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「凡人だ」と納得し自分を評価することは自分を救うことに繋がる。

 2023年4月22日(土)。11時01分。


 自分が凡人だなあと思うことが多々あります。特に note 等に4ヶ月前の自分の文章を載せることをいつもやっているわけですが、そのときに毎回文章のどこを太字にするかを決めなければいけないので、4ヶ月前の自分の文章を査読するわけです。そうやって、細かく読んでいくと「この文章のどこが面白いのだろう」「この文章は一体誰の読者を想定して書かれているのだろう」「この文章に情報ってあるの」「この表現は気持ち悪いなあ」とか過去の自分に対して様々な批判を自分でしてしまうわけです。例えば、自分で自分のことを「狂っている」とか書いていたり。今は、自分で自分のことを「狂っている」とか書くのは恥ずかしいというか。「狂っている」ことが格好良いとでも思っているのかなとか思ってしまいますが、当時の自分は普通に文章内で自分のことを「狂っている」と書いているわけです。


 狂っていることは良くないですが、自分で自分のことを狂っていると表現することはもっといけないことでは無いのかなと思っています。これから先の自分の自分に対する評価など変わっていくのは目に見えているのは分かってはいるのです。4ヶ月前の自分の文章を嫌っている時点で、4ヶ月後の自分は自分のことを嫌っていることは充分に有り得る話なので。


 こんにちは。井上和音です。


 今日は朝から調子が良いです。昨夜は午前零時ほどに寝ましたが、レンドルミン錠を3錠飲んで、しっかり眠れました。朝も、朝の光がまぶしくて、目覚ましと共に勝手に起きてしまいました。午前8時前。眠気も疲労感も、心が暗い感じも特には感じません。こんな健康でいいのかと思ってしまうほど健康です。


 なんか、自分が凡人であることについて書いてしまいました。昨晩にツイッターで、大学生の一人暮らしの頃に「この人は面白いな」と思っている人のツイートを久々に閲覧しました。「この人は面白いな」と思っていた人に対しては、ものすごく迷惑を掛けてしまい「二度ともう関わるな」と言われているので、フォローのボタンを押すことが出来ません。久し振りにこっそりと見ていましたが、ツイート内容が学生時代とほぼ変わっていませんでした。やはり面白いなと私が思う人の特徴の一つとして「心の憂鬱に関係なく、発言等が安定している人」という特徴がありますが、大学生時代と全く変わらずに社会人生活を同じツイートで行っていました。凄いなあとしか思えませんでした。


 中でも、うかうかさんの、「貼り回れこいぬ!」の作品の中でも、発達障害あるあるっぽいネタをこいぬがやっている、二年前のマンガをその面白い人はリツイートしていて、その内容に大爆笑してしまいました。自分は狂ったのかと思うほど笑いました。息が出来なくなり、ぜえぜえ言いながら笑いました。本当に面白いネタだけをリツイートしていて、やっぱりその人の面白さの基準って変わっていないのだなあと思いました。


 うかうかさんの初期の頃の作品はこいぬの発達障害っぽいネタが多いのですが、この頃の作品は本当に面白く、発達障害の自分でも共感する作品ばかりで面白いのです。しかし、2年前の作品を見つけ出して最近にリツイートしていた、その面白いと思っている方はよく見つけ出したなと感心してしまいました。


 それと同時に、これくらいの面白さではないと人を惹きつけることは出来ないのかなとも思いました。息が出来ないほど笑ったのですが、笑いながら「自分の作品等でこれほど笑うことも無いだろうから、自分はいくら文章を打ったところで凡人だなあ」とも思いました。


 その後に寝て、今朝起きて、先ほどまでぼーっと天井を眺めながら「note とかを読んでいても分かるし、昨夜のツイートでここまで脳内の快感物質が出てきたし。それを自分では創ることは出来ない。自分は凡人だ」と強く納得しました。


 今までは、「弱者だ」「小物だ」「弱小だ」と自分を言っていることが多かった気がしますが、これは他人から認めてもらえないことに駄々をこねる子どもと感情は同じではないかと思ってしまいました。読んでいらっしゃる方はつくづく「井上和音さんは態度が子どもですね」と思われる方も多いかと思われますが、恐らく合っています。子どもですね。その上で、自分のことを「凡人だ」と評価することは、「弱小だ」と自分を評価するよりかはまだマシのようなそんな気がしています。


 ある意味で「凡人だ」と自分を評価することは自分を救うことに繋がるかもしれません。「凡人だからなんでも言っていい」とまでは言っていいのか悪いのか。しかし、「凡人だから特に面白くもない行動や、文章を書いても良い」と自分へのハードルを下げてくれる自己認識の仕方ではあるのかなとは思います。「凡人だから、まあ、文字数なり継続日数なりそれだけを積み重ねるくらいしか、他の人との差別化など計れるはずが無くね」くらいの気持ちに落ち着きます。「弱小だから」よりも「凡人だから」のほうが良い気がします。今のところそちらのほうが、自分は自分のことを少しくらいは好きになれそうです。


 話が変わって、昨日に現実に起きたことを書いておくと。一昨日に5ちゃんねるの「カクヨム掲示板」を何気なしに見ていたら、「カクヨムコンテスト8に関してのアンケートのメールが届いた」という掲示板での発言が多く見られました。時系列で言うと4日前くらいの書き込みでした。「あれ? 私は来ていないのだけれど」と思いました。


 そこから、妄想というか思い込みが出て来ます。「もしかして私は何かしらの受賞が決まっているからアンケートのメールが届いていないのではないか」とか妄想をしていました。


 昨日、家に帰ってから今度はツイッターで何とはなしに「カクヨム アンケート」で調べて見ると、アンケートのメールが届いていないと言うアカウントの方もちらほら顕在けんざいしておりました。そのリプライ欄を辿っていくと「カクヨムコンテスト8のアンケートは迷惑メールフォルダに分けられていました」と書いてありました。


 自分も慌ててGmailの迷惑メールフォルダを開いてみると、しっかりちゃっかりカクヨム運営から「アンケートのお知らせ」が届いていました。「私が何かしらの賞に選ばれたからメールが届かなかったのだ」という妄想は妄想で終わりました。期日は2023年4月23日(日)までだったので、慌ててアンケートに答えました。今度こそ何かしらの商品なりが当たれば嬉しいなと思っています。逆に、カクヨムコンテスト8のアンケートのメールが届いていたということは、賞に選ばれることは無くなったとか……そんなことは有り得ませんね。これもまた妄想で、アンケートのメールの有り無し程度で賞が決まったとか決まっていないとか分かってしまうほどカクヨム運営サイドはやわではないと思います。


 今回は主に「凡人」についての話題でした。


 

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