喫茶店と、幼馴染

 古い友人とぬいぐるみはよく似ているとお客さんが語っていたのをふと思い出した。どちらもふとおもいだせば懐かしく、けれど気が付いたころには関係をなくしていて独特の郷愁を味わうのだとか。だからこそ今持っている関係を大事にしなさい、そう特に最近来る銀髪の可愛い女の子に粉かけているのなら全力でーー、


 ふむ、この後は余計だろう、特に意味もないし、恋愛相談をしてもいないのに始められても困る。そういうのは私に失礼というよりも大島さんに失礼だろう、お客さんと喫茶店のマスターその関係性を崩すのは好ましくない。


 喫茶店のいいところはマスターとお客さんの独特の距離感だと思う、踏み込んだ話はしないけれども、話し相手が欲しいときに話しかけられる、まるで友人のように話せて、それでいて何も話さなくてもなんとなく許されているように思える。


 まあ話がそれるにそれてしまったけれど、私には幼馴染というものが存在していた。それはきっと世間一般の幼馴染に対する印象と同等で、家族のように親しく、常に一緒に遊んで、笑って、時間を過ごしていた。私と彼女は特に問題もなく、喧嘩をしたわけでもなかった、ただ私が学校で、虐めっ子に文句を言って盾突いて、嫌われて、陰湿ないじめと両親の死に耐えきれなくて、姿を隠してしまったせいでもう会うことはなかった、それだけだ。


 こう、わざわざ磨きたいから買ったガラスのカップを上等な布で磨いているとふと懐かしく感じるものだなぁと思う。今思えば彼女が私を助けようといろいろしてくれていたのでは、とも思える。


 けれどすべて終わった話で今の私には関係のないことだった、制服はすてた、学校に入っていない、話はそこで終わったのだ。


 メレンゲを一つ手に取り、その滑らかな表面に触れて口に放り込む。


 甘い、世間もメレンゲのように甘くなるべきだろう、なんせ人生はつらすぎる、糖分が足りない。


 カリカリと、シャーペンがノートに走る音が静かな店内に響いていた。

 ふと音が止まると同時に消しゴムをこする音が鈍くなって、すぐに音が消えると本をめくる音が軽快になる。そしてまたすぐにシャーペンの音が始まる。


 そんなこんなで繰り返しているのは大島さん、今絶賛高校に編入するために猛勉強に励む苦学生である。夏休み前、七月の生暖かい空気が肌を鈍く撫でる季節。あと少しすれば燃え上がるような熱気が溢れてクーラーは更に労働にかられることだろう。


 曰く、彼女は夏休み前に編入するのを目指しているそうだ。編入し自己紹介、学校になじみ友達を作り部活に参加する。そして夏休みが始まれば友達と遊んだり部活に行くのもいいだろう、まさに青春青い春、夏だけど。


 いつも通り店は閑散としていて、今日は窓際でサラリーマンの人がパソコンとにらめっこしていて、真面目なほうの漫画家先生がこのまえ引っ張り出した作業机で楽しそうに描いている。四人席は宝石細工の職人を生業としているらしい老人が宝石とにらめっこしている。


 静かだ、それぞれがやりたいことをやって、好きに生きている。喫茶店は自由なのだ。


 と、言ったはいいのだけれど暇は暇だ。いつもならば蜜柑さんが来ている時間だけれど、最近は仕事で大阪のほうに行っているそうだ、なぜ知っているかといえばお土産が何がいいかと聞かれた。


「平和だなぁ......」


 平凡、平和、まさに自由。


 カリカリとシャーペンの走る音、タイピングの軽快な打音、丁寧に宝石を置くコトリという音、ペンが原稿用紙を駆け抜ける音。


 気の早いセミの鳴き声が聞こえた、走る足音が聞こえた。もしやリッタ先生かと思い入口を見やる。


 ばたんっとものすごい勢いで扉が開け放たれた、じめっとした生暖かい空気が冷えた店内に飛び込んだ。この店は変人の集まりという定評がある、定評があるぐらいには常連のお客さんもよく訓練されていて扉が開け放たれた程度では反応しない、少しは反応してくれよめちゃくちゃ驚いてびくってした私がばかみたいじゃないか。


