『本を焼く』

お望月さん

本を焼く(Book Burning)

 僕は森の中の縦穴に火を投じる。メラメラ、パチパチと小気味の良い音を立てて本が燃えていく。炎の舌に舐められた本がパタパタと身をよじり、最後の悪あがきをしている。僕の顔は、炎の照り返しを受けて赤く染まる。


 切り株に腰かけながら、木の枝で黒く燃え尽きた表紙をつつくと無傷の頁が露わになる。僕は丁寧に頁をめくり、真新しい紙面を451度の炎に晒していく。


 全ての本が燃え尽きたのを見届けて、僕は焚書場を後にする。


 森のけもの道を歩く。この島は、どこにいても潮騒と念仏が聞こえてくる。念仏の方向へ近づいてはいけない。


 僕は、いつもの民家を訪れる。


「おはようございます、お邪魔します」

「あら、先生、おはようございます」

「いや、僕はセンセイではないですよ。あくまでも趣味の活動で……」

「いえいえ、先生はきっとお偉い人だろうと、皆で噂をしていますよ。お茶を出しましょう」


 ソテツ茶を淹れるために席を外した老婆の眼を盗み、本棚を漁り、今日のラインナップを検分する。本土との交流に乏しいこの島でも、本棚に「湧く」作品は大都市のそれと変わらない高度なものだ。


『ラマについて』『木を植えた男』『正義について』住民たちの教育レベルは高い。だが、僕が探しているのは、この島独自の文化で育まれた、独自の作品である。


 この孤島の、本土とは異なる文化、例えば教会とは異なる、古い念仏が発展している様子であったり、自給自足の生活ゆえに物々交換が発展した経済であったり……そういったルポタージュ的な書籍を確認するために僕はこの島へやってきたのだ。


 つまり、こういったありふれた書籍は、この島には必要がない。僕は素早く蔵書をショルダーバッグに仕舞い込む。老婆は本棚が空になったことを気も留める様子も見せず、ソテツ茶と、もそもそした、わずかな甘味がある茶菓子を振る舞ってくれた。


 僕は礼を述べて民家を辞す。

 ショルダーバッグいっぱいになった本を森へ運び、縦穴に放り込む。この島は、どこにいても潮騒と念仏が聞こえてくる。


 次に向かうのは、港湾事務所だ。

 この島にも、小さなデッキを備えた港があり、港湾事務所では違法船舶の監視や船舶登録等を受け付けている。


「こんにちは」

「先生、よく来たね」

「センセイは、やめてください」

「ヒヒヒ、この島でヨットを買おうとするようなお大尽は、あんただけだからね」

「その話は、やめてくださいよ」

「まさか無免許だっとはなあ、ヒヒヒ」

「まいったな。でも、寸前で止めてもらえて助かりました」

「そうだぞ、海をなめるな」

「ご忠告、痛み入ります」


 よく笑う小柄な老人が、港湾事務所の長だ。日焼けした肌に白い歯が目立つ。かつては七つの海を股にかけたとうそぶく海の男だ。


「監視の調子はどうですか」

「シーサーペント一匹、通らないよ」


 僕は港湾事務所の本棚を物色する。

『狼に育てられた少女』『トロル語入門』『セントエルモの火』

 船舶に関係する『セントエルモの火』を残し、他の本をショルダーバッグに放り込む。このような暴虐を目の当たりにしても老人は気に留める様子はない。


「南国の港で出会った双子の恋人の話はしたかな」

「それは先日お聞きしました」

「俺が巨大な蟹を島だと思って乗り上げた話はどうかな」

「また明日、聞かせてください」


 ショルダーバッグには余裕があるが、僕は本を森へ運び、縦穴に放り込む。この島は、どこにいても潮騒と念仏が聞こえてくる。


 昼食のためにアルバトロス亭へ足を運ぶ。

 港を一望する高台にある酒場は、島で唯一の飲食店だ。

 味気のないパンで島野菜と魚や鳥肉を挟んだアロバトロス・サンドが唯一の名物である。女将が、パン、野菜、鳥、チーズ、パンの順番で皿の上に重ねて料理を完成させる。僕は、一気にかぶりつき、指先についたソースを舐めとる。


