第16話

 雨音は激しくなっていた。既に差し込む光はなく、夜でないため輝鉱石も使えない。寝るには頭が冴えてしまい、蠟燭の揺らめきとわずかに感じる熱に集まるしかなかった。

 ミラさんとのお茶会は、嵐が酷くなる前に戻るべきだと切り上げた。だからかユーラさんのお願いには了承するしかなかったし、ティッカさんはお願いに対する衝撃を逃すことができなかった。


「どういうことなんだと思う?」

「ミラさんのことを広めないで欲しいという、ユーラさんのお願いですか」

「バルドに語られることは誉れだと思ってた。それを止めてくれって言われるなんて思わなくて」


 ティッカさんのアイデンティティを大きく占めるのがバルドという役目だ。

 彼女の持つ真面目さや探求心といった生来持つ資質はバルドというものに適していて、その上で幼少期よりある種の英才教育を受け、この若さでバルドになった。それはこれまでの旅で散々に分からされたことだ。

 しかし、だからこそそれは大きな危険を孕んでいた。バルドの使命がいいものだという側面しか触れて来なかったが故に、だ。


「誉れとは思わないということですかね」

「……そうなのかな。そんな妖精がいるなんて思わなかった」


 それは傲慢というものなのではないだろうか。


「予言なんて聞いたことないし、この先も現れるかどうかわからない、唯一無二の存在だよ。語り継がれるべきなのに」


 語り継がれる〝べき”。何事も、そうあるべき、そうでなくてはいけないという考え方は危険だ。答えがはっきりするなら簡単なことこの上ないだろう。なにせ答えを暗記していけば誰だって百点満点を連発だ。でもそうではない。白が完璧な白であった例も、黒が紛うことなき黒であったこともない。白っぽい灰色と黒っぽい灰色ばかりなのだ。


 でもティッカさんは白としか聞いてこなかった。違う角度から見れば、それは光の当たり方で影を落としているかもしれないのに。

 蠟燭に目を落とす。

 だからこそ知ればいいだけだし、知ろうとすればいいだけだ。その資質は間違いなく持っている。ここで歩みを止めるほうが無責任というものだ。


「ティッカさんは、どうして広めてほしくないとユーラさんが言ったんだと思いますか?」


 俺の問いに顔を上げたティッカさんはぽかんとしていた。俺から口を挟むとは思いもしなかったのだろう。羽白というワンアクションを飛ばしたものだから、それだけ反応が遅れたのだろう。


「どうしてって……?」

「バルドに語られることは誉れ、ティッカさんはそう言いました。確かにそれは間違っていないでしょう。ウラドでは間違いなくそうだったんだから。じゃあ今回は? ティッカさんの思うものと違う結果があるのなら、それには理由があると思いませんか?」

「理由?」

「例えば俺は運動が嫌いです。だって疲れるから。それと同じように、ユーラさんのお願いにも理由があると思いませんか?」


 俺の言葉を反芻するティッカさん。心なしかさきほどよりは表情も明るい気がする。


「倉見さんは、理由がわかるのですか?」

「妄想の類だけどな」

「倉見さんの妄想は頼りになります」


 きっと、それは打算も計算もなく言っている言葉なのだろう。

 もちろん打算も計算もしまくるのが羽白だが、それでもこいつはそういう時に他人に何かを委ねたりはしない。頼りにしますと口にしても、本当のところでは保険を張っているのだ。

 だからこそ、ティッカさんの進退が決まるこの場面で頼りになるなんて口にしたのは、それが本当だということの証拠だ。ここでそんなことを言えば、間違いなくこの場は俺の意見が一番強くなり、流れは止められなくなるほど加速する。


「お願いクラミ―」


 揺らめきが止まった。

 雨の音は激しさを増す反面、いつのまにか遠くなっていた。

 揺らめかない火は影を濃くした。


「結論から言うと、予言の力が本物ではないから、というのが理由だと思う」

「え⁉ でもだって、昨日の夜は大地の怒りが本当にあって……」

「まあまあライラさん、落ち着いてください。ちゃんと説明してくださりますから」


 ティッカさんを宥めた羽白の視線を受ける。こいつ、ティッカさんの心配というよりは早く話を聞きたいだけだ。目がそう言っている。

 いつの間にか強張っていたらしい体の力が抜けた。


「話を続けるぞ。……聞きたいんですが、ティッカさんが予言は本物だと信じる理由はなんですか?」

「さっきも言ったけど、大地の怒りが……」

「それ以外は?」

「それ以外だと、今の嵐とか、村の妖精たちの話とか」


 なるほど。


「じゃあ、一つずついきます。まず嵐は、ティッカさんも言っていたじゃないですか。農家の勘のようなものがあるって。これが予言だと思ったのは村で話を聞いたからか、大地の怒りがあったからですね」

