第4話 野球選手との一世一代の恋

 なかには、子連れホステスもいるの。

 客は内緒にしているけど、小学校三年と五歳の女の子を抱えて働いているホステスもいるの。

 駅前のマンションに住み、夕方五時から夜中の一時までは、子供たち二人でお留守番。おとなしく部屋にいたら問題ないけれど、マンションの駐車場あたりをうろうろしたりして、危なかっしくて仕方がない。

 

 でも、女は弱し、されど母は強しっていうけど本当ね。

 子供がいるから、頑張れるっていうのはあるみたいね。

 自分が誰かを守っていると、自分も天から守られるものね。

 私も、愛する男性との子供がほしいと願ったこともあったわ。

 でもそれは、許されぬ夢でしかなかった。


 私ね、二十七歳のとき、関西出身のプロ野球選手と同棲した体験があったの。

 真剣に好きで、銀座を引退して結婚したいと願っていた。

 愛し合っているつもりだったが、線香花火が消えるように、はかないフェイドアウトで終わったけどね。


 彼は、キャッチャーだった。

 どんな剛速球でも受け止めるそのおおらかさで、私を受け止めてくれた。

 ピッチャーは、激しい気性の人が多いが、キャッチャーは、ピッチャーの気性を読み、それに合わせて行動する。

 キャッチャーとピッチャーは、信頼関係で結ばれている。

 ピッチャーは、キャッチャーが安心して自分を受け止めてくれるという包容力があるから、球を投げられる。

 キャッチャーもピッチャーの動きがある程度読めないと、務まらない。

 彼は、そんな包容力で、銀座バーの売上とホステス同志のトラブル、そして将来に対する不安というギスギスときしんでいく一方の私の心を受け止めてくれた。


 まあ、銀座でなくても水商売のオーナーというのは、売上に一喜一憂し、ホステスとのいさかいに頭を悩ませ、ときには、他店から引き抜かれることもある。

 客のつけの算段もしなければならない。

 ときには、用心棒代というアウトローの誘惑もあった。もちろん、私は乗らなかったがね。もし、乗っていたら法外な金を取られ、従業員に支払う給料もなくなり、従業員は辞めていった挙句、店は潰れる。

 いや、それより先に、銀座という閉鎖的な空間の村では、そういったうわさはすぐ伝わる。

 そして、結婚もできず、年ばかり重ねていって鏡を見れば、花びらの枯れ落ちたすすきのような枯れ尾花になってしまっている。

 実際、銀座のママは、結婚詐欺に同棲に持ち込まれた挙句、借金を重ねて自殺するという最期は枚挙にいとまはないが、銀座にビルを建てたという話は今だかつて聞いたことがない。

 私もそうなる前に、最後の恋のチャンスだと思った。


 知り合ったのは、私を裏切った男に最後の別れ話をつけにいった、帰り道の飛行機のなかだった。

 私は、男のおさだまりの身勝手さに、かすかな望みをかけて、追いかけて行ったのであるが、やはり男は私に対する誠意など一切見せなかった。

 銀座のママほど、結婚、専業主婦と言葉に弱い人種はいない。

 その弱みをつく男は、いくらも存在していることは、百も承知であるが、しかし、やはり結婚したい病から逃れられそうにもない。

 私たちは、主婦の天敵であり、家庭生活の異端児でもあるからなおさらのこと、温かい安定した家庭と主婦の座を夢みるのである。

 

 男との別れ話の帰りの飛行機のなかで、私は悲しみの入り混じったあきらめ、そして少しの安堵感をともなった奇妙な気分でいた。

 やっぱりあの男は、私との結婚を考えていなかったのだ。

 いや、もしよしんば、私が銀座の店を退いてあの男と結婚しても、長続きはしなかっただろう。

 ちょうど、馬の鼻先に人参をぶら下げて走っているように、男は結婚という甘言を餌に銀座ママという特殊な女と遊んでいたかったのだろうか?

 

 銀座ママに限らず、ホステスも普段は、呆れるほど平凡な生活を送っている人が多い。

 謎のベールに包まれた美しい贅沢な女。

 バックにはパトロンまがいの男がついている、正体不明の男にたけた女。

 地味な家庭の主婦とは、まったく対極の位置に座している女。

 世間は、私たち銀座の女をそういった特別の目線で見ている。

 しかし、それが酒場に対する謎やロマンにつながるのだから、私たちはそのイメージに格別、反論もできようはずがない。


 ふと隣の座席を見ると、がっしりとした体格のポロシャツの男が、お手拭きのパッケージの端を切ろうとしていたが、二、三回指で引っ張ってもうまく切れない。

 職業病だろうか、思わず私は、バッグからお手拭きを取り出し、パッケージを切って、中身を半分取り出した。

「ありがとうございます。助かります」

 男は軽く会釈をした。

 薄い唇からのぞく前歯が、真っ白で印象的だ。

「パッケージを切るときは、斜め下に切ったらスーッと切れますよ」

 私は、笑顔で声をかけていた。


 相手の状況をよく観察し、服装や目つきなどで、相手の言動をよんでからそれにふさわしい、ねぎらいの言葉をかける。

 これが、接客の第一歩である。。

 間違っても、上から目線で相手を見下したり、対等な立場で議論などしてはならない。

 常にお客を持ち上げ、自信と優越感を持たせるのが、私たちの仕事である。

 今日の悲嘆を、明日の希望に変えてやり、男としての自信を与えてやる。

 自信を与えられた男は、さらに新しい自信を得るために、店を訪れるということがリピートにつながる。

 一回こっきりの来店では、クラブ経営は成り立っていけない。


 男は待ちかねたようにお手拭きで、腕をゴシゴシとこすった。

「僕は、ほっとするとなぜか腕をこすりたくなるんですよ。子供みたいでしょう」

「実は私もですよ。指先をキレイにするために、お手拭きはいつも持ち歩いてゴシゴシとこするんですよ。アハハ」

 相手に心を開かせるには、共通の話題を持ち出し、ときにはミラー効果といって、相手の言葉を反復し、最後はハッピーエンドの如く笑いへともっていく。

「お互い、身体が資本ですものね。それにしてもたくましい腕をしてらっしゃる」

 相手の男らしさをアピールしてやる。

 男は、いつも自分が女より優れていて、力強く女をリードしたいという欲望をもっている。

 まあ、創世記の時代から、神はアダムの助け手としてアダムのあばら骨の一本をとってイブをつくられたのだから、男は女をリードして当たり前なのである。

 

 

 

 


 

 


 

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