統合失調症の人は友達が少ない傾向があるように思います

 2023年1月14日(土)。15時06分。共通テスト1日目。もはや特に私とは関係ないのだけれど。


 大学受験をしたいとか、少し前までは考えたりしていましたが、お金を稼ぐことがこんなにも大変なことであるとか、例えば文学部哲学科で習ったことや、自分なりに哲学について本で学んだことなどは、実社会ではほとんど役に立たないこと。知ってはいたのですし、大学生活中に「こんなことを習って一体実社会ではどんな風に役に立つんだ……?」と疑問を持っていましたが、パートタイマーで働くようになってから、その疑問は的中しました。はっきり言って文学部や哲学科などは、主教科として存在するのではなく、欧米のように一般教養として身に付けていったほうがいいような気がします。


 一般教養で教えられる哲学のレベルはとても低いというのはありますが。私が通った大学のレベルが低かったのかもしれませんが。


 フランス語とかは、とりあえず短期記憶能力の高い人ならばなんなくクリアしていって、2年修了時には単位が全て揃ったりするものなのですが、私の場合は4年次まで単位の取得に苦戦しました。結局最後まで行きつくことなく、統合失調症で中退の道を選んでしまったのですが。


 結局勉強する能力も特には無かったということで、もう遥か昔になってしまった大学生活もぼんやりとしか思い出せなくなってきました。


 私が大学生活を送っていたのはコロナ禍の前でしたからね。コロナが流行りだして早や三年ですよ。コロナのせいで、大人の仲間入りというか、忘年会とか新年会とか行ったことのないまま20代を駆け抜けてしまったのですが、「大人って何が楽しいねん」みたいな気持ちで淡々と生きざるを得ない社会人になりました。


 大学生活を鑑みても、通っていたのは同志社大学なのですが、ほとんどの人が大阪から電車でやってきます。ほとんどの人が大阪でした。私は西陣で一人暮らしをしていたのですが、「毎日夕飯は外食か食堂で食べている」と言ったら、女性から「え。めっちゃ羨ましい」と言われましたが「ほとんどがなか卯か松屋かラーメンですよ」って言ったら、なんと返されたかは覚えていません。


 京都はなか卯が美味しかった。自分で作ることもなかったので、毎日のように外出して、帰りになか卯でご飯を食べて、眠くなるまで漫画を読んだり、インターネットでぼけーっとしたり。一言で言えば暇人で。意識高い系の人を笑ったり。それなのに自分は実は意識高い系に本当はなりたかったり。そんな矛盾を抱えながら生きていましたね。


 哲学科の中でも、交流があったのは中国人留学生が多かったです。一人暮らしの人同士で何かをやったりとかはしませんでしたが、程々に交流があったのは留学生ばっかりでした。どんどん孤独になっていきました。誰も助けてはくれませんでした。


 例えば、京大病院西病棟のいわゆる閉鎖病棟の中にいた時も、大学生の誰からもお見舞いに来てくれることなどありませんでした。高校時代からの友だちも。一人も。いかに自分が友好関係を意識して行動して来なかったか。高校時代以降の自分は、中学時代の無理矢理悪事を働かせてまうようなグループにいたために、なんとなく、友人関係も選んでしまう、よくない行動をとっていたかのように思われます。


 友人を選ぶという行為は良いことなのか悪いことなのか。「友人は選んだほうがいい」とはよく言われますが、選びすぎた結果、自分と笑いの点が似ている人としか関わろうとしなくなったり、『この人たちが笑っているけれど、一体何が面白くて笑っているのだろう』とか思ってしまったりしていました。『和音って笑わないしクールだね』みたいな間違った自分の像が勝手に作られてしまい、『和音は一人が好きだ』とか間違った印象を与えてしまい、挙句の果てには誰からも相手にされず、心の中では泣いているという状況が多かったように思われます。


 統合失調症になるとは思ってもみなかったけれど。孤独なんですかね。寂しかったのですかね。私が無職になって、犯罪とかを犯して全国ニュースとかに取り上げられた時に、『私を良く知る人物』として、『最後に話したのは20年くらい前だったけど、普通で優しい人でしたよ』みたいな感じで紹介されそうな、そんな気がします。


 誰であろうが同じ道を歩む人は一人もいないとは思いますが、こういう道は歩まないほうがいいよというような道を歩んでしまったのが、自分の今の行き着いた先なのかもしれません。


 『統合失調症が悪い。統合失調症が全て悪い』と下手したら数ヶ月、数週間前の自分、もしくは、数週間後の自分もそんなことを言っていそうな気がしますが、どうしようもないことに頭を抱えても仕方がないとは思います。


 「はい。こんにちは。年賀らせです。このブログ、とうおこ自体が『統合失調症が悪い。統合失調症が全て悪い』みたいになっていると思いますが、統合失調症になる人は、別になりたくてなったわけでもなく、ましてや『統合失調症になりやすい性格の人』という、統合失調症を予防できそうな情報すらも、何一つないのが2023年現在の精神科の医療体制なのです。このブログだけでも、何かしら統合失調症になってしまった人の救いになるかのような感じにしていきたいのですが……。無理ですかね。無理っぽいです。軽い、安っぽい言葉だけで統合失調症が救われるわけがないのですから。経済的な問題とか。体力的な問題とか。ハッキングみたいな問題とか。差別的な問題とか。枚挙にいとまがありません」


 唯一、救いのようなものがあるとしたら、漫画やアニメで主人公になる人は、大概精神的に何か障害を持っていて──例えばエヴァンゲリオンのシンジ君とか、ひぐらしのなく頃にに出てくる女性陣の皆様とか──何かしら、特に統合失調症を持っていると聞こえてくる幻聴とかは、幻聴が聞こえない人から見たら、冷静に統合失調症患者が対応していたら、『この人はもしかしたら、特別な力か何かを持っているのではないか』とか勝手にロマンチシズムに思われるかもしれません。


 水のちゃぷんちゃぷんする音が声に聞こえて来たりします。昔の人だったら、それを「精霊の声が聞こえる」とか言って、周囲から特別視されるのかもしれません。なんとか生きていけるのかもしれません。しかし、今現代と同じように、一定の距離感は置かれてしまうのかもしれません。


 社会の一員になんとかして入りたいけれど、入れない。そんな病気が統合失調症の過去であり、現代なのかもしれませんね。

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