エピローグ

 戦いを終えたハマの大魔王は、その後も様々に世間を賑わせた。

 まず彼女は、ルーキーの癖に、日本シリーズ二戦目のゲスト解説として呼ばれたのである。本解説の笹木ささきと並べて、「大魔神と大魔王」という絵を作りたかった放送局の思惑は明らかで、どちらかというと間の抜けている印象の有った彼女に鋭い解説はあまり期待されておらず、冒頭に、本日は宜しくお願いします、とアナウンサーに言われての、「いやー、不思議なんですよね。……今頃、目茶苦茶忙しい筈だったんですけど、何故か、気付いたらスケジュールがぽっかり空いてまして、……いやー、不思議なんですよね、」と述べている最中に、ベンチに座っている丹菊がカメラに抜かれ、「ああ、この女! この女のせいで!」と喚くという戯謔で、求められた仕事をやりおおせたような雰囲気すら有った。

 しかし、いざ試合が始まってみれば、「ほらここで、望木もぎ君ってインコース狙って、振る気満々でいるんですよ。でも、どうも浴林さんは外せと指示してるようですから、」だの、「巨人側、ここで大方盗塁して来るんですけど、でもそうすると、」などと、まるで全ての思考を見通しているような語りを繰り返し、しかも全て的を射たので、「妖怪」「予言者」「俺らの贔屓こんな化け物と戦っていたの?」等と、巷で騒がれたのだった。登板している巨人投手の印象を訊かれての、「えっと、私、詠哩子以外の投手ってあんま違い感じないですよね。ストライクゾーンの大きさは誰が投げても変わんないですし、」や、どうしてそう打者やバッテリーの狙いが見抜けるのか、と訊ねられての「女の度胸と勘です。」などの、〝迷言〟もしっかり残したが。

 ただでさえ疲弊しきった巨人が、毎試合黒瀬を投入してくる楽天に惨敗してからも、紫桃は、秋キャンプ参加を「遠いっす。」と辞退してみたり、打者としてスピードアップ賞を受賞した丹菊へ「うそやろ」「一球当たりの時間という新基準がおかしい。合計時間は最悪のはず」と文句をつけてみたり、契約更改を三度保留し、「別に喧嘩してる訳じゃないので、細かいところで調整している感じです!」としゃあしゃあと述べて物議を醸したり、春キャンプ間際に漸く更改したと思ったら10年10億(FA権取得後は球団側にのみ選択権有り)という、二桁契約年数、十億台の年俸、二年目で一億突破、前年度から上昇率600倍、と無数に記録を更新する様を見せつけたり、その後即座「紫桃球興」なる企業を興して「税金逃れか。更改も揉めてたし、がめついなぁ。」と野球ファンを思わせてみたり、かと思えば、その法人をばりばりに動かし、都内や横浜近郊の空き地を借りまくって草野球場を多数拓いてみたり、「球場立ててえんすよね。プロ公式戦が出来るくらいの」とTwitterで述べて、「お前何言ってんの?」と、どうやら本気で肝を潰したらしい丹菊に反応され、「銀行説得する為に多年数契約頑張ったゾ」と返してみたり、企業理念に「税金をお上に払うくらいなら、自分で赤字を垂れ流しつつ球界に貢献する為に設立した会社です。」と堂々と書いて税務署から窘められてみたり、熊本のサッカースタジアムのネーミングライツを取得してみたり、西武ドームのネーミングライツにすらも参戦して「高え」としっぽを巻いてみたり、「お前万一獲得したらどうするつもりだったんだよ」「パリーグに進出する紫桃ちゃん」「そうはならんだろ」と丹菊と会話してみたりと、やたら、世を騒がせたのである。

 とにかく、彼女は生き生きとしていた。かつてプロの選手達を見下げ、或いは破壊して、病質的な快感を得るばかりであった邪悪な彼女が、球界を騒がせつつ元気に生涯を楽しんでいたのである。悪に強きは善にも強し、そんな言葉を、放恣さだけはそのままに無数の話題(と打点)を提供しつづける彼女を見ながら、藍葉は思い出した。

 そんな彼が、久々に紫桃と再会して、随分派手にやっているが、詐欺師とか怪しい企業家に騙されるなよ、と忠告すれば、

「大丈夫、私、男の悪党は全員見抜けるからさ。女は――悪いけど――門前払いにすればいいだけだし。」

と自慢げに述べ、彼を少し羨ましがらせたのである。茶畑の心神耗弱が認められてほぼお咎め無しになる見込みが立ってからは、彼らの間にわだかまりは殆ど無くなっていた。

 また、「球界に貢献したい」という、会社代表としての紫桃の言葉は、それなりに本気であったようで、節操の無いテレヴィ局の引き合いで王と対談させられた時には、

「私、名球会の理念に共感していて、一日も早く関わりたいんです。二千安打はずっと先になってしまうので、ホームラン869本打ったら、その時点で入会させて頂けないですか!」

と述べ、快諾されていたのである。

 放送後、

「とりあえず、巨人からは打たせねえ」

 と、丹菊がTwitter上で反応すれば、

「私以外の誰かが869本行くかもしれないゾ」

「杞憂」

「今のところ山田君が通算110本で、三合君が通算109本で、私が『通算』108本だから、誰か届くかも知れない」

「なんでそんな性格悪いのお前?」

「やっぱ先輩方は凄いわ。ぎりぎり追いつけなかった」

「なんでそんな性格悪いのお前? 」

「キャッチャーなので…」

「先人の金言を口実にするな」

 

