6「ライラ・ティッカと月の導」

第23話

 本来、この物語の謎は主人公であるティッカさんにも解決できるはずだ。しかし、それが叶わないからこそページは破損し、物語もまた破綻しまう危機に陥った。

 それを防止するのが俺たち司書の役目だ。だから物語を繋げるために謎が解決されたという結果を、破れたページの修復の為に作りあげなくてはいけない。

 

 旅は終わった。


 そんな言葉が空白だった頭の中に落ちて来た。

 ここだって別に俺の居場所ではない。ただ、下では女性陣が旅の話に花を咲かせているから、落ち着ける場所を求めて一人で展望台に上がった。時折、木の葉の隙から明るい声が抜けてくるが、森の香りをたっぷりと含んだ夜風に当たっていればさして気にならない。むしろ微かな音のある方が、静けさが際立つというものだ。


「さて」


 寝そべって見上げた空には相変わらず月が爛々と輝いていた。眩しいほどの光に昼でもないのに目を細め、星を見ることもなくそのまま閉じてしまう。


 旅は終わった。


 だとしたら、これ以上の手掛かりを得る機会がないのなら。

 これまで得たこととか、疑問とか、自身の中に渦巻いているそれらをまばらに紡ぎあげる。

 そしてそれぞれを繋ぎ合わせて……。


 一つの物語を俺は見た。



***



「……ん?」

「あ、お邪魔してしまいましたか?」


 足音に閉じていた瞼を持ち上げると、月光を遮った羽白が俺の顔を覗き込んでいた。吐息を感じる近さに一気に心臓が跳ねるのを堪えた。


「いや、大丈夫だ」

「そうですか。……それで、何かわかりましたか? 倉見さん、『涙の大釜』について考えていたんですよね」

「お前とティッカさんが圧力かけてくるからな」

「それは心外です。ただ、期待しているだけです」


 それを圧力と言わずしてなんと呼ぶのか。


「それに——」


 着いていた膝をぱっぱっと払うと腰を上げた。


「もう、だいたいの推理はできているんですよね」

「……まあ、そうだが」


 やっぱり、と笑う羽白は続けて言う。

「そういう顔をしていましたから」

「どういう顔だ、それ」

「いつもよりも素敵な顔です」


 この女は、なんでそういうことを平然と言ってのけるんだ。


「ライラさんを呼んできますね。あと、あたたかい飲み物も貰ってきます」


  羽白はティッカさんを引き連れてすぐに戻って来た。


 展望台に三人も集まれば狭くなるが窮屈というほどではない。

「どうぞ」

「んっ」


 甘い。


「それで、『涙の大釜』についてわかったってカサネに聞いたんだけど、ほんと?」

「……まあ、はい、一通りは」

「なによ、自信なさげね。クラミーなら大丈夫よ」


 羽白もそうだが、ティッカさんも俺に対する信頼感は謎だ。


「では、聞かせてください、倉見さん」

「お願い」


 さて、どう話したものか。飲み物で唇に潤いを取り戻す間で考え、話す。


「とりあえず、『涙の大釜』に肉付けしていく感じで話すか」


 反応を窺うが特に問題はなさそうだ。


「まずいつなのか。これはティッカさんの考えである四大国時代として考える。それに伴って場所はミーズの王都。ここまでに関してはティッカさんの案が核となる」

「ちょっと待って。自分で言うのもあれだけど、本当にそれでいの?」

「どうやら魔術というのは存在していたらしいですから。ウラドだけならまだしも、真反対のキラーニーに魔術の描かれた壁画がありますから。……それに、まだ理由があるんですけど、それはこの後言います」


 もったいぶるつもりは毛頭もないのだが後で話したほうがいいだろうと思う。


「次に行きますが、戦争はなぜ起きたのか、といよりなぜ起こすことができたのか。神代や四大国時代は海の底からやって来る共通の敵がいたはずなのに」

「確かにそうですね」

「だとしたら考えられるのは、その共通の敵の心配をする必要がなくなったことだ。だから戦争を仕掛けることができるようになった。理由はまあ、上王の座とか、もしくはより広大な国土とかが妥当なんじゃないか?」


