怪獣病

きと

怪獣病

 男が目を覚ますと、そこは知らない部屋だった。

 部屋を見渡してみると、ベットと冷蔵庫、数脚すうきゃく椅子いすが置いてあるだけのシンプルな部屋であることが分かる。

 病室……だろうか? だとすると、なぜ自分がこんなところにいるのか。

 男は必死に思い出そうとする。だが、なぜ病室にいるのかどころか、自分が今まで何をしていたのかすら思い出せなかった。

 男は、何が起きているのか戸惑とまどっていると、ガラリと部屋の扉が開かれる。

「……目を覚ましていたのですね。どうですか? 身体に違和感などはありますか?」

 部屋に入ってきた白衣を身にまとった初老の男性、おそらく医者であろう人物に言われて、男は腕を回してみたりする。どうやら、身体的には異常はないようだ。

 となれば、

「身体は大丈夫ですが、あの、俺なんでこんなところにいるですか?どうしてここにいるのかどころか、自分が何者なのかすら思い出せなくて……」

「それは、ある病気の治療の結果です」

「病気?」

「あなたは、怪獣病にかかってしまったんです。思い出してみて下さい。記憶はなくても知識は残っているはずですから」

 怪獣病。数十年前、突如として現れた奇病で、罹ると文字通り異形の怪獣となる。怪獣になった者は、周りの人間に見境なく襲い掛かる。最初は、治療法もなく怪獣になってしまったものは、隔離かくり病棟に入れられて怪獣になってしまった人間が死んでしまうのを待つだけだった。

 だが、近年になってようやく投薬による治療法が確立された。

 ただし。

「――怪獣病が末期まで進んだ時、治療する際に今までの記憶を全て失ってしまう……?」

「……その通りです」

 男は愕然とする。楽しかった子供の頃や大切な人たちとの思い出も、もう思い出すことができないのだ。もう周りの人と思い出を語り合うこともできないのだ。

「……やはり辛い、ですよね。でも、もうすぐあなたのことをよく知っている方が来るはずです」

 男がその言葉に首をかしげると同時に、再び病室の扉が開かれる。

 そこにいたのは、一人の女性だった。よほど急いできたのか、かなり息が切れている。

「良かった。治療、うまくいったんだ……!」

 そうつぶやくと、女性は男の胸に飛び込む。そのまま、ぽろぽろと涙を流し始めて、嗚咽おえつももらしていた。

 どうすればいいのか戸惑った男だったが、なんとなく、このまま何もしないのはダメだと思った。

 男は、泣いている女性の肩を優しく抱く。女性は、特に嫌がることもなく男の胸で泣き続けた。

 しばらく、女性が泣く声だけが響く時間が続く。いつの間にか、医者の姿はなかった。

「ごめん、急に。何も覚えてないのに、急に抱き着かれてびっくりしたよね」

「いや、それは大丈夫なんだけど、君は?」

「……一応、君の恋人」

 それを聞いて、男は罪悪感にさいなまれる。

 この子は自分のためにこんなにも泣いてくれるのに。自分は、この子のことを何とも思えない。

「それで、本当に記憶ないの? 私の名前は?」

「ごめん。分からない……」

「ううん、大丈夫。命が助かったんだもん。なにも文句ないよ。それに――」

「それに?」

「さっき、肩抱いてくれたの嬉しかったよ。記憶はなくなっても、君は君のままだなって思えたから」

 そう言って、にっこりと笑う女性に、男はなんだか照れてしまう。

 そして、改めて女性のを見てみると、肩に包帯が巻いてあることに気づいた。

「なぁ、その包帯は?」

「……君が怪獣病になった時。私に襲い掛かったの。その時の傷。まだ、抜糸してないから隠してるの」

「っ!ごめん!」

 思わず、男は頭を下げる。ベットの上で寝ている状態でなければ土下座していただろう。

 どう償えば、恋人であるこの女性に許してもらえるだろう。いや、どんなことをしても償わなければならない。

 そう決意して、顔を上げて女性を見ると、にこやかな表情をしていた。

 なにも気にしていないようだった。

「なんで、そんな顔できるんだよ……? 俺は、君にとても酷いことをしたのに!」

「だって、悪いのは君じゃなくて、怪獣病でしょ?」

 こんな事当然のことだというように、女性は首をかしげる。

 と、思ったら、女性はニヤリと悪い表情をうかべる。

「もし、どうしても私につぐないたいっていうなら、約束して。これからも、私と一緒にいてくれることを」

「……それでよければいくらでも」

 男は、なんとなく自分がこの女性のことを好きになった理由が分かった気がした。

 そして、これからもずっと一緒に居ることができることも確信できた。

 この二人が夫婦になるのは、もう少し未来の話だ。

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怪獣病 きと @kito72

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