第22話

 朝起きて、ご飯を食べて、希望に満ちた表情のティッカさんを見送った俺たちは、昨夜のように庭にいた。日当たりがいい……と言うより、陽ざしが強すぎて肌がじりじりとする。引いては返し、弾け、生まれた白波が光を飲み込む。そのおかげか潮風はほどよい涼しさを運んでくれた。


 このまま眠ってしまいたいが、毎度のことながらそうはいかない。数少ない誰かに会話を聞かれる心配の少ない時間だ。


「——なんであんなこと言ったんだよ」

「あんなこと、とは?」

「ティッカさん、本当に行っちまったぞ。本当にできると思っているのか?」


 子供たちに詩を教える、つまりバルドとして育て上げるという案はきっとうまくいかない。

 この世界、少なくてもこのエリンの地では本当の意味での『子ども』は存在していない。俺たちが子どもと呼んでいる彼らがなんなのかをわかりやすく言えば、それは『小さな大人』というのが妥当な表現だと思う。『小さな大人』は守り育て慈しむべき『子ども』ではなく、一つの労働力なのだ。


 実際、これまでの旅で出会った子どもたちは、ある程度の成長をしていると畑仕事などをしていた。ティッカさんの詩はその合間、つまりは昼休憩などに聞きに来ていた。それにだ、そんな彼らは多くの兄弟がいた。理由は単純で、労働力が増えるから。


 ティッカさんに兄弟がいないのは、それが理由でもあるのではないだろうか。バルドであるティッカ父に労働力など必要なかっただろうし。ティッカさんは貴族階級とは言わないが、富裕層には入っているだろう。


 『小さな大人』たる彼らに詩を学ぶ時間などない。旧市街にいる貧民の子どもたちもきっと仕事とも言えないような仕事が一応はあるだろうし、なくても明日明後日のことで精一杯な彼らに学ぶ余裕はないだろう。僅かな収入と言えど生命線であるそれを不確かな、前例のないものの為に捨てることは出来ない。


 クノックで出会った予言の巫女は体が弱いらしいが、予言の力というか知恵がなければ、言葉は悪いが労働力としてはイマイチで、悪待遇にさらされることになっていたのではないだろうか。


 それに、理由は『小さな大人』以外にもある。ティッカさんが特別いい人なの上に接しやすいので忘れがちになるが、バルドを含め神殿に勤める者は特別な存在だ。それはこれまでの旅で訪れた各地でもそうで、ここバリャ・クリーアでもそうだ。


 この家を見ればわかるがどう考えても富裕層で、家主であるエクルは神殿に仕えているらしい。エクルさん曰く端くれらしいが、それでもこの家だ。それだけ神殿に仕える者が地位も金銭も特別な存在であることの顕れだ。


 では、端くれでも特別な神殿に仕える者のなかでも、最上級かそれに近しい者たちが、積極的にその特別たる理由を手放すことをするだろうか。


「……難しいでしょうね」


 やはり、わかっていたらしいこの女。じゃあなんで、と思うがそこにはきっと理由がある。この女は打算と天然を奇跡的なバランスで調合したような性格をしているが、その目指すところは基本的に可能な限りのハッピーエンドだ。例えバッドエンドが確定してしまっていても、その中にも救いを見出そうとする。


 そんな女が、羽白が、理由もなく空虚な励ましをするようなことをするはずがない。


「倉見さんの言う通り難しいかもしれないですが、それは今の話ですよ」

「今?」

「はい、今です。遠い未来、きっと私たちがこの世界を離れてもっと先の話。遠い未来、きっと私たちがこの世界を離れてもっと先の話。今は難しいことも、きっと解決する手段が見つかると思います」

「具体的には?」

「具体的にはわかりません」

「おい」

「でも——」


 俺の言葉を遮って、


「——ライラさんと同じ思いを持つ妖精が少なくても一人はいます。なら、大丈夫なんじゃないでしょうか」


 羽白の言葉は根拠のあるものではなかったが、大丈夫だと思わせる何かがあった。

 ……まあ、俺たちも目標はあくまでページの修復であり、その先のことなど関知するところではないし、干渉できるものではない。それに子どもたちを救うことはページ修復に関係無さそうだし、羽白の言うように俺たちが去った後の話になるのなら、考えるだけ無駄だ。