 再び反応を待つが、特にはないようだ。俺は緊張からか饒舌になりつつあるのを自覚しながら、話を次に進める。


「ただ、ここで不思議なのが、戦争は女の子が治めたはずなのに、王都がなんの痕跡もなく、話にすらほとんど残らず消えているということだ。これについてはある仮設がある」


 口を甘くし、


「バルドは神代からいると言われているが、本当は四大国時代が終わってから生まれたんじゃないか?」

「そ、そんなわけないじゃない⁉」

「じゃあ、なぜ神代からいるはずのバルドは、神代のことを神話なんて曖昧に伝えているのですか? 歴史や、せめて伝承でもいいはずじゃないですか」

「それは」

「それに、です。もしバルドが四大国時代以降に生まれた存在だとするなら、四大国時代の話が少ないのも、ミーズのことがほとんど伝わっていないのも納得できるんですよ。暗黒時代では整合性のとれた詩を作り上げるのも困難でしょうし。まあ、バルドが神代からいたのだとしたら、四大国時代までとは形が異なったのかもしれないですね」

「どういうこと?」

「魔術を用いるとか」


 予想外の言葉だったのだろうか、ティッカさんが「魔術?」と聞き返してきた。


「はい、魔術です。四大国時代以前と以降の変化と言えば魔術ですから。俺たちが想像できることと言えばそれくらいですから」


 ここからされに踏み込んでいく。


「それで、これが一番大事になるが、〈五つの恩恵〉であるなんでも叶えてくれる〈聖なる大釜〉を使ったことだ。上王になったこととか、だからミーズなんだとかって言うのは当然として、実際にはどうなったのか? ということについて考えた」

「それは戦争を治める願いがどういう形で叶ったのかということですか?」

「ああ。平和を願ってそれが叶うとして、じゃあ戦っていた戦士たちの心はどうなるんだ? さっきまでは殺し合っていたのに、急に仲直りするか? そんな凄いことが起きるなら、なんでその後に戦争が日常の暗黒時代がやってくるんだ?」


 俺的には、ここが一番ぼかされていると感じる部分でもある。物語的には平凡な女の子が軌跡を起こすという最高潮の部分なのに、そこがふわっとしているのだ。


「だから、どうしたら戦争が治まるのかを考えてみたが、簡単だな。戦争の道具である魔術を無くしてしまえばいい」

「それが女の子の願ったことですか?」

「いや、願ったかどうかまではわからない。ただ、結果的にそうなったんじゃないかってことだ。まあ、魔術が恐ろしいものだって女の子が感じていてもおかしくないから、無意識の願いでそうなったのかもしれないが」

「……なんとなく、話が見えて来た」


 どうやらティッカさんも今話したことがどう意味するかに気が付いたらしい。


「一度、ここまで話したことをまとめる方がわかりやすいからまとめるぞ。……まだ魔術のあった四大国時代、上王のいるミーズの王都に四大国のどこか、あるいは複数が攻めて来た。その最中、王都に住んでいた女の子が〈聖なる大釜〉に願うと魔術が無くなり、戦えなくなった。が、大国同士の戦争はそれだけに治まることはなく、四大国の崩壊に繋がり、暗黒時代に突入していく。そして、この一連の出来事を含めて暗黒時代以前のことにあやふやなことが多いのは、バルド自体が暗黒時代に生まれたからか、魔術が消えたために伝える術を失ったから」


 これが、俺の考えた『涙の大釜』の一連の流れであり、そしてそれを導きだすために考えたことだ。

 話すことも話したし、俺としてはこのままお月見をするに留めたいんだが。


「……それだけ?」

「まあ、はい」

「……確かに、納得した部分もあったし、新しい発見もあったよ? でも、ほとんど変わっていないじゃない」

「まあまあ、落ち着いてくださいライラさん。倉見さんが口下手なのは今に始まったことじゃないですから」


 酷く失礼なことを言われた気がするが、自分でも自覚するところなので否定はしない。直す気もないが。


「倉見さんも、誤解を招くような風にしないでください」

「そんなつもりはないんだが」

「知ってますが、それでもです。……続きをお願いします」


 羽白はそう言った。正直、こいつは続きが気になっているだけだとは思うが。

 まあ、確かにまだ続きが一応ある。それは別に『涙の大釜』に関することというよりも、ティッカ父に関することだ。


「俺はこれまでの旅で気になることがあったんだ。ティッカさんのお父さんは、どうやって『涙の大釜』という歴史を知ったんだろうかって。俺たちはこれまで旅をして来て、それで考え出せたのがさっきの答えだ。正直に言って、あれじゃあ歴史だと証明するにこと足りないと思う。あくまでティッカさんのお父さんが考えたことを元に、それに肉付けしただけのものだしな」

