第9話 迫害


 そこは真っ暗だった。闇の中。光も無ければ音もない。手や腕、足が地についている感覚もない。浮かんでいるとすればこんな感じなんだろうか。

 考えることをやめていた。頭で何かを考える時間を極力減らした。でないとわるいことばかりが頭をよぎる。父の死。僕たちを追い出そうとするクオラクの人々。傷つけられるショウ。ぼろぼろの僕たちに襲い掛かる野生の獣。なんでこんな目に。この世界には幸せに生きている人ともがき苦しみながら生きている人がいる。僕たちは何もわるいことをしていないのになぜ、こんなに苦しいんだろう。みんな経験していることなのだろうか。隣にはやせ細るショウだけがいる。

 あの時のように暖かい暖炉の前で穏やかに過ごすことはもうできない。


 おでこが突然ひんやりとして目を開けた。雨のしずくが垂れている。

 「あそこも補修しないとな」

 隣にいるショウの寝顔を見た。いつもどおり安心して寝ているようだった。最初の頃は肩を抱いてぶるぶると震えて寝れない日々が続いていたようだがこの生活にも慣れてきたようだった。

 父が殺されてから、いつの間にか一年が経っていた。

 

 僕たちは父とショウと三人で暮らしたあの家を追われた。

 父が亡くなり、そして父が杞教団キキョウダンの一味であったことが明らかになったのだ。

 杞教団キキョウダン白栄ハクエイ国家そのものに対抗できるほどの資本を持った犯罪組織のことだ。数年前に白栄ハクエイ軍と亂和ランワによる共同作戦により壊滅している。しかし教団の残党は白栄ハクエイ内を逃亡しており、白栄ハクエイ軍は現在もその掃討に追われているらしい。

 父が殺されてから数週間が経ったある日。辰さんがいた集落の大人たち四人が家に来た。みな暗い表情を浮かべていた。辰さんが亡くなったこともあってそんな表情をしているのだと勝手に思っていたのだが、違った。家に来た集落の大人たちの目は明らかに疑念をはらんでいた。悲しんでいるのではない、その目は怪しんでいた。僕たち二人のことを。犯罪者の子供のことを。

 その大人たちから父はその杞教団キキョウダンの一味であると聞かされた。何のことを言っているのかわからなくて、杞教団キキョウダンのことを尋ねると殴られた。頭が震えて視界が揺れた。

 顎がずれたのがわかった。うまく口を閉じることができない。

 ショウの悲鳴が聞こえる。大人たちが何か大声で僕に向かって叫んでいたが何を言っているのか聞き取れなかった。というより聞きたくなかったのかもしれない。罵るときの汚い声音を。

 僕とショウは、家から叩き出された。まるでゴキブリのような扱いだった。殴られるのが、虐げられるのが当たり前と言わんばかりに扱われた。大人たちの罵声が脳の中で反芻した。何度も何度も。僕のことを罵るのはいい。けど、何も危害を加えていないはずの父やおとなしく暮らしていただけのショウにまで暴言を吐いたことを許せなかった。隣で張り裂けそうなくらいに泣き叫ぶショウの横顔を一目見た瞬間、僕の中の何かが断ち切れた。僕は家の包丁を急いで持ち出して大人たちに襲い掛かった。叫びながら振り回して。大人の一人の腕を深く切りつけた感覚があった。すうっと肉に歯が入り、骨でがちりと止まる感覚。その瞬間に僕の脳はまた揺れた。そしてみぞおちに鈍い衝撃が走って、僕の口から、胃をまるごと吐き出そうかというくらいに汚物がぬるっと出てきた。それから息ができなくなって頭が締め付けられるような感覚に襲われた。

