第24話

 月の裏にまさか素の状態でやって来られる日が来るだなんて。

 月の裏にあったのは、魔術によってなのか黒く焦げた場所や崩れた場所が多々ある、月の裏いっぱいにひろがる廃れた街並みだった。


「戦争があったのね」


 そのティッカさんの言葉は、『涙の大釜』に描かれていたことが本当であったと、自信に再確認させるものだった。

 ここまで来ても謎の魔法が切れることなく、中央にある宮殿に向けた俺たちは運ばれていた。やはりというか進めば進むほど保存状態はいい。というか、これは壊れた箇所も無事な箇所も、本当にそのままの状態なのだろう。住民だけを除いて。


 宮殿に入っていく。魔法は止むことはない。今と比べても豪勢な金と宝石に飾られた宮殿内。その最奥、ひと際厳かな雰囲気を漂わせる開けられたままの扉をくぐれば、そこには小さいながらも丘があった。そしてそこに、小さな影あった。


「女の子?」


 女の子が俺たちをここまで呼び寄せた張本人であり、おそらく『涙の大釜』に出てくる女の子なのだろう。腰まで流れた銀の髪に、こちらを静かに見定める深い青。浮かべられた微小が崩れると、かわいらしい声が奏でられた。


「ようこそ。私は最後の上王シエル。ライラ・ティッカ、カサネ・ハジロ、カナメ・クラミ。あなた達を待っていました」

「私たちのこと、知っているんですか?」

「もちろん、ずっと見ていましたから。……あなた方が『涙の大釜』と呼ぶ歴史の真実にたどり着いたことも知っています。ですから、わたしは、ライラ・ティッカの父君との約束を果たすためにあなた方をここまで招待したのです」

「お父さんとの約束?」

「あなたがもし謎を明かせたのならば、あなたに自分にした話をして欲しいと。厳密にほそこのカナメ・クラミのようですが、縁の力もライラ・ティッカの力ですので」


 それはつまり、ティッカさんなら辿り着けるという信頼だったのだろう。ティッカはその言葉に胸のペンダントを抱くと、シエルさんに言う。


「聞かせてください」

「それが、私とあの男の約束ですから」



***



 神代の後、戦乱の前の五大国時代と呼ばれた時代。中央大国ミーズにエリンを治める上王がいた。そして、その地位奪取を目論んだ北のウラドが攻め込む。ミーズは突然の攻勢に王都への侵入を許してしまう。飛ぶことが出来ない女の子は、風の魔術に吹き飛ばされどうすることも出来ず、丘にある王宮まで風に運ばれてしまう。


 そこで運命石に新たな上王として選ばれたシエルさんは誓約を受ける。一つ、この地を離れてはいけない。


 これを以って上王にされてしまったシエルさんは、上王としての運命を全うするまで死ねなくなった。それと同時に秘宝の管理権を得た。


 そんなことなど知らない女の子は争いを無くすことを願い、もう一つの秘宝『聖なる大釜』を行使する。その結果もたらされたのは魔術というか『文字』の世界からの剥奪と、王都の飛行だった。