「先生、よく飽きないね」漁師の男だ。

「アタシの腕がいいんだよ」酒場の女将が言い返す。

 正解は、味はどうでもいい、なのだが、僕はおくびにも出さず曖昧な笑顔を返す。

「ほらね、旨いんだよ」

「どうだか、先生が困ってるじゃねえか」

「ハハ……ごちそうさまです」


 午後は、音楽ギルドへ向かい、そのあとに手芸店へ向かう。村人たちは怪訝な顔を見せず、僕の本泥棒を見て見ぬふりだ。どうせ、翌朝になれば本が「湧く」ことを彼らは知っているのだろう。あるいは知らずに気にもしていないのであろう。そういう態度が本棚の整理を怠り、荒廃を招いたのだ。


 僕は古文書の調査のためにこの島を訪れた。孤島の町に残された、現地の風土や風習を余さず記したタイムカプセルを求めるために旅立ち、実際に何冊かそのような本を収集した。


 この島を訪れた開拓民の活動記録、宿帳に残された冒険者の名前、この島が活性化されていた時期の名残の交換日記、それは少なからず、僕の知的欲求を満たすものであった。十分な成果を得て、意気揚々と本土へ帰ろうとしたときに異変に気が付いた。


 本土へ帰還する手段がない。


 そもそも、どうやってこの島へやってきたのか、なぜ古文書を収集する仕事を続けているのか、理由が分からなかった。思い出そうとすると、何か頭がモヤモヤする。とにかく、僕は、この島で古文書を見つけ出し、それを本土へ持ち帰る使命が課せられているということだけが、漠然と心の底にへばりついていた。


 一年中変わらない気候、ルーチンワークを繰り返すだけの住民、森の奥は大鬼が出る危険地帯、ノルマを達成しても帰任する手立てのない環境、僕の苛立ちは募り、やがて町への八つ当たりとして発露した。


 つまり、この島の本棚のすべてを、自分好みの本で埋め尽くす、という壮大な計画である。幸い時間は無限にある。銀行にはたくわえがあり、森への行き交えりで薪を拾えば、一日の宿代には事足りる。


 町中の本棚をチェックして回り、先進的な本を盗み取り、森へ捨てる。翌朝になると新たな本が本棚に補充されるので、適切な本を残して、不要な本を森へ捨てる。


 気が狂いそうな工程である。だけど、それを続けない限り、僕は正気を保つことはできなかった。僕はすでに、この島のすべてを覆えるほどの本を捨てたおかげで正気を保っていた。もし正気を失ったら、僕は町の辻に建つ「配達員」「商人」「花嫁」のように、いつ訪れるとも知れぬ、冒険者を待ちづける、自我を持たぬ人柱になってしまうのだろう。


 いつだったか、この島のはずれに冒険者が訪れたのを目撃したことがあった。僕は島の外へ連れ出してもらうために声をかけようとしたが、冒険者が花嫁を焼き殺していたので、踵を返した。


 この島を訪れる冒険者の大半は、花嫁を殺す。面白半分に花嫁を殺しているわけではなく、彼女らが履くビンテージサンダルが目的であった。花嫁のむくろはドレス姿のまま打ち捨てられ、どこからともなく現れた坊主が念仏を唱えて荼毘に付した。この島は、どこにいても潮騒と念仏が聞こえてくる。


 冒険者や大鬼の襲撃に怯えながら一日分の「仕事」を終え、宿へ帰る。なぜか僕を偉いセンセイだと思い込んだ町人達は皆は親切で、宿代以上の食事や毛布を提供してくれる。


 僕は彼らの期待に応えなくてはならない。この島の本棚を完璧に仕上げて見せる。「セントエルモの火」「孤島」「漂流した男」「魚でSOSを描く方法」他にも、この島にふさわしい本があるはずだ。なんなら僕が書いても良い。


 例えば『本を焼く』なんてどうだろうか。 


 それではまるで告白書だ。この手の文書は、ワインの空き瓶に詰めて浜から流すに限る。この島から誰もいなくなったころに、誰かが手にすることだろう。僕は少し楽しくなって、寝台に寝転がり、夢想した。


 僕のSOSボトルを、好き者の冒険者が発見する。


 彼、あるいは彼女が、誰もいない町を探検すると、収録内容が統一された本棚が彼らを出迎える。彼らは嘆息し「なんて素敵な町だったのだろう」「この町の人々は優れた文化を持っていたんだ」等と言い始める。


 それは僕がやったんだぜ、この町の独自の文化を育んだんだ……偉大な司書だ……


 僕は微睡む。

 明日も本を焼こう。


 この島は、どこにいても潮騒と念仏が聞こえてくる。

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