第44話

「行ってらっしゃいませ」

 最後の身支度を手伝ってくれた女たちに見送られ、祭壇へと続く扉が解放される。

「――――――……」

 差し込んできたまばゆい光に、思わず手をかざして、ハーティアは軽く目を眇めた。

「――ティア。手を」

 前を行く陽光にも負けない白銀の美青年が、優しく手を差し出してくれる。

「……うん」

 口元に微笑みを浮かべてその手を取り、ゆっくりと歩みだした。

 透き通った陽光は、まるで鏡をちりばめたようにキラキラと輝いて、抜ける空はどこまでも蒼く澄み渡っている。

(ここから、始まる――)

 日差しを跳ね返すような美しい銀髪を透かして眺めて、トクン……と心臓が甘い音が立てる。

 わぁ――……と広場から響く歓声が、鼓膜をそっと揺らした。



 祭壇に姿を現した美男美女に、わっと歓声がひと際大きくなった。

(すごい――こんなに、一杯……!)

 広場に集まった人影に、一瞬ハーティアの頬が緊張に強張る。その昔、北の集落で行われていた祝言でも、ここまでの人出はなかった。おそらく、東の<月飼い>のほかにも、灰狼、黒狼、赤狼がそれぞれ集結しているせいだろう。

(ぁ――族長の皆さんとナツメさんも、向こうにいる。シュサさんも、間に合ったんだ……)

 見覚えのある顔を群衆に見つけ、ほっと頬を緩ませると、手を引いていたグレイが静かに祭壇の中央で歩みを止めた。

 そのまま、両手を取り、向き合う。

(儀式の手順、ちゃんと、憶えてる……かな……?)

 そっとうかがうように上目遣いでアイコンタクトを送る。グレイは、安心させるように穏やかな笑みを湛えた。

 どうやら、彼はこの群衆の前でも、全く緊張とは無縁のようだ。黄金の双眸に、愛しい番を収めて柔らかく目を眇める。

 儀式の流れは、決まっている。両手を取り合い、群衆の前で、愛を誓う定型文を花婿が諳んじる。花嫁は頷き、その誓いを受け入れる。最後に口吻を交わして、儀式は終了だ。非常にシンプルな、千年以上変わらない儀式。

「……ティア」

「はい」

 こくり、と頷く。群衆のざわめきの中でも、不思議とグレイの声はしっかりと耳に届いた。

(これから、群衆の前で、愛を誓う定型文を――)

 幼いころからの憧れが叶う緊張で、ドキドキと胸が高鳴る。

 小さく喉を鳴らしてつばを飲み込むと、グレイがゆっくりと口を開く。

「思い返せば、私は情けない男だな」

「へっ……!?」

 予定にない言葉に、思わず間抜けな声が出る。

 ぱちくり、と瑠璃色の瞳を見開いてグレイを見上げると、ふむ、とグレイは一つ頷いて、瞳を閉じる。

「番になることも、唇への口吻も――何もかも、大事なことは、いつもお前から切り出され、私は承諾するばかりだ。よほどお前の方が、私などより潔く、男らしい」

「ぐ……グレイ……?」

 唐突に始まった脈絡のない話に、ハーティアは困惑しきって頬を引きつらせる。

 しかしグレイはそんなハーティアの様子を気にした風もなく、取っていた手をそっと放した。

「えっ――!?」

(まさか、誓ってもらえないの――!?)

 驚きのあまり、極端な考えが頭をよぎり、思わず縋るような瞳を向けてしまう。

 しかし、グレイは穏やかに、安心しろとでも言いたげな優しい笑みを浮かべたままだった。

「お前に教えてもらった、伴侶になるまでの行程で、まだ一つ、していないことがある」

「ぇ――?」

 それは、祝言だ。今日、この儀式に他ならない。

 グレイを『家族』としか見ることが出来なかった日々から、デートを重ね、ゆっくりとお互いを知り合い、心の距離を縮め、擦り合わせていった。

 匂いが変わらないという不思議はあれど、ハーティアは今日の祝言をもって、グレイを恋人として、生涯を歩む伴侶として、認めることが出来るのだと、そう思って――

「お前が”憧れ”と言っていたことが、ずっと心に引っかかっていた」

 ふ、と優しくグレイの瞳が和らいで――

 コキッ……

 耳慣れた音が、響いた。

 ふぉんっ……

「ぇ――――わ――――!」

 目の前に――まるで、手品用に現れたそれに、ハーティアは思わず驚いて言葉を失う。

「――花束――……?」

 グレイの手の中に現れたのは、小さな花弁を沢山咲きほこらせた、可憐な美しい花束だった。

(あれ……この、お花――……)