 それからの記憶はほぼない。次に起きた時は川の傍で、蛙が鳴いている闇夜の時間帯だった。僕のすぐ隣には、真っ青な顔で涙を目に貯めているショウがいた。

 その時視界に映ったぼやけた蛍の光が印象的だった。


 それから僕らは山で生活した。もうあの家には戻れない。だから山で暮らすことにした。獣が跋扈する山で。

 そこにはもちろん人間の生活はなかった。守ってくれる父も、雨風をしのいでくれる家もない。僕たちはクオラクよりも下になった。人間ではなく獣へと。

 もちろん最初の頃は何度も何度も死にかけた。雨でびちょびちょになって肌にひたりとくっつく服をずっと着ていたから何度も風邪を引いた。そんな日でもショウの為に食料は取らないといけない。僕は弓矢がないと獣を狩れないし、うまく弓矢を作れなかったからしばらくは川で魚を取った。毎日川に入るから風邪をこじらせるばかり。次第に骨に響くような咳が止まらなくなり、動くこともできなくなった。それでも僕は川に行かないといけなかった。妹のために。体は臭かった。服も汗や雨が混じって酸っぱい臭いが鼻をつく。川には入るがろくに体を洗うような元気もないので顔にカビが生えた。そんな状態で生きてると言えるのだろうか。生きているのだろう。でもそれは動物としてだ。僕一人ならこんな状態が続くなら、この先に明るい未来が見えないなら、とっくの昔にあきらめていたと思う。生きることを。でも僕の傍にはショウがいた。

 なんとか生き延びた。ショウが僕が川にいる間に薬草を見つけてくれた。何日もそれを飲んだ。ショウは元気になるようにと自分が食べる分の魚を僕にくれた。僕の服を洗って焚火をおこして乾かして、僕を暖めてくれた。

 なんとか最初の危機を脱することができた。ショウのおかげで。けどまた別の苦難が僕たちを襲った。それは自然の中で生きることの厳しさではなく、人と人の営みから起こる軋みだった。

 咳もおさまり熱も引いて元気になって数週間が経った。そんな時。僕とショウが住処としていた洞窟の前に数人の男が立っていた。僕とショウは山に薬草を取りにいっていた。帰るとそんな異様な光景が広がっていた。僕とショウは急いで岩陰に隠れた。苔むした岩に影から男たちが僕たちが住む洞窟を物色しているのがわかった。そして、男たちが中から出てきたのと同時に、洞窟の中から煙がもくもくと立ち込めてきた。

 燃やされている。洞窟の奥からオレンジ色のぼやけた光が見える。そして、あつめた薬草や薪の全てが容赦なく燃やされていく、ぱちぱちとはじけるような音。

 ショウは僕の隣でガタガタと震えはじめた。家を追い出されたときの光景が頭の中で流れているのだろう。見ていられないくらいに彼女はがちがちと歯で音を鳴らし頭を抱えていた。

 「また、まただ」

 ショウがそう呟いたのを聞いて、僕は意を決した。ショウを安心させたかった。

 こいつらは僕らを探していた。おそらく殺すために。犯罪者の子供を生かしてはおけない。追い出したことを恨んでいつか襲われるかもしれない。だから早めにその禍根を断ち切っておかねばと。そっちがそういう風に考えるなら僕もそれ相応の対応を取らせてもらう。僕は彼らを殺すことに決めた。彼らとは十分に話し合ったわけではない。僕らに害がないことをわかってもらえたらこんな争いはなかったのかもしれない。けど彼らが話を聞く気がないことは家を追い出されたときにわかった。話を聞こうとしない相手に理解を求める。そんな高度な話術を僕は持っていない。自分とショウを守るには彼らを殺すしかなかった。

 僕は不意打ちで背後から足音を消して近づいた。燃える洞窟を見つめていた男の一人の首を後ろから静かに切り裂いた。血しぶきが、どばっと上がった。勢いよく喉から鮮血が噴き出した。そのことに気付いて振り返った別の男の一人に素早く矢を放ってひるませ、体ごと飛び込んで胸に短刀を突き刺した。そして僕はそこから離れて森の中を駆けた。森はすでに僕の縄張りだった。木や石の配置、段差や坂の勾配。何もかも知り尽くしていた。

 男はあと二人。矢を放ちながら追ってくる男から僕は必死に逃げた。けど勝機はあった。洞窟の周りには獣の用の罠をそこら中に張り巡らせていた。僕は残りの男たち二人をその罠にかけた。

