第45話
「だが、今朝、花畑で北の子らの前に佇んだときに、やっと、思い浮かんだのだ」
「ぇ――――?」
そっ……とグレイが花束をハーティアへと差し出す。
淡い色の小さな花弁たちの向こうに、黄金の瞳が真摯な光を宿していた。
「私は、女心にはとことん疎い男だ。大事なことすら、いつもお前が切り出すまで勇気を出せぬ、情けない男だ。嫉妬深く、人並み以上に重い愛を注ぐことしかできぬ。穏やかな平和主義者というのは装っているだけで、お前のこととなると、我慢出来ずに癇癪を起して暴れることすらある」
「う、うん」
「愛していると口で囁きながらも、これから先、幾度となく、お前を怒らせ、傷つけることもあるだろう。恐怖させ、哀しませることもあるかもしれない。決して、完璧とは程遠い男だ」
「――――」
ドキン ドキン……
「だが――お前を大切に思い、慈しむ気持ちだけは、永遠に変わらぬ。あの地で眠る、北の子らのように」
「――――!」
「――ティア」
黄金の瞳が、ふっ……と緩んだ。
「お前が理想と告げた、お前の父がお前の母を愛したように――私も、お前を愛すと誓おう。その関係に名前を付けたとき――それが『家族』であっても構わぬ。誰よりお前を大切に想い、慈しむ存在であり続けよう。……千年前から、今この瞬間も、これから先の生涯もずっと、気の遠くなるほど――文字通り『永遠』にずっと、ずっと。命尽きるその瞬間まで、お前に生涯尽きることのない幸いを贈ると、約束したのだから」
「っ――!」
再び、視界が滲んだ。薄い涙の膜が張り、世界がぼやけた。涙でよく見えなくなった視界に、グレイの白銀と黄金が滲む。
あんなにも――あんなにも、『家族』ではなく、番として同じ愛を返して欲しいと懇願していたグレイが、それを受け入れると告げたのだ。
意にそぐわぬと苦しそうに顔を歪めることなく――心からの言葉として、優しく穏やかな笑みとともに、告げたのだ。
二人だけの愛の形を作ろうと、告げてくれたのだ。
「ティア。――私と、結婚してくれないか」
「っ――――!」
感極まったまま言葉を紡ぐことが出来ず、ハーティアは差し出された花束を受け取って、こくり、と小さく頷いた。
わぁ――!と美しいプロポーズの成就を見届けた群衆からひときわ大きな歓声が上がる。
割れんばかりの大歓声の中、柔らかな笑みを浮かべた後、そっとグレイはハーティアの手を取った。
「グレイ・アークリースは、ハーティア・ルナンを生涯の妻とし、この命尽きるまで、この者を愛し、慈しみ、ともに苦難を乗り越え、温もりと喜びを分かち合うことを誓おう。――ティア。お前も同じように誓ってくれるか?」
「っ……はいっ……」
何度も聞き覚えのある、決まりきった定型文に過ぎないその言葉が、キラキラと輝きを放つ特別な誓いの言葉に思えて、ぽろぽろと涙があふれ出る。
(あぁ――そうか――)
そっとグレイがその涙をぬぐい、顔を近づける。涙がぬぐわれ、一瞬クリアになった視界に愛しい<狼>の姿を認めてから、そっと瞼を閉じた。
ゆっくりと、唇が重なる。
それは、幼いころからあこがれた、神聖な愛の口づけに他ならなかった。
(家族とか、恋人とか――そんなことに、こだわらなくて、よかったんだ……)
昨夜、眠りに落ちる前に一瞬よぎった泡沫のような記憶の欠片。
それは――毎晩眠る前、ハーティアにキスをする前に、父に向って母が同じようにキスしていた光景だった。
(お父さんとお母さんは、恋人でもあり、家族でもあった――)
母とハーティアの間にあったのは、確かに家族の愛であり――夫婦であった父と母の間にも、確かに家族の愛があった。
どこかで、家族と恋人は――親愛の情と恋愛の情は異なるものだと思っていた。
だが、恋人となった先に夫婦という形態があるのであれば、グレイと『家族』になるというのは、恋人になるよりもよほど強い結びつきがあるのではないだろうか。
(私は今日、グレイと夫婦になる――)
ふ……と幻のように熱をともした唇が、そっと離れていく。
ハーティアはゆっくりと瞳を開き――ふわり、と頬を淡く色づかせて微笑んだ。
「ティア――」
それは、グレイがずっと『夢』に見た光景。
祝言で、誓いの口吻をされたハーティアが、嬉しそうに、恥ずかしそうに、幸せそうに、頬を染めて微笑む。
こみあげてくる感動に、ぐっ……と息を詰まらせ――
「――――――――――――――――」
「…………?グレイ……?」
急に、両目をこれ以上なく見開いて息を止めた伴侶に、ハーティアは軽く首をかしげる。カサ……と手元の花束が揺れて音を立てた。
グレイは問いかけに答えることなく、そっと唇を開く。声にならない音が、「ティア」と呼んだ気がした。
「どうし――――――――ぅえぇえええ!!?」
ガバッ――!