「うん」

「で、はっきりと言ってしまいますが、村での話は信じるに値しません」

「……随分とはっきりと言うわね。あんなに良い方たちなのに」


 やっぱりティッカさんはいい人、というかそれが過ぎる。

 でも相手もそうだとは限らない。


「そうかもしれません。でも、だからって噓をつかない理由にはならないでしょう」

「でも、噓を吐く理由だってないじゃない」

「そうですか? ……この場合、噓を吐く目的は予言が本当であると信じさせることにあると思いますが、それによってもたらされる利益があるじゃないですか」


 火が近いと喉が渇く。肌もちりちりとして来た。


「……商人たちが感謝で貢ぎ物」


 正否に揺れる視線を受け俺は頷いた。


「この村は周囲の村や町からは隔絶されていると言っていいほどに離れています。多少の不便と苦労と我慢をすれば自給自足できないこともないでしょうが、山越えは商人たちがおすすめするほどですから、よく通ったしょうね」


 商人たちにとって時間は大切な資源だ。危険を孕んでいても短縮できるとなれば、使わない手はないはず。そこに危険を察知し安全性を高めてくれる存在がいるとなれば、食いつかないとは思えない。


「予言の対価に村では手に入れられないものを貰うということ?」

「どういういきさつがあって今みたくなったかはわかりませんが、噓を吐くメリットはそこらへんでしょう」


 ティッカさんそれでも、と疑問を呈す。


「じゃあ、大地の怒りはどうなっているのよ」

「さっきのことで重要なのは、村全体で予言を本当にしようとしているってことです」


 まだピンと来ていないティッカさんの横で、羽白が息をのんだ。


「もしかして、そういうことですか? でも、そんな、本当にできるんですか?」

「考えられる方法がそれしかない」

「ですか」

「ちょ、ちょっと! いくら仲がいいからって、この状況で私を置いて話をすすめないでよ」

「落ち着いてくださいライラさん。火が消えちゃいます」

「ご、ごめん」


 本当に、まだ夜ではないから蠟燭が消えてしまうと、暗くて何も見えなくなってしまう。


「倉見さん続きをいいですか?」


 蝋燭を少しずらして羽白が言った。


「……魔法を使って家を浮かして揺らしたんですよ」

「揺らしたって、村の方々が⁉ でも家を浮かせるなんて」

「重いのなら軽くすればいい。この家だけ村のとは造りが違うじゃないですか。丸太を組んでいるんじゃなくて、製材した板を組んでいる。軽くするためだとは思いませんか?」

「確かにそれなら……。あっ、クラミ―がさっき言っていた意味って」


 どうやら気が付いたようだ。


「確かに、村人全員で魔法を使えばできないこともないのかも。魔力の消費は凄そうだけど」


 俺たちは魔法を複数人で使えばその分重いものを浮かせられることをしっている。先日村人が食料を運び入れた時もそうだし、道中もぬかるみにはまりそうな時は三人で協力して浮かせた。家という規模になるとどれほどの人数の魔法が必要になるかわからないが、数十人いればどうにかなるのではないかとは思う。それこそ、この村程度の規模の人数でも。

 それに完璧に浮かせる必要はない。揺らせる程度に地面への圧力が減っていれば揺らすことは可能だろう。


 ただ、俺はここで念押しせざるを得ない。


「まあ、証拠はなにもないも妄想ですけど」


 いつものことだ。妄想でなければ屁理屈かもしれない。


「間違っていないと思いますよ、倉見さん」

「どうして?」

「今朝、荷車の中を確認したのですが、荷物が特に崩れたりはしていませんでした。不思議でした、あれだけ揺れたのに。でも倉見さんの推測が正しければ揺れるのは家だけになりますから、説明がつきます」


 幾分か弱い気もするが、それは俺の言えた道理ではないな。


「倉見さんの説明、どうでしたか?」

「あまりに広まってしまえば噓がバレちゃうものね……。でも、いいのかしら?」

「嘘が、ですか?」


 羽白の問いにティッカさんが頷く。

 羽白の横顔に影が落ちた。


「私は良いと思います。実害があるどころか、命を救っていると思いますから。信じてもらえるようにしたおかげでこうして私たちは予言の事を知って、嵐の中山越えをせずに済みました。きっと、他にも同じような方がいるかと思いますよ」

「……じゃあ、これはやっぱり広めちゃダメね。もともとそのつもりはないけど」


 ティッカさんの表情が晴れた。



 ***



 予言の嵐が去り、地が固まるのを待って中一日。すっかり雲の散った空の下俺たちは発った。森を見下ろせるくらいの位置まで来た時には既に日が山の向こうに消えそうだった。反対の空には月がうっすら姿を現し始めていた。


 眼下にあったクノック村は、やっぱり隔絶しているように見えた。西は険しき壁に阻まれ、その方面は遥かな距離に。一種の陸の孤島と化した場所だからこそ、あの予言と言うシステムが上手く稼働したのだろう。


「また、来たいな」


 ペンダントを抱き、


「今回はさ、あんまり話を聞けなかったけど。今度はちゃんと聞きたい」


 それがティッカさんの答えだろうか。

 知る。それから考える。たとえ知られたくないことでも、どんな秘密でも、知ってから判断する。

 きっとそれは辛いことだ。悪意すらも正面から立ち向かうということなのだから。

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