 それはさておき騒音の現況を見ればある一種の意味でああそうかと思うのと、ええ?という疑問が胸中からあふれかえるのがわかった。


「まさかーーこの匂いは鏡ちゃん!?鏡ちゃんなの!?」


 艶のある美しい黒髪、腰まで伸びたそれは手入れが行き届いており光を散らしてキラキラと輝いている。整った和風美人然とした顔、二つの茶色の瞳は真っすぐとこちらに向いている。気が強そうな目の形は昔と相も変わらずそのままだ。そのままだったからこそ私は開いた口を閉ざして、営業スマイルを作り出して。


「いらっしゃい、ミズキ」


 久々に見た幼馴染ーー内山水月のその顔がそこにはあって。

 私は、必死に引っ張り出して、胃の底から何とか言葉を吐き出すのであった。




 ーー



「なんとなく、鏡ちゃんの気配というか、雰囲気がして店に来てよかったわ。まあ妙に距離感の近い人がいるのが予想外だったけれど」


 カタリと、お冷の入ったカップを置くとミズキはにこりと笑った。


 幼馴染を懐かしんだ矢先にこうやって何かが起きると、噂をすれば影というのもあながち間違いではないのだろうかと思ってしまう。いやべつにはなしたわけではないのだけれど、ねぇ?

 あともう一つ言いたいことがある、何故人間は争うのだろうかという哲学的なテーマについてだ、もちろん嘘だ、私が知りたいのは何故か出会って一瞬で険悪なムードで二席離して座る幼馴染と常連さんの解決方法だ、あいにーどへるぷ。


 右側は店の常連さんであり、努力家の大島さん、好物はチーズケーキ、なおあまり作っていないのでメニューからは消えた。


 左側は幼馴染であり、数年ぶりに再会したミズキ、好物は麦茶、なおうちの店のメニューに麦茶はないので麦茶を出して会話を始めるという選択肢は消えた。


 二人はやはり何故か険悪なムードで笑っている。


「こんにちは!私は鏡ちゃんの幼馴染のミズキです、よろしくお願いします」


 と、ミズキ、笑っているのだが若干怖い、私は詳しいんだあれは怒っている顔だ、起こる理由がないだろう、何に怒っているんだ暑さか?太陽に怒っているのか?


「よろしくお願いします、私はこの店に通ってる大島翔子といいます。それであなたは幼馴染と言いますが一度も店に来たことがありませんよね?」


「ーーそれは、ねえ?幼馴染だから合わなくても分かり合えるのよ」


 うんわかりあえていないけどね?今どうして怒ってるのか謎すぎるけど説明はもらえないよねうん。


「それはそうとあなたは鏡ちゃんの何?」


「何、とは?」


「いや、さっきから私が親しげにしてるのを嫉妬してるみたいだからさ、いったいどういう立場で嫉妬してるのかなぁと思って」


「私は青山さんとお友達ですから、少し気になるのは別に嫉妬でも何でもないでしょう。そういうあなたこそ何か威嚇してきていますけど結局のところ他人でしょう?しばらく会っていなかったのに今更幼馴染面されても」


 ふむなぜ喧嘩をするのだろうか、こういうときこそ私のために争わないでとか言ってみるべきなのだろうか、悪化する気しかしない。


 こういうときこそグラスのカップを磨くに限る、店の常連さんの中にガラス職人さんがいる、私がよく丁寧に磨いてるのを気に入ったとかで自分が作ったガラスのカップ一式をくれた。申し訳ないので断ったのだが、押し切られた。


