寂しくない
秋は苦手だった。
どうしてですかとユアンに聞かれたので、フィーネは寂しくなるからだと答えた。理由は他にもあったが、まとめると、そういうところだった。
「だったら楽しい思い出を作りましょう。そうすれば、寂しくなくなりますよ」
ユアンはそう言うと、さっそくフィーネを散歩へと連れ出した。
「秋の景色を見に行きましょう」
普段はあまり歩かない散歩道をフィーネとユアンは二人でゆっくりと歩いて行く。昼下がりの暖かな日差しと澄んだ空気に、フィーネは爽やかな気持ちになった。
「ほら、見えてきましたよ」
ユアンが嬉しそうに指さした。
黄色、橙色、そして赤色の美しい色彩がフィーネの目に入る。その光景に思わず感嘆のため息がもれた。
「綺麗ですね……」
今日は晴れているので、空も高く、青い。紅葉の美しさをより際立たせていた。
突っ立ったまま、フィーネはしばらくその光景を目に焼き付けた。
「フィーネ」
ほら、とユアンが広げた掌にはどんくりがあった。
足元を見ると、葉っぱに隠れた秋の落し物があちこちに散らばっている。
「あなたは拾わなくていいんですか」
「子どもじゃありませんから」
少し呆れたようにフィーネは言った。ユアンはいいじゃないですかと、どんぐりを太陽に透かしてじっくりと見つめる。まるで初めて拾ったような様子に、フィーネはくすりと微笑んだ。それに気づいたユアンが無邪気な声で言った。
「子どもの頃、よく拾ったんです。なぜだか、せっせと拾いたくなるんですよね」
フィーネはしませんでしたか、とユアンが聞いた。フィーネはじっとうつむき、やがていいえと静かに首を振った。
そんなことはしていけないと教えられた。
「だったら拾ってみましょうよ」
フィーネはえ、と顔を上げる。ユアンがにっこりと笑って、地面を指差している。
「どれだけ相手より多く拾えるか、競争です」
そんなことはしない、と言う前にユアンはすでにしゃがんで拾い始めている。フィーネが戸惑っていると、ユアンが挑発したように下から見上げた。
「おや。俺に勝てないからと、棄権するんですか」
「そんなことしません」
フィーネもしゃがんで負けずと拾い集めた。
二人はしばらく黙々とどんぐり拾いに専念した。
結果はユアンの勝ちだったが、フィーネは納得がいかなかった。拾ったどんぐりを集める手の大きさに差があったからだ。
「まあまあ。これで勘弁して下さい」
そう言ってユアンは、一つのどんぐりをプレゼントしてくれた。
「立派な帽子がついているでしょう」
フィーネは彼にプレゼントしてもらった帽子をとっさに思い浮かべ、ついでにそれにまつわる出来事も思い出し、恥ずかしような、でも胸の奥が温かくなるような、くすぐったい気持ちになった。
ずっとしゃがんでいたので、疲れをほぐすように二人はまた歩き出した。
「どんぐりって、つやつやして綺麗ですね」
「お気に召しましたか」
ええ、とフィーネは微笑んだ。つかの間でも童心に返って楽しめた証拠だった。
(大切にしよう……)
フィーネはハンカチにくるんでポケットにしまった。
顔を上げると、ユアンが目を細めてこちらを見ていることに気づき、恥ずかしくなりふいと目を逸らした。彼の小さく笑う声が聞こえたが、気のせいにする。
「フィーネ。こっちですよ」
ユアンがフィーネの手を取り、落ち葉の上を歩いて行く。
「真っ赤な絨毯の上を歩いているようですね」
「ええ、本当に」
視線を忙しなく動かしながらフィーネはしみじみと頷いた。
色鮮やかな木々に囲まれ、フィーネは自分が全く見知らぬ世界に迷い込んでしまったような、不思議な気がした。
「綺麗な景色ですけど、少し怖い気もしますわ」
「戻れなくなりそうで?」
悪戯っぽい目をしてユアンが振り返った。
「大丈夫ですよ。あなたが迷子になっても、俺が絶対見つけますから」
また子ども扱いして、とフィーネは軽くユアンを睨む。繋いでいた手を自分の方へぐいっと引き寄せ、フィーネは正面から言ってやった。
「心配せずとも、きちんとあなたの所へ帰ってきますわ」
ユアンは琥珀色の瞳を瞠り、まじまじとフィーネの顔を見つめた。頬が熱くなるのを感じたが、フィーネも今度は目を逸らさず、まるで挑戦するようにユアンを見返した。
先に負けたのは、ユアンだった。彼は降参したようにふっと微笑んだ。
「フィーネ。踊りましょう」
「は?」
急に何を言いだすのだと、フィーネが事態を飲み込めずにいる間にも、ユアンは彼女の背中に腕を回し踊り始めた。
