井上さんは恋愛ができない
2023年1月16日(月)。21時01分。寒いぞおい。寒すぎるぞ。気温差で疲れが完全にやられている。メンタルも。もう。あと、統合失調症の妄想だと思っていたことが現実にしっかりと起きてしまっていて。もう私は。ああ。あああ。みたいになってしまっていて。
週明けから何をしているのでしょうか。
恐ろしいほど疲れています。
こんにちは。井上和音です。主に……。ここツイッターではなかったね。
お風呂に入って、黄金糖もなめて。色々思い付いたけれどね。書けるか分からないよね。
「しっかりしてください。しゃんとしてください。こんにちは。
年賀らせって名前、やめたほうがよかったのかもしれない。考えたのはもう5年くらい前のことなんだけれど。
はい。幻聴もMAX。「そういうことじゃなくてさ」とか。なんや今日は長文やないかいと思ったりしますが。
はい。なんでしょうね。彼女がほしいというか、ソーシャルワーカーさんからも「彼女とかつくらないのですか」と恐らく去年の9月頃言われてた気がするのですが。はい。進展はありません。進捗はゼロです。
「彼女とかつくらないのですか」
「いえ。特には……」
「心の拠り所が井上さんには全く無いように思われるのですが。何でも許せる相手が一人いるだけでもかなり精神的には楽になると思うんですよ」
みたいな会話の後に、心の拠り所をポケモンカードに使ってしまいました。
そこまで使っていないけれども。
はい。年賀らせさんに言わせる間もなく、言ってしまえば。過去に『【倫理哲学】十代の若者よ、恋愛しなさい。』(https://kakuyomu.jp/works/16816452221466841294/episodes/16816927861698203168)とか書いちゃっているのは、完全に、今の若者向けに書いたのではなく、今の自分向けに書いたのだと思っています。正直なところそうだと思われます。
井上さん、恋愛しなさい。みたいな。
なんか、個人的な歴史を辿ってみると、頭のいい特に女性の方が好きなタイプは? と聞かれて「自分のことを好きになってくれた人を好きになる」と文集とかで回答している人が多かった気がします。
頭が良い人っていいですね。もしくは女性と男性ではやはり恋愛の脳みたいなのが違うのでしょうか。「自分のことを好きになってくれた人を好きになる」。私には出来ませんでした。
一方的に好きになってくれた女性がいたことは確かですが。最近覚えた言葉、
じゃあ、復縁したいのですか? と問われれば「いや、別に……」と答えてしまうと思います。自分の場合も蛙化現象に当てはまるのでしょうか。多分当てはまりません。自分のためにすごく尽くしてくれました。プレゼントとかも貰いました。いろんなことをしました。動物園とかタダで観に行きました。「あの雄のライオンは最近雌が死んでしまったから、寂しくてよく吠えるんだよ」とか教えてくれました。
しかし、当時はお互いに無職で。お互いに障害者で。彼女は障害者には見えずに、ずっと僕を介護するかのように、バスの椅子とか譲ってくれたりして。
文字が止まりましたね。なぜでしょうね。
過去のことはあまり掘り下げないようにしながら。
男なんですかね。男の
選ばれちゃったらダメなんですか。
「私が出ないと文字が打てないみたいですね。はい。井上さん。まず一つに、今日は非常に疲れているのです。夕食中のあの態度はなんですか。眼鏡を外して。もう何も刺激を入れたくないような雰囲気を出して。呼びかけにも一切応じず。何も考えずにぼけーっと食べて。親の前であれなので、彼女とか出来たとしても一瞬で蛙化現象ですよ。あれでは」
「でも。あれが。あれこそが統合失調症の症状の一つで、どうしようもないんだけど」
今だって、指だけ動かしているから、なんとか言葉が紡げているけれど。キーボードの打ち方が身体全体で打たなければいけない、とかだったら、毎日投稿は昨日で終わっていた気がするくらいに。ものすごく身体が重たいのですよ。凍えるように身体が冷たいのですよ。
「でも、彼女が欲しいとか言いながら、異性のいとことコナンの映画を毎年観に行く約束とかしてて、今年も行く予定ではあるらしいじゃないですか。井上さんの理想の彼女像って、そのいとこさんくらいの距離感が一番いいとか思っているのでしょう。いとこが彼女だったらどれだけ救われたかとか思いますが。ところでいとこさんは、なぜ彼氏とかつくらないのでしょうか。いや。恐らくいますね。言わないだけで。井上さんがあまりに孤独すぎるというか、精神障害者で友達も少なく、収入も少ないために、介護みたいな気持ちで仕方なく行ってくれているのだと思われますが」
それでもめちゃくちゃ嬉しいんだよ。
ブログでもテンションの上がり方が違うでしょ。いとことドライブに行ったり、映画観に行ったりしたときのブログのテンション。
彼女、というか、良い距離感を保てる彼女が居たとしたら、毎回あんなにテンションが上がっているブログを書くことになるのだろうか。
「いきなりなに言っているのですか」
「楠になって、樹齢800年くらい生きて、花粉を適当にばらまいて、子孫の心配もしなくてよくて、人間の営みをゆったりと眺める楠。理想的だ。なんで僕には葉緑体が無いのだろう」
要するにあれ。藤子不二雄さんの作品で「ノスタル爺」という漫画があって、それがツイッターで無料公開されていて。統合失調症になった後に見たのだけれど。「抱けーっ! 抱けーっ!」って昔の自分に向かって言うのがあるのだけれど、もうそれを読んだ時には「ノスタル爺」の気持ちが痛いほど分かってしまって。そして数年が経った今でも「ノスタル爺」の気持ちが痛いほど分かってしまっている。
現実として。あまり言いたくないけれど。向精神薬の長年の服用の結果。恐らく子孫が残せないのではないかと、数年前から思ってきたし、今も思っている。
もうダメだと思う。障害年金をもらって子の加算があるとしても、子が出来ないのであれば。その制度もなんの意味も無い気がする。
一種の説では、コンサータがかなり生殖機能に大きな影響を与えてしまうと読んだことはあるが、自分からコンサータを取り除くことは、社会に付いていかなくなることを意味していて、もはや文章すら打てなくなるだろうと思われる。
それに、コンサータの前から。もう。って感じだし。
コンサータをもらう一人暮らしの頃からもう。ね。それで、「生きている意味は無いな」と確信してしまい、入水自殺でも考えたのだけれど。
よりによって、夜中の滝の圧倒感に見惚れてしまい。自然の音の凄まじさに「自分はなんてちっぽけな悩みで生きていきたのだろう」とか思って生きることを選んでしまったのだけれど。
「ノスタル爺」ですよ。本当に。今のところ犯罪とか犯しそうにはないけれど。誰かに一方的な好意を寄せているとか本当に微塵もないけれど。
最近の、一家3人殺害事件の容疑者の41歳の男は、一人暮らしで、無職で、髪の毛も薄くなっていて。もしかしたら、三人家族の娘に一方的な好意を持ってしまい殺害に及んだのかも(ただの憶測です)しれないのだけれど。
そういう気持ちは、今のところないのが救いだけれど。自分が41歳とかになったときに、果たしてそういう気持ちになってしまわないか、かなり心配ではある。
何かで自分を縛っておかないと、大変なことになりそうな気は、薄々している。
今のところは、本当に何もない。電車の中の人を見ても、「人がたくさんいるなあ」くらいにしか思わない。人、と言っても Human ではなく Body として人間を見ている。だから乗っている人を誰も覚えていない。いつも乗っている電車なのに。今のところ物体として人を見ている。
幸せなのですかね私は。お金の次には何を求めるのでしょうか。
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