 とても質が良く、厚みがないに等しい、本当に薄いのだ。強度がしっかりしていてなお薄く、造形美も素晴らしい、そんなことを考えながら今日も今日とてグラスを磨く。


「ーー幼馴染のほうが親しいに決まってますよね?ほら、私なんて鏡ちゃんの黒子があんなところにあるとか知ってるもの」


「もしかして太ももにあるというのなら私も知っています。まさかその程度でマウントをとろうとするなんて浅はかというか。幼馴染も所詮その程度のものということですね」


 このぎすぎす具合は何というか、末期というか、正直困る。


「うーん......ところでどうして二人はいがみ合ってるの?」


「「いがみ合ってません」」


「阿吽の呼吸で否定されても」


 この二人仲がいいのか悪いのかが微妙にわからない、仲良くしてほしいそのほうが平和だ。


「あっそういえばこれ忘れてた、メニュー。決まったら言って」


 ミズキにメニュー渡すと開くこともなくニコリと笑って注文が決まったわという、これは困ったまさか今大島さんが飲んでいるカモミールを頼む気なのだろうか、今切れているのだ。内心焦る中、彼女はゆっくりと口を開いて。


「鏡ちゃん、もう学校に虐めっ子はいないわよ。教師だってましになった。だからまた学校に行きなさい」


 ーーガツンと、脳を殴られた気分になった。ああそうかそういうことか、なるほどわかった。


 端的に言えば彼女は客ではない、何も頼む気はないだろう、自分の主張を言いに来ただけなのだ、私を学校に行かせたいという主張を。こういうやつだった、そうだ何を忘れていたのだろうか。彼女は正しい、いつだって正しいのだ。雨に濡れている人間がいればタオルと傘を持って行く。一緒に雨に濡れてそっとそこにいることなんて考えもしない、そんな人。


 学校のことを考えると吐き気がする、脳みそがえぐられるような気分でふらふらと気分が落ち着かない。嫌な思い出が鮮明にフラッシュバックして胸が痛む、息がだんだんとできなくなってくるのがわかって、必死に空気を吸い込もうとすればするほど苦しくなっていく。安全ならば行けばいいじゃないか何を恐れているんだと心に言い聞かせても、脳みそはそれを聞いてくれない。


「ーー私は事情を知りませんけど、行っていないのは何か事情があるんじゃありませんか。なのに行きなさいっていうのは身勝手でしょう」


 凛とした声が響いた、脊髄に解けるような声で、耳の鼓膜をたたいて脳裏に走った。


 いつの前にか床に向いていた顔を上げれば本気の、どこか怒った顔で大島さんがミズキを見ていた。


 シャーペンを置いて、体をまっすぐとミズキに向けて彼女は続ける。


「何度も言うようですが私は事情を知りませんけど、青山さんが嫌だって言ってるのに行かせる必要はないでしょ、こんなつらそうにしてるのが見えないんですか?」


「でもいつまでもこうしていていいわけがないじゃない、鏡ちゃんがこの店から出たのを一度も見たことがないのよ?いつまでも逃げ続けて馬鹿な奴らのせいで人生を無駄にするなんて理不尽よ」


「......きっとあなたが言ってることは正しいんでしょうけど、人はそんなにてきぱきと切り替えられませんよ。少なくとも今あなたが善意で言った言葉で青山さんが喜んでいるように見えますか?」


 彼女は怒っていた、私のために。何故かその事実が妙に嬉しくていつの間にか締め千切られそうな心臓はゆったりといつもの動きに戻っていた。沁みるという言葉が最も適切だと個人的に思った。本当に苦しかったのが噓のように本当に欲しかった言葉で赦されたようで軽くなるのがわかった。


 ミズキは反論するために口を開きかけて、またすぐにその口を閉じて、小さく開いて。


「私は、鏡ちゃんを諦めないから。絶対に学校に行くべきだと思ってる。この店に引きこもってても良いことなんてない」


「......それは、若干違うぞミズキ。こうやって働いてるといろんな人に会うんだ。病で入院してて学校に戻ろうと必死に勉強する人とか、締め切りに追われて逃げ纏う漫画家とか、社会に文句を垂れるOLの人とか。私は今の生活が本当に楽しいから、苦しくないからこの店にいてよかったと思えてるよ。すくなくともこの店に引きこもってて良いことはあったよ」


