あるアパートにて
千代田 晴夢
第1話
僕は小さなアパートのとある一室に住んでいる。そこはとても趣深い外見で……端的に言えば、ボロアパートだ。
ガンガン、と扉を叩く音が聞こえる。このアパートの大家さんだ。
「早くはらえ!追い出されたくなければな!」
毎日のようにこの部屋にやってくる。
全く。あと少しではらえると何度も言っているのに、聞いてくれやしない。
なぜこんなに必死になっているのか意味が分からないし、逆に、こんな汚い部屋に住んでやっている僕は感謝されて然るべきだ。
この部屋はいわゆる「いわくつき」の事故物件である。
半年前に住んでいた女性が、首を吊って自殺したらしい。
その後にこの部屋を借りた人は、「この部屋は呪われている」と机の上に置き書きして逃げてしまったそうだ。
そしてその次に住んでいるのが僕、というわけである。
最初は、前の住人が逃げたのは大家さんのせいだと決めつけていたのだが、実際にこの部屋では、おかしなことが立て続けに起こっている。
外から帰ってくると部屋が異様に寒くなっていたり、夜中に目が覚めて、何らかの気配を感じたりするのだ。しかも日に日にエスカレートしているような気がする。
このまま出ていくのは悔しいので、僕はもう少し耐えることにした。
──1週間後。
昼下がり。今日も相変わらず外から怒鳴り声が聞こえる。
僕はやることがないので、朝から部屋の中にいた。
備え付けのテレビを見ていると、いきなりテレビの電源が落ちた。叩いても何も変わらない。
……いい加減ウザくなってきた。僕のこと好きすぎか。
「そろそろかな」
そう口に出したとき。
急激に部屋が寒くなってきて、自分の身体が重くなった。動けない。……来たか。
背後から、ぺた、ぺた、と足音が聞こえる。
「ふふ、ふふふふ、ふふふふ」
女の笑い声だ。どんどん近づいてくる。
これはやばい。このままだと取り憑かれるか、あるいは……殺されるかもしれない。
動けない身体を無理やり動かすしかない、と僕は覚悟を決めた。鳥肌が立って、冷や汗が吹き出る。
3、2、1……!
思い切り振り返った。
するとそこには、ありえないほど細く、青白い肌の女がいた。この世のものではないことは確かだ。
そして……目が合った。
その瞬間、女は腰あたりまで伸びた髪の毛を振り乱し、勢いよく僕の身体に飛びついてきた。
僕は咄嗟にポケットに入っている御札を取り出した。それを前にかざし、女を玄関へと追いやる。
きっとこいつは地縛霊だ。このまま外に追い出せば……
ガチャ
いきなり玄関の扉が開いた。
「早くはらえ!今日という今日は……!」
そこには大家さんがいた。そういえば鍵は開けっ放しだった。
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙」
女は見つけたとばかりに、その深紅の唇を大きく開き、奇声を上げ始めた。そして……綺麗に整えられた長い爪で、大家さんの首を絞めた。
大家さんは小さくうめき声を上げた後、倒れて、動かなくなった。
はあ、もう少しで祓えるところだったのに。
僕はもう1枚新しい御札を出そうとして……やめた。
「ワタシ、ワタシ……アナタヲ、アイシテタノニ、アナタハ、チガッタノ?」
さっきまで奇声を上げていた女は、いきなり涙を流し始めた。
「ワタシ、ショックダッタ……アナタガ、ウワキ、シテタナンテ」
……!
まさか自殺した理由って……
「……コンドイッショニ、キレイナホシゾラヲミニイコウッテ、イッテタノニ……ドウシテ……ドウシテ……」
女はもう、悪い地縛霊なんかではなかった。
1人の、哀れな恋する乙女だった。
……まあ、これはこれでよかったのかもな。
僕は、女と、泡を吹いて倒れている若い男を残してアパートを後にした。
プルルル、プルルル、プルルル……ピッ。
「もしもし」
『あ、ユウジ!……やっと出た!!』
「……姉貴か」
『なに1体祓うのに3週間もかかってんのよ!
しかも部屋に住ませてもらってまで!』
「……なかなか霊の本体が出てこなかったんだよ」
『はあ、ほんと信じらんない!……それでもプロの祓い屋?
私なんてその間に6体祓ったわよ』
「マジか」
『マジよ。……次こんなに時間かかったらお父さんに言いつけてあんたクビにしてもらうからね』
「……え!……ちょ、待」
『決定事項!以上!』
ブチッ
ツー、ツー、ツー、ツー……
はあ、と僕はため息をつく。
そして追い打ちをかけるように、雲が晴れて真夏の日差しがジリジリと、容赦なく照りつけ始めた。
近くで誰かが笑っている……ような気がした。
あるアパートにて 千代田 晴夢 @kiminiiihi
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