第10話

 朝陽が出ようとも消えぬ冷気に包まれるはず早朝。しかしアーマーのどこにも冷気などというものはなく、満ちているのは今年最強の戦士を決める戦いが始まると言う高揚感と、これ売り時と目をぎらつかせている屋台の商人の野望のみ。


〈英雄祭〉は問題なく日程を消化していく。各町や村から選ばれた一名が鎬を削る武闘大会は予選の集団戦を経て半数にまで減らした。激闘に、あるいは圧倒的な数人に沸く会場。その中には仰々しく一人ひとり席を用意されたウラド中から集まったバルドもいた。


 圧倒的に平均年齢の高い空間だ。それに男性しかいない。白髭に白髪にあるいは禿に、杖を手放せそうにない連中ばかりだ。


「ティッカさんが言われた通り、話を聞くのは難しそうですね」


 『ウラドは伝統を重んじるが、それは同時に旧態然とした空気の現れでもある』。一昨日、神殿に行っていたティッカさんがバルド長に言われたことだ。つまり昔ながらのバルドは女性をバルドとは認めないし、若すぎるのも問題であると。ウラドは暗黙のルールで年齢と言うものが重視されている。ティッカさんに話してくれたというバルド長はウラドの中では若いらしい。仕事を押し付けられているという。年功序列の悪い面だけが抽出されてしまっているような感じなのだろう。


「お前でもか」

「はい」

「まあ、別に良いわよ。聞きたいことはアーマーのバルド長さんに聞けたから」

「そうですか」


 バルド長さんは気前が良かったらしい。


「どういった詩を聞けたのですか?」

「古い物とか、四大国時代のものなんじゃないかっていうものだけにしてもらったけど、やっぱり英雄譚が多かったわね。二人が聞いたっていう女傑ハスカの詩も多かったわよ」


 丁度休憩時間ということもあり、すでに確保してある昼飯のお供にティッカさんが話してくれた。語りではなく搔い摘んだものだ。


 曰く、弟子入りした英雄たちを瀕死に追い込むほどの試練を課す。

 曰く、千に及ぶ怪物たちを〈太陽槍〉の一撃を以って殲滅せしめる。

 曰く、全ての英雄の師である。

 故に〈全ての英雄の母〉なり、と。


「名前だけは聞いたことがあったんだけど、詳しい話は知らなかったから。美しくて強いみたいに思っていたんだったんだけど……。かなり滅茶苦茶な話ばかりだからイメージ変わったわ」

「ふふふ、凄い話ばかりですね」

「そうなの。でも弟子たちもすごいのよ」


 太陽に挑んだ俊足の英雄。

 貧弱な体の魔術師。


「魔術師、ですか?」

「なんでも火を操り、水を生み、風を起こして、土を富む。自然を操る魔術というものがあったそうなの。ウラドの英雄は皆それを操るらしいわ」

「今はないんですね」

「そうね。魔法は空を飛ぶことしかできないし。……無くなったとしたら。いつ頃なのかしら」

「ただの伝説なのでは?」

「そうかしら? クラミ―はどう思う?」

「実在したかどうかはわからないし、なかったとも言えないです。けど、四大国時代かそれ以前に盛んだったものが四大国時代以降に確認できなくなっている可能性が高いというのは、何かあるんじゃないですか」

「それだ! クラミ―いいね! 頼りになるね!」

「痛い痛い。痛いですってティッカさん」


 溢れる喜びを俺にぶつけないでください。


「確かにそうですね」


 ティッカさんは四大国時代のものと思われる英雄譚のみを聞いてきたらしい。というか、英雄譚が多く生まれたのは四大国時代以前なのだろう。それは「四大国時代以降は英雄が生まれ辛くなった」とも言い換えられるのではないだろうか。戦い事態はあったのだから。


 そして英雄に限って言えば、今出て来た〈魔術〉とやらを使えたそうではないか。〈魔術〉は現代にはない。遥か昔にあったものが、今では失われている。

 それに、


「『涙の大釜』には魔術と思われる描写がありましたよね、ティッカさん」

「確かにそうね」


 主人公である女の子が王宮に迷い込むことになった原因は、全て敵と言われている自然の一つ、風なのだ。これはおそらく魔術なのではないだろうか。だとすると、考えられることがある。


「魔術は割と一般的な技能だったんじゃないか? 日常的にとまでは言われなくても、戦争に使われるくらいには」

「どういうこと?」

「いや、女の子は風の魔術と思われる力で吹き飛ばされていますよね。仮に英雄と呼ばれる存在くらいにしか魔術が使えないとして、女の子をピンポイントに襲いますか? どちらかというと、誰もが使えて、王都中にその脅威はあった。その一つに女の子が遭遇してしまったという方が可能性は高くないですか?」


 喧騒が遠くなっていた。


「特別なものが語り継がれるのは当たり前なんです。でも、特別ではない、当たりまえなことっていうのは語られない。違いますか?」

「違くない、わね」

「日常は、それが継続されるからこそ日常で、当たりまえなんですよ」


 朝ごはんを特別何かに記すことはない。息をすることを世紀の大発見にはできない。

 普通から逸脱しているからこそ、それは語るべき何かになるのだ。



***



 お昼を挟んだ休憩を終えると〈英雄祭〉も佳境に入る。武闘大会以外にも行われていた様々な大会も一通り済み、乱闘で残った八名による決勝トーナメントに観衆は集まる。


 一対一による戦いはより濃密な攻防の応酬を観衆に提供した。予選とは違い飛ぶことも可能になった戦いは立体的に繰り広げられる。

 俺には当然戦いの心得などない。だからどれだけ凄いのだとか、どう凄いのかとかはわからない。だが木製の武器がぶつかりあう度に響く甲高い音とか、俺には到底できそうにない空中機動を見るたびに、たた漠然とした凄みみたいなものは伝わってくる。勝負が着くたびに、決勝へと昇るたびに、その心の揺れは大きくなっていく。


 そして決勝、ボルテージは最高潮となり、ぶつかり合う武技も今年最高峰のものだ。どの試合よりも長い戦いも、片方が精根を使い果たしたことで終焉を迎え、


「なんか、あんまりだったな」


 ぽつりと零れた言葉はそれだった。


「倉見さん、何言っているんですか……」

「いや、でもなあ」

「思っても言ってはいけないこともあるんですよ」

「そっちかよ」


 羽白の方が失礼なことを言っているではないか。

 遺跡で保管されていたらしい〈太陽槍〉のレプリカが優勝した戦士に手渡され、授けた老年のバルドは優勝と言う名誉を讃える詩を吟じる。

 大仰に、壮大に、太い声も合わさって厳かなとなった詩。


「でもなあ」


 俺が感じていたのは、優勝はしたがそれは詩にするほど特別なものだったのかということだ。もちろん凄かったが、それでも普通の範疇を超えているようには思えない。英雄譚にはなり得ないものだった。


「ティッカさんはどうでしたか?」

「ん~。クラミ―と同じ感じかな」


 やはりそうなのだ。

 まあおそらくだが、俺たちのなかには古代の英雄たち基準として存在している。それを超えられなかったというだけ。上からの目線な気もしないではないが。

 英雄譚が少なくなったことへの納得ができた。逸話のそれとは比較にならない。武に秀でたウラドでもこれなのだから、他の地方に期待はできない。そもそも英雄譚があるのかどうかという問題からかもしれない。

 

 きっと彼らは特別ではない。ありふれた登場人物のうちの一人にしか過ぎない。名前を残すに値しない。



 ——英雄にはなり得ない。

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