「私たちがわからないのは、私たちの力が足りないからじゃないの? 少なくても、私はお父さんほどのバルドではないし」


 まだまだ夜は長そうだ。


「それは俺には分かりかねますが。じゃあ歴史だと言っておきながら、どうして残した情報はこんなにも少ないんでしょうか? それもお伽話でも語る風に仕上げて」

「……クラミーは、お父さんが嘘をついていると言いたいの?」

「そうじゃありません。そうじゃなく、何かを意図的に隠しているように感じませんか? ティッカさんとお父さんが言うことは正しい前提です。じゃあそうだとして、なんでこんなにも曖昧なのか? 歴史だと言えるだけの根拠を知っているはずなのに」


 長らく感じていたことだ。これまで旅をして来たが、正直ティッカ父が得られただろう情報や手掛かり、俺たちが手に入れたものと大差ないだろう。では、なぜティッカ父は歴史にたどり着くことができたのか。俺たちとの差は一体どこにあるのか。


「きっと、一番手っ取り早い方法で知ったんだ」

「一番手っ取り早い方法、ですか?」


 羽白は不思議そうにしているが、それはお前の得意とするところだ。


「知ってる妖精に聞く。単純なことだろう?」


 実にシンプルな答えだと思ったのだが、二人は俺の言葉を咀嚼して飲み込み感想を言うのに数秒かかった。俺はその間に糖分を摂取した。


「ま、待ってください倉見さん。知ってる妖精に聞くって、そもそも知ってる妖精なんているんですか?」

「わからん」

「倉見さん……」


 羽白がいつにも増して迫力のある表情を浮かべる。


「さっきまで、俺は女の子が永遠に平和に暮らしてるって部分を省いた。ミーズの王都はなくなっているからだ。他の大国だとしても同様だな」

「それで」

「でも、さっきから言うようにティッカさんのお父さんは『涙の大釜』は歴史だと言った。だとしたら、その部分も本当じゃなくちゃいけないと思わないか?」


 きっと、これから話すことは荒唐無稽だ。


「ティッカさんのお父さんを信じるなら、女の子は今も生きていて、しかも王都に住んでいることになる」


 歴史だと言うのなら、それが実際にあったことならば、最後の一文までそうであるはずで、ならば女の子は今も王都で、平和に暮らしている。『涙の大釜』的に言えば、永遠の春に今もいるはずなのだ。


「それって、つまり」


 今度は羽白が気が付く番だった。二人に俺の下手くそな説明が伝わっている証拠だ。


「ライラさんのお父様は、物語に出てくる女の子に『涙の大釜』について聞いた。倉見さんはそう言いたいのですか?」

「その通りだ」


 言い切ったが、ここまでの話に根拠はない。敢えてあるとするのなら、『涙の大釜』とそれを作ったティッカ父の行動なのだが、それでは弱い。

 ただ、俺にはこの考えがあっているという予感がしていた。

 もう一つの、それこそずっと気になっていたことが旅をして来たことで、俺の中ではある答えへと変わったのだ。


「本当に聞けるかどうか、それについてはわからない。ただ、俺には女の子が生きているとして、その場所に見当がついているんだ」

「それって、ミーズの王都の場所⁉」


 ティッカさんが高ぶる感情のままに立ち上がり、俺の正面に移動した。真っ直ぐに見つめる瞳は俺の言葉を待っていた。


「はい。王都の場所です」


 また、俺は言い切る。


「どこ? どこなの?」


 長年待ち望んだ問の答えを俺が持っているとだけあって、ティッカさんはさらに前のめりになる。姿勢の話ではなく、心境的な話だ。

 それは視界の端にいる羽白もだった。こっちは姿勢的に、だが。

 そういうそれぞれの反応を受けて、俺は言う。今も曇のない夜空にある、



「月」



 二人がすっと空を仰いた。俺はプラネタリウムの解説員にでもなったように、その月について解説する。


「ずっと、気になっていたんだ。同じ空にある太陽と月。でも、動いているのは太陽だけで、月はずっとこの場所の天頂にあった。北に行けば南の空に、西に行けば東に、南では北、東は西。それで、旅に行く前と今、どちらも月は真上にある」

