第1話 『おかえりなさい』を花束で

 春のほがらかな日差しの中、キラキラときらめく湖上こじょうゆるやかに飛ぶ鳥達。


 雄大ゆうだいな山脈の姿がうつ湖畔こはんの小さな二階建ての白い家。『僕』は、いつもの道順みちじゅん辿たどりながらほとりに咲きほこあわい紫色の花をみ、両腕にかかえて家へと持ち帰る。気をつけて歩いたつもりだったが、行きと帰りで三度も転んでしまった。


 この白い家は既に住人を失い廃墟はいきょとなりち果てていた。かろうじて各所に残った白いペンキの色。くずれかけた屋根とバルコニー。かたむいた柱。割れた窓。


 空を埋め尽くす程の飛行する車が飛び交い、数百階を超えるビルが所狭しと並んだ当時の最先端の技術で作られた家だったが、いまでは見る影もない。いや、その高い文明がほこった技術があちこちに使われているため、なんとか家として認知できる姿を保てたのかもしれない。


 当時、このような田舎の湖畔こはんで、二階建ての一軒家に住む人間など、ほとんどいなかった。この家のあるじだった彼女はずいぶんと変わった人物でもあった。


 彼女は、この湖の畔を散策さんさくしたり、釣りをしたり、本を読んだりと、のんびりと過ごしていた。月に一度、物資の配達が来る程度で、滅多めったに人もおとずれない静かな場所。


 いつも彼女は『僕』に向かって柔らかく微笑ほほえみながら、『私はこのゆるやかに流れる時間が好きなの』と『僕』に言っていた。『美しい湖と、この白い家、そして『あなた』がいてくれれば幸せよ』と。『僕』は、そう語る彼女の優しい笑顔が好きだった。


 この半年、冬の雪に苦労しながら、出来る得る限り頑張ったが、時間や資材が足りず、修復しゅうふくしきれなかった。まだあちこちの壁や天井に穴が開いて日差しが差し込んでいる。雨が降らなければ良いのだが。


 花とつるで作った飾りを、すべての部屋に飾りつける。彼女が好きだと言った、名も知らぬあわい紫色の花で。そして玄関には『お帰りなさい』と書いた木製の看板。ペンキなどもなかったので、指でガリガリとけずって文字を書いた。


 出来るだけのことはした。

 彼女は喜んでくれるだろうか。


 『僕』は鉄製のびついた腕に、花束を抱え玄関の前にたたずみ、彼女の写真も忘れずに手に持つ。古びてかすんでしまった写真。この一枚だけがなぜかち果てず残っていた。


 もっと家の修復を進めたかったが、全身がガタ付き、いくつかの機能に多くの障害しょうがいが出ている。記憶回路にもエラーがでており、過去に保存した記憶データも多く消去されてしまった。


 もう半年以上もメンテナンスされていないので当然の結果だ。

 だが、その前から、『僕』の体は過酷かこく環境かんきょうの中で使命を果たしてきたため、もう限界だったのだ。


 マザーコンピューターから半年前に通達つうたつがあった。汚染おせんされた地球環境の数百年におよぶ修復が終わり、人間が生存できる域にまで達したと。そして半年後から冷凍睡眠れいとうすいみん保管ほかんされている人間を順次復活じゅんじふっかつさせると。


 既に実験をねた動物などは野にはなたれて、生態系を作り、十数年が経つ。


 この数百年、汚染除去おせんじょきょなどの作業に当たっていた旧式のロボットの廃棄はいきが決定した。元々は人の奉仕ほうしするための家事用ロボットだったが、残った人間すべてが冷凍睡眠へ入ったため、汚染除去用に改造かいぞうされ、数百年に渡り使命しめいを果たしてきたのだ。


 旧式のロボット達は、ながきに及ぶ過酷かこくな除去作業を行ってきたため、金属の劣化れっかやかなりの部分の精密機械にも損傷をきたし、修復するよりも新しいロボットを制作したほうが材料、コストが掛からず、人間のためにも良いとマザーコンピュータが判断したためだ。目覚める人類のためにもっと役に立つロボットを。


 旧式の『僕』よりも、きっと新型のロボットは彼女の役に立ってくれるだろう。マザーコンピュータの判断は正しい。

 

 『僕』の最後の仕事は、ここで、彼女と過ごしたこの家で、彼女を迎えることだけだ。もうすぐ充電も切れる。きっとこの充電が切れた後、再起動されることは無いだろう。このままここに放置され、ゆっくりとびてちてゆく。


 半年前、使命から解放された時にマザーコンピュータより、稼働が停止するまでの残り半年を自由にするようにとの連絡があった。パフォーマンスの低下が著しくなってしまった『僕』は不要になったのだろう。それに旧式の廃棄も決定している。もう修理されることもない。


 この残された半年に何をしようかと、何をすれば良いのかと思案した。『僕』の下した判断は、元々の自分の使命を果たすことだと結論をだした。それは、優しかった『主』である彼女のために、働くこと。数日間歩き続け、漸く彼女と暮らした家へと辿り着いた。そして彼女がいつでも戻って生活できるように、環境を精一杯整えようと。


 季節もちょうど春、彼女の好きだった花で一杯にしよう。優しかった彼女への感謝の気持ちと共に。


 でも、本当は気づいている。復活を果たした彼女が、このような古びた家に戻ってなど来ないと言うことに。目覚める人類のために、綺麗な住居も新しく建設もされている。ほとんどの人間はそちらに住むことになるだろう。新しいロボットと共に。


 だが、それでいい。何も問題ない。きっと彼女もそこで暮らした方が幸せになれる。これは『僕』が大好きな彼女の為にしたかったことなのだから。何も、問題ない。けど、少し、胸のあたりの回路かいろがもやもやする。これが人間の言う『さびしい』なのかもしれない。


 そして充電が切れると共に、ゆっくりと視界のはしから暗闇くらやみが訪れる。


 画面が切れる寸前に、彼女の顔を記憶の端から呼び出す。

 彼女が幸せな人生を送ることが、『僕』の最後の願い。


 



 ――――――だが、淡い光と共に『僕』の視界が突然開けた。


 目の前には、あの優しかった彼女の顔。

 顔をクシャクシャにくずし、涙を流している。


 『僕』は、復活した彼女によって再起動されたことに気が付いた。


 数百年ぶりの再会。

 彼女は、この家へと戻って来たのだった。

 

 彼女に抱きしめられ、きしむ体。

 写真の彼女よりも、すこし成長している。


 家は綺麗に修復され、あちらこちらに淡い花がかざられていた。

 稼働を停止してから、数年の時が過ぎたようだ。


 彼女の背後のディスプレイには、復活した人々により、次々に再起動される旧式のロボットの姿が映っていた。


 彼女は『僕』を抱きしめ、『私のために大好きな花を有難う』と言うと、身を離して、淡い紫色の花で作った花環はなわを頭にのせてくれた。


 『僕』は、『お帰りなさい』と彼女に言った。



 きっとこれからまた、彼女と、おだやかに、この白い家で、一緒に――――――。

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