくりするような金額である。

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