心が死んでいるのに生きている状態に成ってしまったのか。成ったとしたら、過去の自分はそういう人間に成りたいとか言っていたのでおめでとうございます。

 2023年4月22日(土)。16時26分。


 こんにちは。井上和音です。


 前回の記事から特に時間が経っているわけではありませんが、特に何もすることもなく寝ていたりしていました。


 寝ていたのは本当ですが、寝ていただけではもちろんありません。アニメとか観たり小説とか読んだりしていました。


 アニメは具体的に言えばペルソナ5。ゲームでは鴨志田先生を倒すことが出来ずに、時間も無くて挫折したので、鴨志田先生がどうなったのか気になって観ていました。しかしながら、アニメのほうでも鴨志田先生がどうなったのか、その結末を観ることが出来ずに挫折をしてしまいました。


 大学生活の一人暮らしの頃は「アニメを観るのも全部勉強だ」とか思ってたくさんのアニメを観ていたのですが。なぜでしょうね。実家に帰ってから数年経って社会人になった後にアニメを観てもなぜか観ていて苦しくなりました。


 実家に帰ってすぐは「無人惑星サヴァイヴ」とか全話を一気に見たりと、大学生活の残滓が残っていた頃はまだアニメを観る体力が残っていたのかと思われます。


 というか、半年くらい前はリコリス・リコイルとか全話観ていたし。映画もTHE FIRST SLAM DUNK とか観に行っていたし。ここ最近の精神面の変化でしょうか。すずめの戸締まりも観に行ったはずです。


 家に引きこもってアニメを観ていてもなぜか特に面白いとも感じずに。別にペルソナ5を批判しているわけでもなんでもありません。ただ自身の精神面での変化だと思われます。どうしても、「ストーリー展開のために台詞が作られて発言されているように感じてしまう」という気持ちになってしまいました。いや、創作物だから台詞が展開に合わせて作られているのは当たり前だろうとか思うのですが、なぜか、観れなくなってしまいました。


 そんなにとんとん拍子でことが進むわけが無いだろう、とか心が乾いてしまった大人にでもなってしまったのでしょうか。多分なってしまったのでしょう。それにこの感情になってしまったのもここ数ヶ月のことだと思われます。創作物が楽しめないといういつの間にか致命的な心理状態に置かれていることを知りました。


 いちいちイライラしていたとしても仕方がないと思ってしまいます。自分の心が静かです。セパゾン錠を飲んでいないので憂鬱とも何かが違います。「心を殺したい」とかいつかの記事で言ってしまったかのような記憶がありますが、心が死んでいました。過去形ではなく「心が死んでますなう」という感じで。ツイッターに何かしらをつぶやく気持ちにもなりませんが。


 驚いたのが、一番文体等を真似ていたはずの西尾維新先生の最新作「キドナプキディング」を読んでいたのですが、読んでいたはずなのですが。AmazonFIREHD8ですらすらと「キドナプキディング」を読んでいたはずなのですが、いつの間にか読み終わっていました。あら? あらら? え? 読み終わった? あら。いつもの感動などはどこにいった。そもそも読んでいたのか。なんの感想も無いぞ。本当に読んだのか。文章も何も覚えていない。というか全ての台詞が作られて見える。全ての設定から、物語として完結させるために全てが作られて見える。どこかに真似したいとか、「これは凄い!」と思う気持ちはどこへ行ってしまったのか。大学生時代に読んだ「2段組のクビシメロマンチスト」を読み終わった時の感動、みたいなものはどこへ行ってしまったのか。今、自分が「2段組のクビシメロマンチスト」を読んだとして、大学生時代の時に感じたような感動を自分は今は持つことが出来るのだろうか。


 西尾維新先生を批判する意図は毛頭ありません。


 社会人になって、仕事というか、労働をせかせかと何も考えずにただやっていくことにとうとう慣れてしまったのか。言うなれば心が乾ききってしまったのか。


 もっと言うなれば心が死んでも命が生き続けるような、かつて自分が望んだような精神状態に遂になってしまったのでしょうか。はい。おめでとうございます! 井上和音さんが望んだ通りの精神状態に変わりました! おめでとうございます! ありがとうございます!


 ちなみに、ここまで心が死んだということは、昨夜、大爆笑してしまった、うかうかさんの「貼り回れこいぬ」の、発達障害っぽい一ページのマンガを、ツイッター上でもう一度読んでみました。


 昨夜はあんなに爆笑していたのに、日が昇っている午後に読んでみてもくすりとも笑えていない自分がいました。いや、憂鬱な気分とかそういうわけではないはずなのです。恐らく太陽が悪いですね。太陽や。太陽が昇っていると精神が何も感じないように、精神状態が固定されてしまったんや。そうや、太陽が悪いんや。


 別に悪いわけではないと思いますが。


 たった数年の、「昼間に心を殺して労働を続けていく」という習慣と、セパゾン錠を飲まずに、憂鬱な気分にはならないから心は元気。この二つが重なった結果、「昼間はある程度精神状態の上下動も無く、ただ淡々とした面白くもなんともない人間」が出来上がってしまったのかなとか思いました。


 先ほども言いましたが、恐らくは太陽が苦手なのでしょうね。徹底的に、生まれたその日から太陽が苦手で、太陽が昇っている間の今までの私生活で楽しかった思い出が特に無いという経験も作用しているのかもしれません。特に何も思い付きませんね。


 だからといって、昼間の私を無視するようなことにはなってほしくはないですね。昼間だろうと夜間だろうと、私が無視されるかどうかは他人が決めることで、自分の精神面とはほぼ関係が無いと思いますが。


 ○○ですが。という構文を自分はよく使うなと最近思います。なんで最後に、が、を付けて逆接文(? 国語に詳しく無いのでよく分かりません)にわざわざしてしまうのか。性格の問題でしょうか。突っかかるような文章ではなく、もっとスムーズな文章を紡げれば一番いいのかなと思ってしまいます。

 

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