第4話 柔らかな日差しが落ちる泉の畔で

 やわらかな日差しが泉に反射はんしゃし、キラキラとかがやいている。


 ここは洞窟どうくつの中なのだが、泉の上はぽっかりと大穴が開き地上へと通じているため、ふんだんに太陽の光が差し込み、春のあたたかさをうろこに伝えてくる。


 あごわにのように地面にくっつけ、うとうとと惰眠だみんむさぼる。生まれ出でてから、もう大分経つ。そのせいかなんでも億劫おっくうになり、眠ってばかりだ。少し動いただけでひどつかれる。


 背中の大きなつばさも、もう何年も開いていない。大空を自在じざい飛翔ひしょうしたのは、はるか昔のことだ。


 死は、もうすぐそこなのかもしれない。


 それもいい。

 仲間もみんなってしまった。


 鼻先はなさきに止まったちょうの羽ばたきがくしゃみをさそい、ほがらかな昼寝ひるね中断ちゅうだんされてしまった。


 大口を開けて、身をばしながら欠伸あくびをし、泉の水を飲むために頭を持ち上げると、そこにはめずらしい生物が目を見開きこちらを見つめていた。


 そこにいたのは小さな人間。オスかメスかは分からない。何十年振りだろう。人間と出会ったのは。きっとこの小さな人間には、体が大きすぎる我が巨石きょせきにでも見えていたのだろう。昔は、散々殺り合った人間だが、いまでは戦う気力など無くなってしまった。


 どこからか迷い込んだ、口をポカンと開けて動かない小さな人間など放っておいて、とにかくいまはのどうるおしたい。それに、こんな小さな人間など恐怖きょうふのあまりすぐに逃げ出すだろう。


 重い体を動かして、泉の方へ向き水面へと舌を伸ばす。すると逃げ出すと思っていた人間は、口の横に来るとしゃがみ込み、手で水をすくって飲み始めた。


 どうやらこの人間には危機感ききかんと言うものが無いらしい。すぐ横には、小さき人間よりもはるかに大きいきばがいっぱい並んでいるというのに全く気にしていないようだ。


 昔から思ってはいたが、他の生物に比べ、人間は鈍感どんかんだ。


 どれだけの人間が、自分よりも遥かに巨大な体躯たいくを持ち、大空を自在じざいに飛行し、あらゆるものをくす火炎かえんく我に立ち向かってきたことか。勝てるわけなどないと言うのに。多少手強かった勇者とかいう人間も、結局は我のてきでは無かった。まぁ、しかし、群れると多少厄介たしょう やっかいで、面倒めんどうではあったが。


 それに人間は面倒臭いのだ。弱いくせに何度も立ち向かってくるし、食べるにしても骨と皮ばかりで美味くないし。牛の方が肉も多いし好みだ。



 喉が潤い、また眠気がおそってきたので、元の態勢たいせいに戻りまぶたを閉じる。するとなにやら上顎うわあごの上がモゾモゾする。何かと思い目を開けると、すぐ目の前に小さな人間の姿。どうやら、よじ登ったらしい。眉間にあるきずに気づいたらしく、手を伸ばし触っている。それは遥か昔、勇者を名乗る人間が付けた傷ということは、この小さき人間は知りもしないだろう。



 うろこの上で暖かな日差しにつつまれていたせいか、小さい人間もウトウトとし始め、ついには眠ってしまった。久しぶりに人間を見たことで、いろいろと考えてしまったためか、同じく眠気にいざなわれ夢の中へと落ちていく。



 気付くと空は茜色あかねいろまり、コカトリスが巣へと戻っていくのが見えた。小さい人間も目覚めたらしく、身を起こすとこちらを見ながら鱗を優しくでまわしていた。



 こんな小さな人間など食べても腹の足しにもならないので、上顎に乗せたまま重い体を起こしてゆっくりと歩き、坂を少し上ったところで首を伸ばして、ぽっかりと開いた穴から地上へと戻した。

小さき人間は、大きく手を振ると森の奥へと消えていった。


 泉に戻り、ざぶざぶと水中へともぐる。ゆったりと大口を開けて泳ぎ、魚を飲み込む。昔に比べ、少食になった。最近では魚を少し食べるだけで十分だ。泳いでつかれた体を横たえ、また眠りにつく。最近は本当に眠ってばかりだ。


 そして目覚めると、また目の前には小さき人間がいた。


 その小さき人間は、泉のほとり群生ぐんせいしている黄色い花をたくさんんだようで、我の上顎の上で両手をせっせと動かし、何かを作っている。少し喉がかわいていたが、この小さき人間を振るい落としてまで切羽詰せっぱつまっていなかったので、一区切りつくまでぼんやりとながめていた。


 若い頃は気にもしなかったことなのに、年老いたせいなのか、なぜか人間が何をしているのかに興味わいた。よくよく考えると、人間の数十倍もの永きを生きてきたが、人間のことなどほとんど言っていいくらい何も知らなかった。