 

   ***

 

 

 ’23年の九月中旬。登録名は「丹菊」にしたままの彼女は、今年も例の如く、最高出塁率のタイトルを横浜の紫桃と競っていた。一点リードの九回裏、ライヴァルを直接捩じ伏せるべく、彼女は遥々右翼からマウンドへと登ってくる。

 年々改善はされているものの、八年目の今年も丹菊相手にだけは絶不調となる紫桃は、それ以外では.463、丹菊相手で.121という、極端な数字を相変わらず刻んでいたが、横浜は特に代打も出さず、そのまま彼女に打席を任せてくる。

 昨年末に心臓の不安が解消されたこともあって球威の増した丹菊は、今日も素晴らしく球を走らせ、最速168キロ台の速球で盟友を黙らせ続けてきていたのだったが、しかしこの打席、初球へ、バットを合わせられた。

 受けていた藍葉は、なんだ大した打球ではなさそうだと、右方向のそれを平然と見上げていたのだが、しかし、矢庭に吹いてきた風に、打球がひょろひょろと伸ばされ始める。おいおい、うそだろ、やめてくれよ、

 結局白球は、辛うじてフェンスを越えた。

 二年ぶりに本塁打を浴び、同点を許した丹菊は、マウンドの上で「お前、巫山戯んなよ、」と弱々しく吐いて膝を着く。藍葉も、いとも憂鬱な気持ちで頭を抱えそうになったが、そんな彼の周囲が、俄に騒がしくなった。

 持ち辛そうに、ブレザーを型くずれせぬよう抱えてきた、莞爾とした球界の名士が、いつの間にかフィールドに現れている。ああ、そうか、と、気が付いた藍葉が横浜スタジアムのオーロラビジョンを見上げれば、そこには、31歳にして869号を、しかも、本拠地で親友から放った魔王を、讚えるメッセージが流れているのだった。

 まだ同点で試合が結着していないのにも拘らずこんな騒ぎを起こすのは、速やかな試合の進行を尊ぶ昨今の風潮に対して完全に逆行していたが、しかし、そんなことが許されてしまう程の、あまりな偉業であった。

 試合中だからすぐに脱ぐのだろうが、本塁の辺りで一旦ブレザーを羽織らされた、欣然たる紫桃へ、この後右翼へ退くのであろう丹菊が、わざわざ歩み寄って来る。

 かつての、ルーキーイヤーにおける世界を賭けた死闘で、ライトスタンドへ辛うじて叩き込まれなかった彼女が、あの時よりも七年分老いた顔で、口惜しげに笑みつつ、右腕を少し持ち上げると、紫桃は、言葉は無用とばかりに息を合わせ、彼女と、不敵に拳を突き合わせたのだった。

「負けねえからな、」

 この、丹菊の呟きに対し、近年新たな妖艶さを纏いつつある紫桃は、この試合のこと? 或いは、ペナントレース? それとも、野球人として? などと一々訊きあらためず、ただ、肩を竦めて背を向けたのである。世界の脱出や破壊のことなど、完全に忘れて、盟友と戦い続けられるを心から楽しんでいる、気持ちの良い背中だった。


 翌日スポーツ記事に載った、黄川田に技術を習ったのだという茶畑による写真は、紫桃丹菊両輪の瞬間を美事に捉えており、更には、少し奥まったところに佇んでいる藍葉をフレイムへちょこんと収めていたことも、高く評価されていた。

 良い写真だね、と、自宅の藍葉が彼女へ電話すると、

「ええ、会心の出来だった。ありがと。」

 音割れを伴う、溜め息の後、

「しかし、私等すっかり浸っちゃっているよね。とっとと帰ればいいのにさ。この世界、そもそもまともに成立していませんでしたー、なんて報告して、」

「別に、茶畑さんは実際帰ってもらっても良いんだけどね。そんな、大した柵も無いだろうし。」

「あー、そんなこと言っちゃうと、本当に帰っちゃうぞー。こっちは藍葉君と違って独身で、そろそろ、世間体が悪い年齢としになってきたんだから。」

 そういう、「女」という属性が惜しくて残っているのだろうな、と藍葉は思ったが、口には出さなかった。

 実際藍葉自身も、この世界の中で消滅出来ないこと、この世界の住民と同様の死を絶対に得られないことを、疎ましく思っていたのだ。出来ることならば、紫桃や丹菊、その他得た仲間や好敵手と共に、老いてさらばえて、消失したい。彼ら彼女らの奮闘や喜怒哀楽が、何も無かったが如く巻き戻される様を見届けるなど、想像したくもない、と。

 しかし藍葉は、きっとこの盆栽世界の濃密過ぎる経験は、元の世界に帰還しても何かの形で活かされるだろうと、前向きな気持ちも持っていた。彼は、これが、自分を保つ為の自家中毒的欺瞞であると、うすうす気が付いていたが、しかし敢えて信ずることにしたその論理を支えに、土着の者の如く、このを真剣に過ごそうと決めていたのである。それこそが、弔いになるだろう、と。かつて紫桃が見せた悪趣味なそれとは違い、真率で敬虔な、一つの世界への弔辞になるだろうと。


 あの日浴林から詠哩子へ譲られた、’16年のクライマックスシリーズのウィニングボールが、彼の座っている広々としたリヴィングの片隅に鎮座している。



(了)

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今終末の横浜戦 敗綱 喑嘩 @Iridescent_Null

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