第9話 なんで医師になりたかったんやろう?(その2)

続きです。


 医学修士に進学すると、やはり基礎系講座と臨床講座では学生の扱いに違いが大きく、基礎系講座は、「優秀な研究者の卵」として見てくれ、講義にも熱が入るのだが、臨床系の授業は、こちら側はどんな授業か、と期待しているのだが、講師として来られる先生は「医師免許を持っていない人に講義をしても…」という態度が見え見えだった。確かに阪大医学部の基礎系講座は分子生物学、免疫学、発生学などの分野で多大な成果を出していたが、私は臨床に近い研究がしたかった。


 運命的な出会い、というのか、たまたまなのかは定かではないが、微生物病研究所 分子原虫学分野(平たく言うと、寄生虫学講座)のボスの講義を受け、強い感銘を受けた。同研究室では今もたくさんの人の命を奪っている熱帯熱マラリアに対して、ワクチンとなりうる抗原を発見しており、ワクチン開発のための基礎研究をしているとのことであった。世界における寄生虫病の蔓延、薬剤耐性マラリアの増加で従来の薬がどんどん効かなくなり、薬剤耐性マラリアが熱帯地域の脅威となっていること、その研究に従事する基礎研究者が足りないことなどを熱く語ってくださった。「私の行くべき道はここだ!」と感動し、お世話になることになった。寄生虫は大きく分けて蠕虫(多細胞生物)と原虫(単細胞生物)に分けられ、致死率の高い熱帯熱マラリアをターゲットに、分子生物学的アプローチでワクチン開発を行う、とのことで分子原虫学、という講座名になったのである。寄生虫の世界は、原虫も蠕虫も面白くて、研究の種はたくさんあった。私にも、いくつかのテーマが与えられたが、修士論文としては、ワクチン候補抗原の遺伝子多型を調べた、というものになった。


 医師になりたい、と強く思うようになったのは、診療所での事務当直を経験したことが最も大きいと思う。内側から医療を見てみると、それまで思っていたように、医者は優しくて患者思いの人ばかりではなく、情熱をもって医師の仕事をしている人もいれば、学業成績が良かったから医師になったけど、それほど臨床医としての仕事は好きではない、という人もおられた。時にやる気のない医師の姿を見ると、「それなら、俺が医者になったほうが絶対役に立つよ!」と思うようになった。「医者になりたい!」と心から思うようになった。


 もちろん、そのような前向きな気持ちだけではない。大学院生として実験、文献の抄読をする中で、2年上級のM先輩にはすごくお世話になった。仲良くしていただくと同時に、M先輩の博学に大いに驚かされた。2年後に自分がそのようなレベルになれるとは到底思えない。学問の世界で生きていこうとすれば、このような人たちとポストを争うことになるのである。どう考えても、自分のレベルでは学問の世界で生きていくことはできないと痛感した。研究の世界で食べていくことに挫折したのである。

 

 余談であるが、それから10数年後のことである。たまたま遺伝子の研究に関する記事を新聞で読んだ。細胞内でのDNAの状態は、教科書では精緻に折りたたまれた状態で存在している、と考えられていたが、X線構造解析を行うと、そのように精緻に折りたたまれているわけではなく(折りたたまれるのは細胞分裂の時くらい)、もっとほぐれてフレキシブルな状態で存在している、との記事であった。「あぁ、そうなんや」と思いながら記事を読んでいると、その研究者のお名前はなんと懐かしいM先輩であった。所属は某国立研究所の教授となっておられた。お世話になった先輩が若くして教授になられていることがとてもうれしかったと同時に、「そりゃぁ、勝てないよなぁ」としみじみ思った。先輩がそばにおられたことで、研究者として生きていくことの厳しさを認識し、人生の路線変更を決意できたことを思い出し、うれしいと同時に感謝した。


 そんなわけで、もう自分には退路がなかった。Positiveな動機、Negativeな動機、ひっくるめて、人生の進路変更を行なうのは今しかない、と思ったのが25歳、大学院博士課程1年次であった。


 講座のボスには

 「1年間だけ医学部受験のための時間をください。もし不合格なら、残りの3年、しっかり実験、研究をします」

 とお願いし、研究室に籍を置かせてもらいながら受験勉強を開始した。実験は免除してもらったが、講座の実験セミナー(各自の研究の進捗状況を発表、講座のメンバーから批評、アドバイスをもらうセミナー)、論文セミナー(文献を数本、批判的に読んで発表、新しい知見を発表すると同時に、文献の読み方について批評を受ける)には参加、ちょうどその年に名著 “Molecular Biology of the CELL 3rd.edition” が発売された(時代を感じます)ので、ボスを交えた輪読会にも参加した。当然、研究の世界に戻った時に、その時代についていくためである。実験セミナーでは私は自分の模試の結果を発表、自己批判と今後の方針を発表し、ボスや他の先生方からも、もっと頑張った方がいい、と厳しい指導を受けた。


もちろん、週に1,2回、診療所の事務当直も継続していた。特に何かを期待していたわけではなかったのだが、上野先生に、

 「ここで事務当直をさせてもらって、子供のころからなりたかった医師になろうと思い、いま勉強しています」

 と報告した。上野先生は、しばらく黙っておられ、それからこうおっしゃられた。

 「私は、『医師の仕事』は、患者さんを診ることだけではなく、次代を担う医師を育てていくことも『医師の仕事』だと思っています。ここでの君の働きを見ると、君は応援するにふさわしい人物だと思っています。もしよければ、君が医学部に合格したら、私に応援させてほしい。君は君のなりたい医師になればいい。私が応援したからと言って、診療所に縛り付けるつもりはありません。しかし、もし君が医師になった時、君と同じ臨床の現場に立てれば、私はとてもうれしい」

 と。とてもありがたい言葉だった。上野先生の想いにも応えたい。そう思って、空き時間を見つけては勉強に励んだ。アルバイト代をためて、駿台予備校の夏期講習、冬期講習にも参加した。社会はあまり好きではない地理、歴史ではなく、倫理を選択、自習した。


 頑張った甲斐もあり、徐々に成績も伸びてきた。「勝負はセンター試験!」と考え、冬に入るとセンター試験対策に励んだ。そのおかげで、センター試験は9割越え、少し医学部合格の光が見えてきた。


 第一志望、第二志望の大学を熟考し、センター試験自己採点結果で合格判定を見ると、どちらもA判定だったが、残念ながら第一志望は不合格だった。そんなわけで、後期試験で何とか医学部医学科に滑り込めた次第である。

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