急に、抱えている花束ごときつく抱きしめられ、驚きのあまり変な声が出た。
どよどよどよっ……と群衆がどよめく。
「ティア――!」
「ぐ、ぐぐぐグレイ!?どうし――」
「これは夢ではないのか――?あぁ――ティア――!」
熱っぽい声が首元で響く。
(――あれ。これ、どっかで――)
既視感。
四週間ほど前に、この光景を見たことがある。
そう。首筋に鼻をうずめ――スンスン、ふんふん、と何度も何度も匂いを嗅がれている気配。
「ね、ねぇ、一体どうし――」
「ティアから――懐かしい、匂いが、する――」
「!」
「間違えるはずがない――愛しい、愛しい、私の”希望”と”幸い”の象徴だ――!」
ぎゅぅぅぅっとさらに力強く抱きしめられ、息が詰まる。
(匂いが、変わったんだ――!)
驚きに目を見張っていると――
「あぁ――堪らない……!ティア、私のティア――!もう永遠に離しはしない……!愛している、愛している、愛している」
「ちょ……ぐ、グレイ、落ち着い――」
「はぁっ……もう、我慢できない――……!今すぐ、抱いていいか」
「――――――――――――は――――?」
――――既視感。
「愛している、ティア――!」
「ちょ――――んんんんんんんんんん!!!!!?」
こんな既視感は、要らない。
どよどよどよどよっ
いきなり始まった、人目も憚らぬ熱烈で濃厚な口付けに、群衆の間に戸惑いが走る。
以前同様の出来事が起きたときの何倍にも膨れ上がったギャラリーの数に、ハーティアの顔が羞恥で真っ赤に染まる。
「ちょっ……!グレイ、待っ――待って、待って、人前だから――!」
「関係ない――!今すぐ抱かせてくれ、ティア」
「いやいやいやいやいや!!!!」
「大丈夫、ちゃんと次は、アルフに習った通りに――」
「そういう問題じゃなくて!!!!!!」
「あぁ……もはや、いっそ、夢でもいい。覚めるまで存分に堪能し尽くすだけだ。時間が惜しい。衆目が気になると言うならば、今すぐ帰ろう、ティア。私たちの屋敷に」
「ちょ、本当に待っ――――」
ハーティアの混乱が極まった制止の声は――
ゴキッ
ふぉんっ…………
――いつかと同じく、途中で途絶えた。
「ひゅ~ぅ。じゃあオネイサンは――今度こそ、一週間以上仕事放り出して屋敷に籠って、お嬢ちゃんが壊れるまでヤりまくる、に金貨五枚」
「五枚か。大きく出たな。……まぁいい。先ほど、壇上の女の匂いが変わっていた。あの様子では一週間以上は固いだろう。俺も金貨五枚だ」
「僕もです」
「じゃああたしも――って、皆同じ方に賭けたら、賭けが成立しないじゃない」
呆れた族長たちの、いつも通りのほのぼのしたやり取りが交わされる。
天に広がる、抜けるように青く、水のように澄み切った秋の空が、愛を誓った二人の新しい門出を祝福していた――
【番外編】毎日が辛すぎるので、狂気の愛を振り撒く番を何とかしたいと思います。 神崎右京 @Ukyo_Kanzaki
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