第9話

 朝食は家庭の味とも言える野菜のスープとパンだった。正確にはどうなのかはわからないが、食感や味は俺の知っているものだ。ナバンで食べていたものよりは全体的に濃いめの味付けだ。

 体が温まったところで宿を出る。


「じゃあ、行ってくるね」

「はい」


 ティッカさんはこの町の神殿に行く。荷物の中にしまってあったバルドの正装に着替え、雰囲気も初見の時のものだ。残念ながら今ではもう、あの時のほどの神秘を感じない。綺麗なものは遠くから見るに留めるのが一番だ。


 ティッカさんと離れ、二人だけになった俺たちはアーマーの観光に出る。観光と言っても、さほど大きくもない町にはそれらしいものもない。件の〈英雄祭〉も始まるのは明後日からだ。

 どこを巡るかは足取りの軽そうな羽白次第だ。丘の続くこの一帯でやや低めの位置にある町だからか、陰の小さくなっている今も残る空気は冷え込みで赤くなっている鼻からは明るいメロディーが流れだしそうだ。


 既に動き出している町には、思いのほか妖精たちがいなかった。冷え込みと比例するように静けさが満ちている町。時々遠くから転がってくる子供の声がそれを一層強くさせた。

 重ねるようにしていた羽白の足音が不意に止まった。肩の位置にあった羽白の目がこちらを見ている。


「倉見さん、どう思いますか?」

「この閑散とした街の事か?」

「それは〈英雄祭〉の準備とか畑の手入れで町の外に出ているからですよね? 朝食の時にティッカさんが言っていたじゃないですか」

「ああ……」


 間の抜けた反応に羽白がじろりと見て来た。


「倉見さんが話を聞いていないのはよくあることですからもういいです。それよりも、ティッカさんの考えです。倉見さんはどう思いましたか?」


 ため息を吐きながら再び歩き出した羽白。その横で俺は質問の意図を問う。

「どう、とは?」

「ティッカさんの考えがあっているのかということです」


 そういうことか。

 昨日のティッカさんの言葉だけでは判断したくないが、はっきりといって可能性は半々くらいだ。なにせティッカさんの言葉は全て現実にあったかも知らない伝説に由来している。その中で共通点を見出し、二つの事柄が同じものなのではないかという結論を出しているのだ。同じ事柄なのではないかという点に関してだけ言えば、可能性は高いのではないだろうか。でもそれは伝説上では、という但し書きが必要になる。


 とてもよく出来ていて面白い考察だ。物語の中だけで言えば整合性は取れている。同じ時代で謎になっていることなのだ。関係はなくないだろう。

 でも、それを現実に持ってこようとしているのがティッカさんだ。であれば、物語の中でだけではなく、現実でも整合性のとれるなにかを見つけなくてはいけない。

 まあ、難しいだろうな。現時点で、『涙の大釜』とミーズが現実にあったと示すものは何一つないのだから。


「まあ、合っていたらいいよなくらいの気持ちだ」

「ですか」

「そういえば、本はどうなんだ?」

「ええ、順調に修復されています」


 欠損した本。その破れてしまったページは、物語が矛盾を孕まずに進んでいれば修復していく。紙が蘇り、文字が刻まれていく。

 羽白は『常若の国ティル・ナ・ノーグ』を所持しており、その欠損具合と修復状況を常に確認している。間違った方向に進んでいないかの確認だ。

 ちなみに大図書館に保管されている本を、物語の住人が読むことはできない。きっと真っ白か真っ黒に見えているだろう。


「このままいけばどうにかなりそうですね。よかったです」

「お前、それはフラグと言うんだよ」

「私たち司書がフラグを立てられるわけがないじゃないですか」

「……まあ、そうか。物語も軌道に乗った感じはするしな」



 ***

 


 誰もいないのに町を見て回ってもしかたないということで、〈英雄祭〉の準備が行われている町の外に足は伸びる。まあ、最初から決めていたことらしいのだが。

 町の外はさらに空気が冷たかったし澄んでいた。清流のなかを散歩しているような気分だ。


 丘を一つ越えたところで行われるという〈英雄祭〉。飛ばすに一歩一歩と近づいて行けば、冷風と大地に遮られていた活気が徐々に姿を現してくる。頂上に着きようやく展望が開けた。


 いくつかの丘の広々とした狭間に大勢の妖精たちがいた。声は混ざり合い、何かを叩く音があちらこちらで響く。反対の丘には古びた石造りのような建物が見えるが、その下は煌びやかに飾りづけがなされている。そこから段々と屋台が立ち始め、相応に広いはずの広間が埋まってしまっていた。


「〈英雄祭〉が始まるのが楽しみになりますね」

「準備でこれ……」


 本番は人酔いしそうだ、俺。


「邪魔になるといけませんし、周囲を通りましょう」


 その意見には賛成だ。あの活力に満ち過ぎているなかに突っ込んでしまえば、きっと俺はあまりのエネルギー量に死んでしまうだろうから。

 近すぎず遠すぎず。狭間を避けて丘の中腹を通る案は結果的にはよかったかもしれない。誰にも邪魔されずに、俺たちのペースで見たいものを好きなだけ見て話して。それに加えて見晴らしのいいものだから余すことなく見ることができた。所々で作られた料理もピックアップすることができた。


