第2話 少年

完璧に調和した世界は、不意に叩かれた肩の感覚によって一瞬にして崩れ去った。

「ひゃいっ!?」

裏返った声と共に振り返った私は、バランスを崩してそのまま波間に向かって尻餅をついた。

水飛沫が上がる。


「あぁっ、すいません!大丈夫ですか!?」

混乱する私の頭の上に、若い男の声が降ってくる。

そこには高校生くらいの男の子が、慌てた様子で手を差し伸べていた。

訳も分からずその手を取り、身体を引き起こされる。


「とりあえず水から上がりましょう」

言われるまま、おぼつかない足取りで砂浜へ戻った。

砂浜と道路を繋ぐ階段に腰掛ける。日に照らされていたコンクリートが暖かい。

「これ、あんまりキレイじゃないかもですけど、使ってください」

少年はタオルを差し出してきた。呆けた頭でそれを受け取る。


「あ…ありがとう、ございます」

「足、冷えてませんか?」

「…あ」

そう言われて初めて、自分の足元が冷え切っている事に気付いた。

「お姉さん、海の中でボーッとして、ずっと動かないみたいだったから」

ほんの少ししか経っていないと思ったが、実際にはどれほどそうしていたのだろう。

体温の低下を自覚した体が、今更ぶるりと震えた。


「大丈夫ですか?今日は晴れてるんで、しばらく日に当たっていれば暖まってくるとは思いますけど…」

少年が顔を覗き込む。

不審に思われても仕方がないくらいなのに、本気で心配をしてくれている様だ。

「あ、ごめんね、大丈夫。ちょっと考え事というか、ボーッとしちゃっただけだから」

「そう、ですか…」

雑に誤魔化したが、納得はしてもらえなかった。


彼は、何かあるといけないからもう少し様子を見ましょうと言って、私の隣に座った。

黙っているのもおかしいと、当たり障りのない会話がどちらからともなく始まる。

聞けば、彼はやはり高校生で、この近くに住んでいるらしい。

私もここが地元で、久しぶりに帰省している旨を伝えた。


お互いに距離を計りかねた拙い世間話はしかしすぐに途切れ、結局、沈黙が訪れる。

言葉はないが、彼はソワソワと体を揺らし、こっそりと私の顔を覗き見ていた。何か、言いたいことがある様だった。

そして悩んだのち、耐えかねた様に言った。

「あの、さっきの事ですけど」


「何か、悩んでる事とかあるんだったら、俺でよければ、話、聞きますけど。ほら、誰かに話すだけで楽になる事もありますし…」

彼の心根が優しいということもあるのだろうけど、海に佇んでいた私の姿は、そんなにも危ういものだったのだろうか。

「ありがとう」

純粋な思いやりに、私は素直にお礼を返す。

なんとなく、心に渦巻くものを吐き出してみてもいいかもしれないと、そう思った。


「…別に、悩んでたってわけじゃないんだけどね。無意識に思い出して、考え込んじゃってたのかも」

「思い出したって、何をですか?」

「父親のこと」

「お父さん?」

「そう」


「私のお父さんね、海で死んだんだ」


「…えっ…」

彼が息を飲む音がした。

私は彼の方を見ず、遠い海を眺めたまま、喋り続ける。

「ごめんね、こんな話。もう何年も前、子供の頃の事だから、もう記憶も朧げだし、今更何ってこともないんだけど」


「…ちょっと、話してもいいかな」

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