第5話 プロ野球選手との同棲生活
日常では、女房の尻に敷かれることもあり、女性上司の叱責されることもある。
そんな男性特有の不満を銀座バーに晴らし、自信をつけて日常生活に飛び立つ。
だから、酒場で見せる男の顔こそ、素顔であるともいえる。
家庭ではいい夫でマイホームパパでも、酒場の顔はとんでもないプレイボーイである場合が多い。
著名な作家三人が、絨毯を舞台に見立て、ストリップを演じたりしている様子は圧巻である。
のちに私とコンビを組むことになった。猪股公章氏などは、外面のおおらかでノー天気なキャラクターとは別に、本性は非常に繊細なタイプの芸術家タイプだった。
といえば聞こえはいいが、浮き沈みの激しい芸能界において、ただ酒に逃げ込んでいただけである。
私は猪俣氏(イノさんと呼んでいた)は、演歌が全盛のころは、森進一や日吉ミミなどいろんな有名歌手を弟子につけていた。
最後の弟子は坂本冬美だった。実は名付け親は私である。
最初の芸名は真行寺〇子や城源寺〇美など、いかめしい名であったが、私が本名を聞くと「坂本冬美、それでいいんじゃない」でOKがでた。
世話になったディレクターが病死したときも、葬式にも姿を見せず、家で酒に入り浸り、私が電話でせかしたときは、あまりの酒臭さに辟易したものである。
彼は、芸能界で生き抜くには、神経が細すぎたに違いない。
芸能界は、一般世間と移り変わりのサイクルも貨幣価値も桁違いである。
ちょっと気を抜くと、すぐ時代遅れと隅に追いやられてしまう。
実は、私は人よりちょっときれいな顔を生かし、東映のニューフェイスとして、俳優養成所に通っていたこともあったんだ。そのときの同級生が、山城新伍と佐久間良子だったんだ。
一度、横暴な講師がいて、クラス全員でボイコットしようということになった。
ある日、講師が言った。
「俺の授業が横暴だと思う者、手を挙げろ」
クラス全員が結束して、手を挙げるはずだったが、なんと手を挙げたのは、私と山城新伍だけ。
ああ、芸能界というところは、いくら口約束をしても、土壇場になると裏切る。
そういう自己保身しか考えていない人こそが、成功する世界なのだ。
私は、ついていけないのと、金銭的事情で、俳優業をあきらめることにした。
裏切りというのは、裏切られた方よりも、裏切った方が辛い。
なけなしの信用を失ってしまった喪失感。
信用というのは、決して金でも能力でも地位、名誉、権力を得たとしても買えるものではない。
子供が母親を信用ように、真っ白い気持ちを預けてくれた人を裏切ってしまった。
そのあとに待っているのは、四方八方氷の壁のような孤独のおりのなか。
しかし、人は自分をも裏切る。誰しも心と身体はひとつに紐づけされていない。
心は燃えていても、肉体がそれについていかないことはいくらもある。
依存症などそうであろう。
「目を覚ましていなさい。心は燃えていても、身体はいうことをきかないものである」(聖書)
夜空に輝く打ち上げ花火のような、一見華やかそうに見えるだけで一瞬のうちにはかなく消えてしまう目に見えるものを手に入れても、目には見えない永遠のものを失ってしまった今、将来に対する絶望だけ。
目に見えるものは、時間の経過とともに消え去ってしまう。
しかし、目に見えないものは永遠に残る。
話を元に戻そう。
私は飛行機のなかで乗り合わせたがっちり体型の男性に、おしぼりを差し出したのがきっかけでひとときの素敵な出会いを味わった。
不実な男との別れ話の帰り、たまたま知り合った素敵な男性。
お互いの名前も連絡先も交換していないし、素性も知るよしもない。
風に吹かれるたんぽぽの種子のような、いっときのふれあい。
しかし、それがきっかけで、それから二年もの間、結婚未満のつきあいができるとは、そのときは夢にも思わなかった。
ふと、銀座バーが休みの日、好きな野球を見ていた。
客には、野球選手や評論家も多いせいか、私は最初は話題を合わすために、野球を見ていたが、水商売と同じ、刹那の勝負に闘魂をかける世界に、たまらない魅力を感じたのだった。
私は野球にのめりこむうちに、野球評論など始め、それがスポーツ新聞に掲載されたりするうちに、野球評論家の肩書きがつけられた。
いつものように野球を見ていると、見覚えのある男性が目についた。
「あっ、あの選手の名前知ってる?」
私は、思わずお手伝いさんに尋ねていた。
H軍の名田投手だったらしい。
H軍なら、私の経営する銀座バーにも、何人かの選手が来店して下さっている。
(続編に続く)
☆直木賞作家作詞家 山口洋子物語 前編 すどう零 @kisamatuma
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