 そうして年月が経ち妖精達は死に絶え、今に至る。



*** 




「『涙の大釜』に関してはこれで以上です。何か質問は?」

「〈文字〉というのは、なんなんですか?」

「意味を持った線を組み合わせた物です。少ない線で多くの意味を持ちます。これに魔力を込めたものが魔術です」


 ということは、文字自体は存在していたのか。それにそれから考えるに、バルドはその文字を使っていたとみるのが妥当だな。


「クラミーの考えはどう思いますか?」

「ええ、本筋には関係ありませんので言いませんでしたが、間違いありませんよ。暗黒時代と呼ばれる戦争の時代の原因も、バルドについても」


 保つ面目もないが、よかった。羽白もよかったですね、なんて言っているがけしか

けたのはお前だろうが。


「あのシエルさん、お父さんも同じ話を聞いたんですよね?」

「はい。同じ話をしましたよ」

「なら、なんでお父さんはそのままを教えてくれなかったんでしょうか?」

「あの男の考えることはわかりませんが、もう一つあの男からはお願いをされています」


 シエルさんは何も変わらぬままに問う。


「ライラ・ティッカ。あなたは歴史のひとかけらとはいえ真実を知りました。あなたはこれをどうしますか?」

「私は——」


 優しい風が吹いた。



 その決意は、ライラ・ティッカという主人公が得た一つの答えだった。



「そうですか……」

「あの、駄目ですか?」

「いえ、構いません。それに、あの男はあなたならそう答えると言っていました」

「お父さんが、ですか?」

「はい。わたしも、その答えを得たあなたには期待しています。頑張ってください」


 どうやら、これが繋がるべきページだったようだ。

 過去、世界の在り方を大きく変えた女の子シエル。現在、世界の在り方を大きく変えていこうとしている女性ティッカ。物語的に、これ以上ないほど綺麗な繋がり方なのではないだろうか。


 ご都合主義が過ぎるなんてよく言われるが、案外世界はご都合主義で成り立っていたりするのだ。例えそれが悪い意味だとしても。

 ただ今回は、これからにかかっているのだろうが、俺が思うにいい方のご都合主義なんじゃないだろうか。

 羽白と顔を見合わせた。何も言葉にはしなかったが、きっと同じことを考えているに違いない。

 

 ——胸糞悪い展開にならなくてよかった。


 俺の方は言葉こそ汚いが、概ね羽白も同じことを考えているだろう。

 俺たち司書の役目は、物語の修復だ。例え待ち受ける結末が悪いものだったとしても、真実が悪夢のようなものだったとしても、その方向へと向かうしかないし、向かわせなくてはいけない。