 つい昨日まで宿屋に飾っていた大ぶりな花弁をつける南の花ではない。

 小さく可憐な、風に揺れる花弁を凝視し、驚きに目を見張る。

 この、見覚えのある、花々は――

「今朝、摘んできた。お前に渡したいのは、この花束だったからな。――あの地に眠る『月の子』らにも、報告してきた」

「――――!」

「お前を愛し、慈しみ、十四年、大切に育ててくれた感謝を。あの運命の日に、私の最愛を生き延びさせてくれた感謝を。盟約を違え、想像を絶する苦しみと悲しみの中で命を散らせてしまったことの対する謝罪を。――あの子らが守ったお前に、必ず生涯尽きぬ幸いを贈るという覚悟を」

「グレイ――」

 胸がいっぱいになり、視界がわずかに滲む。

 グレイは一度瞼を伏せ、何かを考えてから、再び瞳を開く。

 ハーティアの髪と同じ、月を溶かしたような黄金の光が、そこにはあった。

「何度も考えた。お前に永遠の愛を誓うのは簡単だが――どんな言葉が、ふさわしいのかと。どんな言葉であれば、ティアは喜び、私の愛を受け入れてくれるだろうかと」

「え……?」

「<狼>は、基本的に一夫一妻制だ。一度誰かと番になれば、繁殖期に他の雌と繁殖行為をしたところで、子供も作れん。お前を手に入れた今、他の雌など皆、ただの肉塊にしか見えぬから、そんな気になるはずもないしな。故に――生涯、変わらずお前だけを愛する、など……当たり前すぎて、何も特別ではない」

「……ぅ、うん……」

 いきなり始まった謎の理論に、女心のわからぬグレイらしさを感じ、引き攣りながらなんとか頷く。

「生涯ずっと一緒にいてほしい、などというのも――お前が嫌がろうと、泣こうと、喚こうと、誰に妨害されようと、私は決してお前を傍から離しはしない。お前の意思に関わらぬそれを誓いとするのは違うだろう。断られたとて、私はそれを聞き入れぬ」

(……いや、それは意志をある程度確認してほしいけれど)

 最初の二週間、腕の中に閉じ込めるようにして物理的に「決して傍から離しはしない」という状態を強制されたトラウマから、心の中で反論するが、相手が真剣な様子だったので、何とか口に出すのは思いとどまる。

「生涯尽きぬ幸いを贈る、というのが素直な私の気持ちだが――それはすでに、千年前に、お前の魂に誓ったことだ。番でなかろうが、伴侶でなかろうが、関係ない。お前がお前である限り、私はその約束を必ず守る」

「う、うん……」

「そう考えれば――伴侶として結婚を申し込む、というのにふさわしい言葉を、この二週間考えていたのだが、なかなか浮かばなかった」

(あ――そ、そうか……私が、プロポーズは女の子の憧れだ、って言ったから――?)

 やっと、グレイが何をしようとしているかに思い至って、ハーティアは目を瞬いた。

 この、女心への配慮が皆無な<狼>が、不器用なりに一生懸命そんなことを考えていたらしい。――プロポーズは、花束と共に行うのだ、という言葉に律儀に従って。

「そ、そんな、たいそうな言葉じゃなくても……気持ちだけで、十分――」

 不器用な彼が、一生懸命頭を悩ませてくれたのだ。わざわざ北の花畑まで赴き、花束を用意してくれたのだ。

 その気持ちだけで、十分に嬉しい。

 そう伝えようと口を開くハーティアを、グレイが遮った。

「だが、今朝、花畑で北の子らの前に佇んだときに、やっと、思い浮かんだのだ」

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