「確かに?」

「はい。月を見るの好きなので間違いないです。……で、じゃあ同時にまん丸の月が見れたのはナバンでだけなんです。他では必ず欠けて見えていました。つまり、月は球体なのではなくて、半分に割れている形をしているということです」

「うん? ……そうね、うん。そうかも」

「はい、倉見さんの言う通りだと思います。……そこにミーズの王都があると?」


 羽白の確認に首肯した。


「だとしたら、他の国はどうやって攻め込んだと言うのですか? 私たちでは月に飛んでいくことはできません」

「ああ。だから、それまでは地上にあったんだ。月は、『涙の大釜』で女の子が王都そのものを空に浮かした物なんだよ」


 それこそ荒唐無稽に思えるものだが、いくつかの根拠があった。


「ナバンって、何かくり抜いたような地形をしていないか? 円形に、だ。それに夜になると光り出す輝鉱石の産地でもある。月も夜になると光るな。女の子は平和を望んだ。その結果魔術が失われたのかもしれないが、でもそれは別の手段での戦いが生まれるに過ぎなかった。暗黒時代もあるしな。じゃあ、どうしたのか? 誰にも来れないようにしてしまえばいい」

「……それが、王都そのものを空に浮かべるってこと? そんな、馬鹿げてるわ」

「そうですか? 争いの心を無くすよりは現実的ですよ」


 俺たちに高度の限界があるのは、高くなればなるほど魔力の消費量が多く、飛んでいられなくなるからだ。しかし、仮に〈聖なる大釜〉が願いを叶えたとすれば、それは尽きぬ魔力を与えればいいだけの話になるのだ。無限ではなくても、それに限りなく近い量の魔力でもいいのだから。


「じゃあ——」


 ティッカさんは言う。


「私たちはどうやって月にまで行けばいいの?」


 夜風が駆けた。


「あそこにあるんでしょう? いるんでしょう? だったらじゃあ、どうやって行けばいいのよ⁉ 誰にも行けないから、誰にも見つかっていないんでしょ!」


 希うように、切実に、振り絞るように漏れる声が聞こえる。


「どうやって? ねえ、お父さん……教えてよ」


 ティッカさんが握ったペンダントに、その中に閉じ込めているのだろう父の影に懇願した。


「あれ?」


 ……ん?

 俺と羽白の疑問符が重なった。俺たちの視線を集めたのは、ティッカさんが抱え込んだ手。その隙間からわずかに光が漏れ出ているのだ。


「ライラさん、それは」

「なに?……本当に何?」


 羽白の言葉に目を開き、そして自身の手が光っていることに心からの疑問を落としたティッカさん。固く握っていた手を開くと、ペンダントが眩い光を灯らせていた。


「え、ちょ、なにこれ?」

「さ、さあ?」


 そうやっている間にも光は白く大きくなっていく。


「ど、どうしよう?」


 と、慌てるティッカさんに何か言う間もなく、俺たちの体が宙に浮いた。


「え?」「わっ」


 短い悲鳴だ。どうやら誰の魔法でもないらしい。


「これ、どんどん上がっていってるわよ⁉」


 次第にナバンの木の湖から離れ、体はどんどん空に運ばれていく。拒絶できそうにもないので俺は早々に諦めた。

 夜空を駆けあがっていく。地上は遥か下に、とうに本来の限界高度を突破した。

 そして次第に増していく月の解像度。白く寒々と輝く中をよく見れば、その正体は無数に集まった結晶——輝鉱石だ。

 その美しさに心が落ち着いたのだろう、二人も平静を取り戻した。


「月、行けそうですね」

「そうね……」


 なんの力が働いているのかは不明だが、どうやら目的地は月らしい。

 とりあえずいつも通り、身を任せておくか。

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