 知っているのは、高い知能ちのうがあるにもかかわらず、突然襲い掛かってくる凶暴きょうぼうな生物ということだけだった。


 その凶暴さは、他種族だけでなく、同種族にも向き、人間同士で頻繁ひんぱんに殺し合いをしていたのをよく見かけた。おろかで危険な生物、それが人間だ。


 しかし、目の前の小さきものは少し違うようで、凶暴さの欠片もない。まだ生まれたばかりで、人間としての本能ほんのう芽生めばえていないのだろうか。もう少し成長すれば、我に襲い掛かってくるのだろうか。分からない。



 どうやら作り終わったようで、作ったものを目の前へと持ってくる。我に見せたいようだが、近すぎて良くわからない。それは黄色い花の輪っかだった。自身の頭にかぶせ、我の鼻の上でクルクルと回り始めた。


一体何がしたいのか全く理解が出来ない。


 人間は、我らとは違い、顔の形が良く変わる。それが何を意味するのかわからないが、人間同士のやりとりには必要なのだろう。どういう訳か分からないが、いまのこの小さき人間の顔の形は、なぜか好ましい。


 小さき人間は、もう一つ作ってあったらしい、花で作った輪っかを持つと、我の頭によじ登り、するどつのへとかぶせたようだ。少しくすぐったい。いったい何がしたいのか全く分からない。


 まぁ、角に花の輪っかがくっついたところで、我にとっては何も問題ないので放っておくことにした。


 頭から降り、目の前に戻った小さき人間は、更に顔の形を変え、飛び跳ねたり、クルクルと回ったりし始めた。そして動き疲れたのか、この日も小さき人間は、我の上顎の上を寝床ねどこにうたた寝を始めた。我の鱗の上など硬くて寝心地が悪いだろうに。


 その姿にこちらの瞼も重くなり、一緒に眠りに落ちた。


 それからこの小さき人間は毎日来るようになった。


 毎日することは変わらず、我の上顎の上でクルクルと回り、疲れると眠ってしまう。

ときおり、我の口の中に果物くだものらしき小さな実を投げ入れたり、目の前で何か話しかけてきたりもした。何を言っているのは、理解できなかったが。我が多少覚えた人間の言語げんごとは違う様だ。そんなゆったりとした時間がどのくらい続いたのかは分からない。


 我にとっては、瞬く間の出来事だが、すぐに死んでしまう人間には長い時間だったのかもしれない。だが、小さき人間は、変わらずにまだ小さい。なので、それほど年月は経っていないのだろう。我がこの泉の畔で、ゆっくりと衰え、死んでゆくまでこの小さき人間はそばにいてくれるのだろうか。などと最近はおかしなことまで考えてしまう。人間と言うのは本当におかしな生物だと改めて思う。



―――そしてまた時が過ぎ、ぽっかりと開いた上の穴から小さな何かが上顎へと落ちた。


 それは、体から赤い体液たいえきを流している小さき人間だった。その体からは、数本の木の棒が突き出していた。我も昔人間と戦った時に複数の木の棒を投げつけられたものだ。かたい鱗を貫通かんつうすることは無かったが。



 小さきものは、赤い体液を流しながら身を起こし、顔の形をいつものように変え、我の眉間みけんにある傷を撫でると、そのまま崩れ落ち、泉へと飲み込まれていった。


 小さき人間は、死んだのだろう。人間は我とは違い脆弱ぜいじゃくな生き物だ。



 そして我は立ち上がり、数年ぶりにつばさを広げる。体が重く、関節かんせつはギシギシと音を立て痛みをうったえてくる。だが、苦痛くつうえ、大きく羽ばたき飛翔ひしょうする。遥か下で小さくなった泉が見える。この泉に戻ることはもう無いだろう。


 数十年ぶりの飛行。そして最後の飛行だろう。風が心地よい。


 眼下には争う人間の姿が見える。数え切れぬほどの人間が赤い体液をまき散らしながら、その凶暴な本性ほんしょうに身を任せている。


 その中心に降り立ち、おどろき逃げまどう人間を火炎で焼き殺してゆく。辺り一面は火の海となり、脆弱な人間が次々に焼かれ、けむりに巻かれ死んでゆく。


 多くの人間が木の棒や鉄の棒を我に向かって投げつけてくる。木の棒は鱗で弾けたが、鉄の棒は鱗を突き破り我が身に刺さった。複数の鉄の棒が我が身に突き立てられてゆく。羽ももうボロボロで飛ぶことは敵わないだろう。それでも、老いた体に鞭打むちうち、火炎かえんで焼き払ってゆく。


 殺しても殺しても次々にいてくる凶暴な人間。本当に面倒くさい。


 次第に体の感覚かんかくが無くなり、火炎も吐けなくなった。柔らかな春の日差しが、いまでは妙に暗くなってしまった。だが、なぜか心はおだやかだ。


 きっと我が人間であったなら、顔の形をあの小さき人間と同じ形にしていただろう。これでもう永遠えいえん寝覚めざめることの無い、眠りにつくことが出来る。先に逝った仲間の元へ。


 これは悪くない最後だと我ながら思う。深い眠りの底で、またあの小さき人間と会えるだろうか。


 あの柔らかな日差しと優しい時間がゆっくりと流れる泉の畔で。

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