 足元の縄に引っかかれば毒を練り込んだ矢が飛んでくる。僕はその罠があるところまで懸命に走った。男たちは弓矢の腕がよかった。僕の背中には矢が二本の矢が刺さった。刺さるたびにどすっと肉を貫いて内臓まで行きつかんとするほどの衝撃が走った。走るたびに矢じりが動いて傷が広がった。けどそれでも走った。

 やがて罠に二人の男たちは引っかかった。一人は毒の周りが早く、泡を吹き出し、浮き出した血管をかきむしりながら死んだ。もう一人は太ももに矢が刺さっていて這いつくばっていた。僕は男の背にまたがり、後ろから短刀を当てて柔らかい喉を切り裂いた。僕は転がった肉の塊の隣にうつぶせに寝転がった。肺と背中が痛い。矢が刺さっている部分の肉がぐちゃぐちゃになっているのがわかる。

 しばらくそうしているとショウがやってきた。男たちの死体と僕の姿を見て泣き叫びながら僕のもとにかけてきた。泣き叫ぶ声を聞きたくなくて男たちを殺したのだが、と少し複雑な気持ちにはなったがとりあえずお互い無事でよかった。

 だけどこれからどうしよう。家が燃やされてしまった。

 僕とショウは、再び屋根のない生活に戻った。

 僕の背中の傷は深かった。背中から体の中の、名前はわからないけど内臓まで矢が入っていたみたいだった。ショウがまた薬草を取ってきてくれてそれを傷口にすりこんでみたが一向に良くならない。むしろ傷の肉がどんどん腐敗していった。それから二週間が経ったころには、僕の背中の半分は真っ黒になって肉はぐちゃぐちゃになっていた。雑菌が体に入りすぎた。

 息もできないほどの激痛が常時僕を襲った。寝ることもできない。背中全体が焼けつくように熱を持っている。

 「ショウ、兄ちゃん、一人で街まで降りてくるよ」

 「なんで、そんなことしたら」

 「もう、痛みに耐えられないんだ」

 痛みと熱。そして締め付けるような頭の痛みで吐き気がした。それが一日中おさまらずもう何日も続いている。背中のぐちゃぐちゃが体の奥にじわじわと近づいているのがわかる。自分自身が腐り落ちていっているのが実感できた。まるで熟れた果実のように。

 「クオラクだってばれて殺される、そんなことしたら」

 「うまくやるよ、アラメの人だと思われるように。治療だけ受けたらすぐ街を抜け出して帰ってくるから」

 僕は立ち上がった。視界が揺れた。燃えるように体が熱い。乾ききった体を無理に動かして歩みを進める。ショウは僕の腕を強く握って僕を行かせようとはしなかった。僕は無言で抵抗した。この痛みから少しでも早く解放されたかった。


 がさがさ

 

 茂みが揺れる音がした。僕はぴたりと動きを止めた。ショウも僕に何も言われずとも動きを止めた。

 「けがをしているのか」

 茂みの奥からそんながらがら声が聞こえた。その瞬間、無意識に腰の短刀を引き抜いていた。ショウは後ずさった。僕の弓矢を急いで握りしめる。

 茂みのなかにある木の後ろから一人の男が顔を出した。

 褐色の肌。禿げ頭にうっすらと生えた白髪。木の皮のような顔のしわ。少しだけ間だった腰。

 老人だった。僕らと同じようにみすぼらしい麻の布を着た、やせ細った老人。

 「どうしたんだ」

 ショウが、ぶるぶると震える手で矢を引く。

 僕はショウの傍らに立ち、右足を引いていつでも老人に飛び掛かれるように構える。

 「それほどひどい目に遭ってきたのか」

 老人は僕らの様子にあまり興味がなさそうな声音でそう言った。

 そして僕らに背を向けるようにして振り返った。

 「苦しいんじゃろ。先ほどまで話を盗み聞きしておったからわかる。ついてきなさい」

 老人はそういうと、枯れ木を踏み折りながら歩いていった。僕らの殺意に何の恐怖も抵抗もすることなく。

 僕とショウは顔を見合わせた。

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仮)無限槍ムゲンノヤリ 平嶋 勇希 @Hirashima

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