あの夏は遠く近く

 ぐずついた天気が続いている。もう太陽など一週間も出ていない。

 山をひとつ越えた先は例年以上に雪が積もっているという。


 ある冬の午後。場所は“区域”の外側数キロ。県道。


「この先、また迂回だってよ。前に来た時はまっすぐ通れたはずなのに」

「“区域”が拡大してるからな。仕方ない」

 一台のスポーツタイプのコンパクトカーが低く唸りをあげて走っている。

このあたりを通るのはせいぜい運送トラックか、あるいは区域に携わる関係者くらい。その中で、男二人の乗るコンパクトカーは妙に目立ってみえる。


 交通量は少なく、信号で止まることもない。元々あった横断歩道も、白線がかすれて消えかけている。横断する人間などほとんどいないからだ。道沿いの民家、ドラッグストア、パチンコ屋。チェーンのレストラン。古いたたずまいを残すカーディーラー。この一帯はかつてまだ町の中心地に近いところであった。今はそのほとんどが撤退し、もぬけの殻になっている。かろうじて、施設関係者をアテにした一部のコンビニだけが営業しているが、せいぜいその程度。


「俺の親戚、元はこのあたりに住んでたんだってさ。ろくに話したこともないけど」

「まだ住んでる人間いるのかね」

「いることはいる。が、まあ、ほとんど地元の老人くらいじゃないか。……真横におかしな“区域”が出来て、それもだんだん広がりつつあって、いつ強制退去を要請されるかわからない中で、普通はそこに留まることなんて考えないだろ」

「そりゃそうだ」


―――


 牛丼屋の看板の色は薄くかすれ、地元の洋品店は窓ガラスが割れている。電源の抜かれた自動販売機には数年前のポスターが貼られたまま。パチンコ屋の大きな駐車場は封鎖され、アスファルトの合間から雑草が生えていた。

 窓ガラス越しに、色彩のない灰色の街が続く。役目を果たすことのなくなった信号放つ黄色の点滅だけが、妙に目立ってみえる。

 

『この先迂回あり』


 巧みに組み合わさったガードレールが迂回路を誘導する。


「道はいいけど……クソ走りにくいなここ!」

「まだ私有地が残る中で、そこに無理やり線を引き直したわけだからな」

 古い木造の民家が並ぶ中をすり抜けていく。朽ちかけた家。誰も遊ぶことのなくなった小さな公園。崩れたブロック塀。ぽつんと点在する真新しいコンビニだけが異様なほどに浮いている。


 やがて、彼らが走る道の右手に、物々しいものが見えだした。


 脇道を塞ぐバリケード。その脇には警備員が二人ずつ配置されている。


「“区域”につながるゲートだ」

「つまり」

「この先が“夏”ってわけだよ」


―――


『この先行き止まり』

『ここから先“区域”につき、立入禁止』

『関係者はネームプレートを着用』

『→1.5km スクリーニング場』


 あの“夏”は季節によって膨張と収縮を繰り返しながら、徐々に拡大を続けているという。


 バリケードの向こうには“夏”がある。とはいえ、一歩入ればすぐに変わるというわけではない。正確にはその先に余剰なエリアがあり、そこから先が“区域”だ。エリアは膨張域と考慮した作りになっていて、そこに調査施設の建物なども並んでいる。

もちろん、関係者以外立入禁止である。


「でもなあ。いくら道を塞いだといっても、バカは乗り越えて入っちゃうよな」


 事実、侵入者は後を絶たない。見つかり次第捕縛され、施設で徹底した検査や“処理”が行われるという。そしてもちろん、入ったきり帰ってこない者もいる。それでも怖いもの見たさ……“夏を満喫”しようとする人間はいる。


「行ってみたいと思うか?」


 異常区域。真冬の山の中に“夏”が広がっているなんて、普通はありえない。そこでは天候までもが変わるという。そして――それにまつわる、大小の異常現象も。


「おっと」


 道の途中、真新しく引かれた横断歩道の横に人の姿が見えた。女性が二人。そのうち一人はやたらに背が高く、妙に背の曲がった姿勢で立っている。

 ブレーキをかけ、渡らせる。


「あの服」

「あれ、施設の関係者だな」


 拡大する“夏”に対し、国や政府もただ手をこまねいているわけではない。幾度となく調査がされ、そのための施設が区域の周りには並んでいる。


「俺ならこんなところで働きたくねえなあ」

 助手席にいる男がケータイを取り出す。電波は通じていない。

「給料もいいって話だが」

「命の危険もあるからな。そりゃあな」

「……でも、入ってみたくないか?」

 いくら統制がされているとはいえ、噂話は漏れ出てくる。夏。一面に広がるという向日葵畑。異常現象。誰もいないはずの区域に現れるという少女の話。


「……夏、ねえ」

「ん?」


 運転席の男が何かに気づいた。


「なんだ?」

「見間違えか?」

「なんだよ。気持ち悪い」

「いや……今のバリケードのところ。普通は警備員が二人いるだろ。いなかったんだよ。その代わりに」

 運転席の男はちらりとバックミラーに目をやり、怪訝そうな声でつぶやいた。


「代わりに?」


「デカい向日葵が二つ生えてたように見えた」

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