4「ライラ・ティッカとマクギリーカディ山脈」

第17話

 迫りくる寒さから逃れるように海岸に沿って南下し、場所はエリンの地南部ムム地方。低木の多い北部にいくらか緑の茂った西部と来て、ここは緑の豊かな地方だ。緑と水との調和が最も取れている地方と言える。


 そんなムム地方の中でも端っこも端っこ、最南部にあるのがエリンの地最高峰のキャラントゥール山を要するマクギリーカディ山脈。ここを訪れた目的は話を聞くことはもちろん、山脈に点在しているといういくつかの遺跡を調査することだ。


 ムム地方は比較的争いの少なかった地方らしい。もちろん名前の由来となった大国が滅びているのだ、全くなかったわけではない。それでも遺跡らしい遺跡がいくつも残っているという時点で、他の地方に比べて戦禍が少なかったというのは分かるだろう。


 そんな遺跡を数日かけて見て回っている。現在は中腹部あたりに位置している数個の遺跡だ。緩やかな傾斜を這う風は緩く、薄い緑の膜に覆われた足元に寝そべればきっと心地よい眠りにつける。……まあ、そのあとには体調を崩していそうな気がするが。


「特に目ぼしいものはないね」


 汗ばんだ額を拭い、筒に入れて来た水で喉を潤したティッカさんはそう言った。

 背後にあるのはこれまでもいくつか見て来た、風化し朽ち果て、それでもなんなのかはわかるという具合の遺跡。おそらくは住居なのではなかというのが地元の方々の意見で、それには俺も同意見だ。同じような造りがいくつもあるし、これだけ似た物がいくつもあると住居というのがしっくりと来る。


 これまで見て来たものほとんどこれと同じようなものだ。やはり何か手掛かりとなるものは見つかっていない。そもそも期待などしてはいない。本命はキャラントゥール山の山頂近くにあるという遺跡だ。


「そろそろ戻らなくちゃ」


 天頂から容赦なく陽ざしを浴びさせて来る太陽を見てティッカさんが言った。調査をする時間にはまだ余裕があるが、生憎とティッカさんはこの後拠点としている村で調査と同じくらい大事な用があった。


「そうですね」


 羽毛が舞い上がるようにふわっと地から離れる羽白に倣って俺も浮く。先頭をティッカさんに続いて羽白、最後に俺という並びは、この3日変わることのない登山下山のスタイルであった。

 斜面から数メートル離れた位置を滑るように飛びぐんぐんと下山していく。視界に入っては消えていく岩や砂を見れば恐怖心が湧いてくるが、魔法を誤まらなければ大丈夫だと言い聞かせ、無理矢理に前を向く。意識がそちらに向けば聞こえてくるのは鼻歌だ。絶叫系アトラクションよりも遥かに恐ろしいこの状況でその鼻歌は、正直言ってドン引きだ。


 緩やかな斜面がより一層緩やかになり、それに伴ってスピードも落ちれば多少は楽しむ余裕が出てくる。溶けていた視界は名もない花が咲くようなものに変わり、空気が詰まっていたように感じられた胸は楽になった。


 そして途中に現れた川に沿って、流れる水よりもゆっくりと飛ぶ。時折ぐねぐねと曲がるもそれはただひたすら向かうべき場所へと向かい、そのゴールが見えてくる。

 跳ねる魚。進む舟。駆ける風。憩う子ども。様々な動きで立てられた大小色々な無数の波紋で煌めく静かなレイン湖。


 山の恵みを一身に受けた大きな湖の周囲には様々な村、あるいは町が伺える。自然色に塗りたくられたキャンバスに、赤に青に黄と橙、色とりどりの塗料で飾られた家々が垂らされたように立っていた。


 川に連れられて垂れ込んだらしい冷気に突っ込み、それを一瞬のうちに抜けると、今度は太陽と妖精たちに温められた空気に包まれる。

 そうして次第に解像度が増していく一つの村。ここらでは比較的小さく、山脈に一番近い。キラーニーというこの村が今、滞在している場所だ。



 ***



 昼飯時の村には腹の虫を刺激する匂いが蔓延していた。遺跡の調査で一仕事してきた俺たちにとっては凶悪極まりない匂いだ。


 誰の姿も見当たらないが、団欒の音は聞こえる。きっとそれぞれの家に戻って夫婦で、親子で、それぞれの形で昼食を取っているのだろう。

 色々な意味であたたかい村を進む、ことなく目的の場所は斜面のすぐそばに作られた木造の家だ。古くなって壊れてしまい取り替えたばかりだという、そこだけが妙に新しい扉は僅かな軋みもなかった。


「あら、おかえりなさい」


 しわがれつつも温かみのある声をしたお婆さんが、この家の主であるヲーカさんだ。「ただいま」というティッカさんの言葉に顔の皺を深くしたヲーカさんが、手に持っていた木皿を傷だらけのテーブルにことりと置いた。


「そろそろ帰ってくると思ってたの。さあ、お昼ご飯できてるわよ」

「わざわざありがとうございます、ヲーカさん」

「気にしないでちょうだいカサネちゃん。孫が三人もできたみたいで嬉しいんだから」


 そう言ってこちらを見るヲーカさんに、俺は苦笑いを返すことしかできない。


「さ、冷めないうちに早く食べましょう」


 ヲーカさんの言葉で俺たちはそれぞれ席に着く。俺と羽白が隣で、向い側にティッカさんとヲーカさんだ。

 昼飯だというのにご馳走の並んだテーブルを前にうごめいていた腹の虫がより一層活発になる。固いパンも手作りのジャムと合わせれば最高だし、野菜の転がったスープにはここがほっとして体の力が抜ける。メインディッシュの肉は山菜で香り高く仕上げられている一品だ。

 作ってもらっている分際で食事の評価など何様かと自分でも思うが、ヲーカさんの作ってくれる料理はどれも絶品で、しかもそのどれもがここら辺の郷土料理だという。記憶に残すにはこうして事細かく脳内でもいいから感想を述べることが大事になる。この旅が終わった暁には羽白に頼んで作ってもらおう。


 素敵な料理に弾む会話をノックの音が止めた。


「あら、もうなの?」

「話すのが楽しくて気が付かなかった。ヲーカさんごめんね。夜、またお話しよう」

「ええ。またたっぷりと美味しい物作っておくから頑張ってきてね」

「うん」


 水を一杯に飲み干し口を拭うとティッカさん席を立つ。


「じゃあ、行ってきます」


 勢いよく飛び出していくティッカさんを見て、テーブルの片づけを始めていたヲーカさんが言う。


「本当に、唄うのが好きなのね」

「ですね」

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