「ユ、ユアン。いきなりなんですか」
「あはは。こうも美しい景色だと、何だか気持ちが高揚してしまって」
「意味がわかりません!」
それでも二人は落ち葉の絨毯を軽快なステップで踏みながら踊り続けた。はらはらと落ち葉が舞い落ちてきて、フィーネはくるくる回りながら綺麗だと思った。
「フィーネ」
紅葉へ向いていた視線はユアンに戻り、フィーネはゆっくりと微笑んだ。
踊り疲れた二人は、ポツンと配置されたベンチに座って休憩することにした。
「ユアン。今日はありがとうございます」
「お礼なんかいいですよ。俺も楽しかったですから」
ユアンはくるくると落ち葉を回しながら答えた。
「うんと馬鹿げた思い出を作ってやるって決めたんです」
そうすれば、もう辛くないでしょう。
ユアンはそう言わなかったが、フィーネにはきちんと伝わった。
ちょうどこの時期だった。
ニコラスが風邪をひいたこと。前世のある出来事を思い出したこと。
ユアンが親戚の訃報を聞いて、国へ帰ると言ったこと。ニコラスがレティシアを屋敷へ招待し、ライノット伯爵が押しかけてきたこと。そして――
「あなたはあの時、私に何を話してくれたんですか」
ライノット伯爵に突き飛ばされ、フィーネは階段から転落した。幸いにも命に別状はなかったが、意識が戻らぬまま、昏々と眠り続けた。
その間、ユアンは毎日フィーネのもとへ訪れ、眠り続ける彼女に話しかけたという。
いったいどんな話を自分にしたのか。フィーネはようやく尋ねることができた。
「別に、たいした話ではありませんよ」
ユアンは落ち葉をぱっと手放し、ひらひらと舞い落ちていく木々に目をやった。
「今日の天気はどうだとか、最近読んでいる本の内容とか、何でもない話です」
「本当に?」
フィーネがそう聞くと、ユアンは少しだけ押し黙った。
「こんな所で死んでいいんですか、って文句も言いました」
ユアンらしい言葉だ。
他には、とフィーネはさらに尋ねた。
「他人を庇って怪我するなんて、実にあなたらしい。もし、あなたがこのまま一生目を覚まさずに息を引き取ったら、周囲はあなたを聖人扱いしてくれるでしょうね、なども言いました」
「酷い言い草ですね」
「ええ、本当に」
ユアンが乾いた声で笑った。
「でも、そうすればあなたが怒って、目を覚ましてくれると思ったんです」
フィーネはそっとユアンの手に自分のを重ねた。彼の手は、かすかに震えていた。
目を覚まさない自分を、彼はずっと待ち続けていたのだ。それはどんなに心細くて、怖いことだったろうか。
「目を覚ます直前、馬鹿ですね、っていう言葉が聞こえたんです。今思えば、あなたの声でした。あなたの悪口のおかげで、私は目を覚ましたんですね」
ユアンがはっとしたようにフィーネの方を振り向いた。
フィーネは目に涙をいっぱいためて、ありがとうと言った。
「私は、あなたに救われてばかりですね」
自分がユアンに恩を返すことなど、きっと一生できないだろう。
ユアンはフィーネの涙を拭いながら、揶揄うように言った。
「あなたが素直にお礼を述べるなんて、明日は雨が降るかもしれませんね」
「いいえ、雪が降りますわ」
フィーネの答えに、ユアンは目を瞠り、やがてその通りだと声を立てて笑った。
フィーネもユアンと一緒に笑った。こんなふうに声を出して笑う日が来るなんて、あの頃は思いもしなかった。
二人の声が重なって、秋の空へと吸い込まれていく。
「そろそろ帰りましょうか」
「はい」
どちらともなく手を繋ぎ、歩きだした。ユアンの顔をつい見てしまうフィーネに、彼は何ですかとくすぐったそうに笑いかける。フィーネは何でもありませんと答えながら、繋いだ手をぎゅっと握った。彼も強く、握り返してくれる。それが嬉しかった。
「ユアン」
「はい」
「また……来ましょうね」
ユアンはちょっと驚いたようだったけれど、すぐにはいと約束してくれた。来年も、必ず。
「あなたからのお誘い、とても嬉しいです」
「……これからは、もっと誘いますわ」
「それは嬉しい」
楽しみにしていますとユアンが言ってくれて、フィーネも同じ気持ちになる。夕食の献立を一緒に考え、週末は街まで出かけようと予定を立てて、たまに喧嘩もするけれど、明日が訪れることが待ち遠しくて……フィーネはもう、寂しくなかった。
おわり
身代わり令嬢は愛し、愛される 真白燈 @ritsu_minami
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