 それに気が付いたのだが、どうやらウラド中から集まってきている他の町の妖精たちはアーマーには入らず、〈英雄祭〉の会場となる狭間の周囲にある丘の影にそれぞれ集団で寝泊まりするようなのだ。俺たちの屋根付き馬車と似た物がいくつもならんでいて、そのまま宿泊にも利用しているらしい。素材は防寒対策に優れていそうなものであったが。その辺の対策は万全ということだろう。


 パノラマを眺める気分で俺たちは元居た丘の反対側、つまりは遺跡のある丘までやって来た。〈英雄祭〉の準備のために、遺跡のすぐ傍とまではいかないが。

 石造りの神殿は、丘に食い込むように存在していた。表から目にできるのは精々入り口付近だけだ。それも北の厳しい気候の所為で風化してしまっているようで、崩れかけているように見える。むしろ未だに崩れていないのが不思議に見えるくらいだ。


「この世界にも、昔があるんですね」

「そりゃあるだろうよ」


 神殿の調査ともいかないか。まあ、できたとしても俺はこの神殿が一体どういうものなのかを知らないのだが。


「君たちどうかしたかい?」


 声をかけて来たのは、この涼しさのなか額に汗を滲ませた男性だった。


「いえ、初めてこの町に来たものですから、神殿というものを見ておこうと思いまして」

「あ、そうなの。っていうことは二人ともウラド出身ではないね」

「はい、そうですが」

「不思議そうな顔してるね。なに、ウラドの子どもは皆一回くらいは〈英雄祭〉に来るのが習わしみたいなものだからね。君たちくらいの子で来たことがないだなんてないのさ」

「そうなんですか。それは素敵な習わしですね」


 話しているうちにいつの間にか男性に近づいている羽白。


「あ、でしたら〈英雄祭〉初心者の私たちに少しご教授してくださいませんか? なにか作業の途中でしたら構いませんので」


 そんな目に潤いを持たせて見上げたら、


「いやいや、全然いいよ!」


 快諾だ。


「本当ですか? ありがとうございます!」


 羽白はやはり天才的な人たらしだ。

 狭間を見下ろすように腰を下ろす。ここで寝そべって空でも見ながらうたた寝できたら最高だろうな。空気は冷たいが日差しはじわじわと温かい。


「では、あの遺跡についてお聞かせ願えますか?」

「そうだなあ。何も知らないんだよね?」

「はい」


 男性は少し唸った後話始めた。


「……あの神殿は古代ウラドの戦士たちが試練に挑んだ場所なんだよ。神殿の最奥は異界に繋がっていたと言われていて、そこにはウラドの英雄たちの母と言われるハスカがいるんだ。ハスカに与えられる試練は苛酷なものだけど、乗り越えた暁には〈太陽槍〉を扱うことのできる体と心と技が手に入るんだ。試練を突破した英雄は皆〈太陽槍〉で英雄譚を残したのさ。これがあの遺跡〈ハスカの門〉にまつわる伝説だね」

「英雄たちの母ですか」

「不老不死にして最強の女戦士。化け物が蔓延る異界で今も生きていると言われる」

「では、遺跡の奥に行けば会えるんですか?」

「まさか。奥に行っても異界には繋がってないさ」

「お話しできたら楽しそうですが。……出てきてくれませんかね」

「それは無理じゃないかな。誓約に縛られているからね」

「誓約、ですか?」

「あれ、知らないかい?」


 青年が驚いたような表情を浮かべた。


「はい」

「そうかい。誓約って言うのは、戦士が自身に課す制限で、代わりに強大な力を得ることができるんだ。ただし破ったら不幸が襲う。ハスカは異界から出ないと言うことを誓約にしていると言われているんだ」

「そうなのですか」


 理解しました、笑顔を見せる羽白に顔を赤くする青年。静止してしまう青年に羽白が声をかける。


「すいません、続きをお願いします」

「じゃあ、〈英雄祭〉についてかな」


 その後も名もなき青年は羽白につかまり続けた。その様はカツアゲだ。決して金銭の類は取っていないし暴力も振るっていないが、限界ギリギリまで情報を搾り取る光景は、カツアゲと表現するほかなかった。……まあ、青年は顔を緩ませっぱなしだったし、いいだろう。





 何度目かの夕焼けだ。北に来るほど赤は強みを増し、このアーマーでは丘の影によって赤みが強調されている。追いつけない自身の影を追いながら宿に戻る。丘の狭間を縫って流れる小川に煌めく光はやがて空へと吸い取られ、細く残る夕陽をものともせずに、一足先に南の空に浮かんでいた月に見守られながら、一つ、また一つと藍色の空に現れる。宿に着いてもなお完成しない夜空に思いを残しながら部屋へと戻る。


「おかえりさない二人とも。楽しかった?」

「はい。それに〈英雄祭〉のおすすめも教わりましたし」

「え、なになに聞かせて」


 なぜ俺の部屋で話すか。そう思ったが口にするほどの元気がない。俺はまだ、昼寝をすることができていないのだ。夕飯までの僅かな時間だけでも。そう思いながら俺は半寝半起きくらいのまどろみに身を任せた。

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