 そうでなければ、矛盾を孕んだ物語は瞬く間に破綻し、世界は壊れ去ってしまうのだ。


 だからこそ、こうして良い方を迎えられたことに少なからずほっとしているわけだ。


 この先ティッカさんに困難が待っていたとしても、俺たちの為すべきことはしたのだから、あとは主人公様方のお力を信じて物語を進めてもらうのみなのだ。


「さて、ここに辿り着いたあなた方には褒美を授けなければなりませんね」


 褒美と来たか。


「ええ、あの男にも一つ褒美を授けましたよ」

「お父さんは何を?」

「あの男があなたには言わないように、と」

「ええ、お父さん……」

「一つ言えるとしたら、これからのこと、です」


 ティッカさんのお父さんの褒美についてはさておくとして、俺たちの褒美はもちろん決まっている。


「私、倉見さんの褒美については、ライラさんの自由になさってください」

「なんで⁉ ここに来られたのは二人のおかげで」

「たとえそうだとしても、ライラさんの自由にして欲しいんです。ライラさんのことを応援していますので」

「クラミーはいいの?」

「はい」

「二人がそう言うのなら、そうしましょう。さあライラ、三つの願い事を言ってごらんなさい、私にできる範囲で与えましょう」

「急に言われても……」


 どうしてくれる? なんて目でこちらを見て、あー、だの、うー、だのと、唸りに唸っている。

 俺たちのいた世界だったら最初のお願いを「お願いを無限にする」などととりあえず言ってみるものなのだが。


「決めました」

「聞きましょう」


 ティッカさんはシエルさんに一歩近づき、その目をしっかりと覗いた。


「一つ目は、私がこれからすることのお手伝いを」

「降りることできませんが、助言したりや相談に乗ることを約束しましょう」


 何百年と生きるシエルさんの知恵を借りるのか。これはいいのではないだろうか。


「二つ目は、私の意思でここに来られる権限をください」

「ええ、そのペンダントを持っている限り、あなたはここに来る権限を得ます」

「これ、ですか? お父さんにもらったものなのですが」

「それはこの地の特別な輝鉱石をペンダントにし、あの男に授けたものです。その魔力はいい目印となります」


 そんな気はしていた。地上では見たことのない、白い光を放ったペンダント。その光はまるで月のようだったから。


「三つ目は」


 と、最後の褒美を希望するのに、なぜかティッカさんが口をごにょごにょとさせてほんのり赤くなっていた。


「あの、こういうことってわざわざ言うことでもないし言ったことないんですけど」

「遠慮せず、私に叶えられるものでしたらなんでもどうぞ」

「じゃあ、その」


 ティッカさんは大きく息を吸い、緊張をゆっくりと吐き出した。


「私と、友達になってください」


 その言葉に、俺も、羽白も、そしてシエルさんも、一瞬時が止まってしまった。


「え、ええ。なにか言ってください。カサネにクラミーも!」

「いえ、実にライラさんらしいと思いますよ」


 確かに、ティッカさんは羽白とは違うタイプではあるが、他人の懐に入り込むのが上手い気はする。何かを伝えたいという言動は、何かを知りたいという心の裏返しなのかもしれない。


 「もう、どういう意味~?」と、ティッカさんは羽白に問い詰めてはいるが。


「あの男の娘らしい、と私も思いますよ」


 自然と視線がシエルさんへと集まった。


「あの男も、私を上王としてではなく、まるで小さな女の子と接するような風でしたから。ライラ、あなたも私を上王としてではなく一人の女の子として見るのですね、と」

「し、失礼しました」

「いえ、咎めるつもりはないですから、そのままで構いませんよ」


 そういうシエルさんは、きっと女の子でいることを、遥か昔、上王となったその日に、許されない存在となってしまったのだろう。経るべき過程をいくつも飛ばして特殊な存在になってしまった。


 これはあくまでも想像でしかないが、それまでは友として、親として、身近な存在として、近しい関係であった誰かとの距離が、上王という立場によって隔たれることになってしまう。


 突然訪れた孤独も拭えぬままこの都市に一人になって、本当に欲しかったものを眺めることしかできなかった、その時に忘れられた真実に辿りついたティッカさんのお父さんと、その娘であるライラさん。


 きっと、シエルさんにとって、二人は暗闇の中に差した光だったことだろう。

 あくまでも想像でしかないが。

 でも、友達になってくださいと言われ、今もティッカさんと会話をするシエルさんの顔を見れば、嬉しいということは明らかで。



 ——友達と話せて楽しい女の子、という風にしか見えなかった。



 ***



 約束を交わしたから、また話しましょう。

 俺たちは夜が明ける前に地上へと戻ってくることができた。

 長年の謎を解決し、未来への展望も見えたティッカさんは今、隣にいる。ティッカさんは家の展望台に俺と羽白、それからティッカさんは揃って寝そべり、今も淡く輝く月を見上げていた。


「ずっと、見えていたんだね」


 まるでメモを投げ捨てるようにして漏らした台詞はティッカさんのものだ。


「どうですか、今の気持ちは?」


 羽白の問いに少し悩んで「わかんないや」と返した。


「謎が解けて嬉しいけど、なんだ~そういうことか、って気もして」

「まあ、そういうものじゃないですか」

「お、珍しくクラミーが会話に入ってきた」


 まあ、最後だしな。ティッカさんの言葉は無視して言う。


「真実に驚愕するなんてこと、早々ないですよ。だってどれも原因と結果があって、それは積み重なってできているんだから。急になにかがでてくるとか、そういうことはないんですよ」

「そういうものか」

「そういうものです」


 ただ、驚きはなくてもどこか体がの力が抜けていく虚脱感があって、今もそういう感じだ。


「カサネはどう?」

「私は倉見さんの推理が聞けて満足です」

「そっか……」


 ティッカさんはなにか言いたそうにしている。俺も羽白もその言葉はわかっていたが、期待に応えることはできない。だから、ティッカさんが口にしてしまう前に羽白が言った。


「私たち、夜が明けたらまた旅に出ます」

「そっか……。元々旅をしていたんだっけ?」

「はい」

「寂しくなるなあ」

「何も今生の別れ、というわけではありませんから。また会えますよ」

「だといいな。なんか妙に不安でさ」

「大丈夫ですよ。ほら、倉見さんも何か言って」

「頑張ってください」

「ありがとうクラミー」


 それから、何かを漠然と感じているのか、その不安を埋めるようにくだらない会話は続いた。旅の最中でもここまで話し続けることはなかったのに。

 



 夜が明けて、俺たちはこの世界を後にした。

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