「勉強は?高校も卒業できずに中卒になるのよ?将来きっと後悔する」


「いや、それはわかってるんだけどまだ一歩が踏み出せないんだ。きっといくら歩き出せって言われても足がすくんだままで動けないから、覚悟ができるその日まで、その、待っててくれないかな?今はまだ無理だけど、きっと、きっと出るからさ」


 今はまだ足がすくんでしまう、一歩が踏み出せずにひるんでしまう。扉を開いて歩き始めることは簡単なことなのだけれど、そのための一歩が果てしなく重くて遠い。


「本当にごめん、けど、俺はまだ店を出れないよ」


 時間はまっちゃくれない、刻淡々と過ぎていく。早く出なければいけない、一歩を踏み出して歩き始めなければどうにもならなくなってしまう。ゆっくりと選択肢が崩れ落ちて、歩き出せる未来がなくなっていくのがわかる。


 けれど。


「俺はまだ、店の外が怖いよ」





 ミズキは、ゆっくりと深くため息をはいて荷物を背負うと、踵を返し店を出た。


 扉が閉まる一瞬、ほんの少しの間に彼女は扉に手を置いて止めると、ぼそりとほんの小さな声で。


「ごめんなさい。傷つけたかったわけじゃないのは、うぅん言い訳よね、ごめん。もう来ないわ」


 酷く寂しげに、罪悪感にむしばまれた、昔に見たその顔で彼女は笑って。

 ぱたりと、ドアが閉じる、彼女が戻ってくることは無かった。










 喫茶店の朝は早い、掃除を一通り終えて椅子や机を丁寧に並べ、細かいゴミや汚れが残っていないかを確認する。せっかく喫茶店に入ってゴミが残っていたら雰囲気が台無しにもほどがある。いつもやる作業なのでそこまで時間はかからない、テキパキと作業し、作業し、作業しーー


「『もう来ないわ』」


 作業が終わらない、手につかないとはこのことだ。彼女の、久々に再開した幼馴染の顔は思えばどこか疲れていて、辛そうにしていた。そんな彼女が最後に残した言葉が妙に耳に残り離れない。


 彼女は正しかった背中を押して真っすぐと正しい方向へと進めと言ってくれていたのだ。けれど私が弱かったせいで、その期待にはこたえられなかった。怖くて恐ろしくて、足がすくんで歩き出せなかった。それを肯定してもらった瞬間泣きそうになった弱虫だ。


 あんな別れをしていいのだろうかともやもやが残る。彼女とは仲が良かった、華やかな本当にいい思い出が胸の内からあふれかえってくる。


 幼馴染は懐かしんでも、気が付いたころにはもう疎遠になっているかで会えない、ああ、正しいよとあの常連さんに言いたい。このまま自分は彼女に会うことは無いのだろう、だからこそ思い出がここまで美しくて。


 終わった話を考えてもしょうがないと切り替えて店の掃除をし終えて、入口の扉を開く。いつも通り店のドアについた看板を裏返そうとしたときに石畳を踏む足音が耳に入った。ふと顔をそちらに向けて、深く、本当に深く私はため息をはいた。


「別に、もう来ないって言ったけど会わないって言ってないし、それに約束したわけじゃないもの。だから私がここにいるのは正当なものなのよ」


 無駄に饒舌な言い訳を述べる見知った幼馴染の少女は何故か胸を張って笑っていた。




 私は迷わず店の扉の看板をCLOSEDのままにして今日を休みにすることとした、恥ずかしすぎるだろう、死にたい、何が思い出がここまで美しくて、だ。


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喫茶店、紅茶とお菓子と男の娘。 @Kitune13

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