「お前が言うならそうなんだろうな」

「ふふ、買い被りすぎです」



*** 



「うぅ、おはよう……あれ、二人だけ? ライラちゃんは?」


 朝陽か酒に傷んでいる頭を押さえながらエクルさんがたどたどしい足取りで起きて来た。乱れた服からは肩が覗き、揺れる度にその先も露わになってしまいそうだ。色々と危なげなのを羽白が慌てて正しているが、こちらを睨むんじゃない。ちゃんとすぐに視線を逸らして見ないようにしただろうが。


 波に煌めく光に眩しく思っていると、羽白に衣服を整えられてエクルさんもしっかりと目が覚めたのだろう、申し訳なさげな声をかけられた。


「ごめんねークラミくん。朝弱くてねえ。男の人がいるのをすっかり忘れてたよ。彼女さんに申し訳ないね」

「もう、そんなんじゃないですよ」

「大丈夫なんで気にしないでください。特に見てませんし」

「なんだ、そこで少しでも照れてくれたら寝ぼけたかいがあるというものなのに」


 誠意を持って返答したつもりが、なにか不満そうな反応をされてしまった。


「それで、ライラちゃんは?」


 羽白が昨夜の、エクルさんの寝てしまったあとのことを搔い摘んで話し、その勢いのまま神殿に向かったことは伝えた。その反応はやっぱり苦いもので、おおよそ俺たちと同じと同じ見解だった。


「——きっとしょぼくれて帰ってくるわね、あの子」



***



「はあ~駄目だったよ」


 お昼前に帰って来たティッカさんを見るに、エクルさんの言葉は当てはまっているとも、そうでないとも言えた。向かった時間から帰って来る時間を察するに、あまり相手をされたとは思えないのだが。


「お疲れさまです」


 戻って来た羽白が入れたてのお茶を椅子に座ったティッカさんに渡す。


「ありがとう」

「いえ。……その様子ですと、駄目だったようですね」


 ティッカさんの隣に座りながら言う羽白の言葉は白々しいことこの上ないが、それは伏せておく。


「でも、諦めないよ私。バルドが少ないっていう問題も、それを解決するために旧市街の子どもたちな継承するって言うのも。どっちも私にとっては大事なことだから」


 そう言ったティッカさんの顔は実に晴れやかで、とても話を断られて来た直後のものとは思えない。


 いかにも主人公という風になって来たではないか。


 過去を秘め、巣立ち、自身を知って、困難にぶつかって乗り越え、目指すべき未来に歩み出した。

 これはきっとハッピーエンドだ。

 

 エクルさんはそんなティッカさんを見て驚いているようだっだ。きっと知っていたティッカさんとはまるで違う反応だからだろう。


「今回駄目だったのはさ、計画性の乏しさとか現実的にはどうなのかとか、具体的な案が何もなかったからだとは思う。それはさ、これからちゃんと考えていきたい。エクルお姉さんもいるし」

「……もちろん一緒にやるわ」


 突然頼られたものだから返答には変な間があったが、返って来た言葉には確かな熱が込められていた。

 頼もしい返答に笑顔になったティッカさんだが、すぐに真剣な表情に戻った。


「でもそれ以上にさ、単に、私自身の価値が低いからだと思った」

「あー、やっぱりか……」


 エクルさんには心当たりがあるらしい。


「あはは、エクルお姉さんの想像通りだと思う。極端に言っちゃうと、なんの実績もない小娘の意見なんて聞くに値しない、って感じだったの」


 同じ言葉でも、それを言う人物によって重みが変わるというのはよくあることだ。むしろ、そこに差がないというのは些か問題である場合が殆どではないだろうか。

 気の知れた友人とすれ違った他人を同様に扱うのか? 博愛主義ほど何も愛することのない思想もあるまい。 


「私は他の町の神殿にも行ったことあるけど、大きなところのジジイたちは頑固なのよね」


 忌々しそうに悪態を吐くエクルさんに、あはは、と笑うティッカさん。


「だったら、私の価値を高めればいいだけの話だよね。私には幸いその当てもはあるしからね」


 そう言ったティッカさんの視線が俺に注がれた。……ん?

「確かにそうですね」


 羽白が何やら同調している。


 ……察しはつくが、他人任せが過ぎないか? そう思って講義の言葉を口にしかけた時、ティッカさんからその言葉を叩きつけられた。


「クラミー頼むわよ!」



 ——『涙の大釜』が真実だと証明して!



 本当に、言葉の重みというのは大事だ。

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