2022年もお読みいただきありがとうございました。

☆☆☆

 タイトルから書いています。話が逸れていったら申し訳ありません。

☆☆☆


 2022年12月31日(土)。21時54分。


 2022年もこの『統合失調症(本物)になると、起こること。(雑記ブログ)』にお付き合いいただき誠にありがとうございました。


 2021年7月9日に正式に始まったらしいこのブログは、2022年3月1日から「毎日更新してやろう」ということで、一応毎日更新していきました。【歌評】シリーズが全面下書きに戻してしまったので、表面上は毎日更新したことにはなっていないかもしれません。だからなんだという話になりますが。


 話が逸れました。結局、2021年7月9日に始まったこのブログは、丸々一年間、ブログとして存在し続けたのが2022年度が初めてということになります。初めての一年ということになります。初めての一年で、これだけ多くの方に見られたこと。実績とか上げていいのか分かりませんが。


 カクヨム:69,780PV

 note:100,148PV

 小説家になろう:15,977PV

 計:185,905PV(2022年12月31日 22時02分現在)


 これだけの多くの方に見られたという結果は、文字だけのブログで「毎日続けること」だけに重点を置いた結果だと思われます。無理をして体調を壊して仕事に行けなくなるとか、本末転倒なことが起こらなかったのも、文字だけという、ゆるゆるな規則で行った結果なのかなと思いました。


 これからも文字だけでいこうとは思っています。一度見られたPVは消えないはずなので、増えていくことは確かだとは思いますが、伸び率とかがどうなっているかは私にも分かりません。来年に向けて何か戦略を打っているとか、そういうことは一切ありません。結局、続けていくだけだろうなと思っています。


 未来を見据えるよりも、過去を振り返る方が私は好きです。過去は変わらないものであり、特に実績などは変わることはないために、自分が続けてきたことに安心してしまうのです。過去に怖いものはありません。不確かな未来のほうがよっぽど怖いです。


 また、話が逸れていきそうな気がしましたが、とにかく、2022年度。一年間、お読みいただきありがとうございました。本当に感謝しています。これから先どのような文章体が綴られていくか分かりませんが、お気になさっていただいたら幸いです。少しでも気になったらお読みいただければ幸いです。こんな、構ってほしい欲がたくさん出てしまっている人間ですが、これから先も、とりあえずは来年もよろしくお願いいたします。


 2022年度。一年間本当にありがとうございました。


☆☆☆


 こんにちは。井上和音です。


 夕食は、近くの中華料理屋さんのオードブルを親が予約してくれていました。


 ワタミの食卓だけでなく、たまには肉もガッツリ食べると元気が出てくるみたいですね。お風呂に入ると、もう、元気に戻りました。


 オードブル盛り合わせを食べすぎて、脂が多すぎて、ちょっと胃が変なのが少し気がかりですが。これからインスタントの蕎麦そばを食べる予定なのですが。少し吐きそうな胃の動き方をしています。過去に牛肉を食べすぎて寝ていたら突然吐いてしまった思い出があるので、かなり注意しておかなければいけません。


 布団の上で吐いたりしたら、新年早々大変なことになります。布団一式から枕まで全部を取り換えなければいけなくなります。吐くのって、嫌ですよね。吐くしか方法が無いのも嫌ですし、せっかく飲んだ薬ももう一度飲み直さなければいけなくなるし、実は薬は消化された後だったら、薬が効きすぎることになってしまうので、またそれで気分が悪くなったり。持病を持っている方が吐くと、それがトイレで吐いたとしても薬とか色々大変な目に合います。


 簡単に言えば、年越しそばは別に食べなくても良いんじゃね、とか思っています。時間が経つにつれて思ってきています。


 「こんにちは。年賀らせです。はい。年越し最後の記事でゲロの話ですか。汚いけれど切実なのですね。現実って汚いもんだし、面倒くさいものですから。


 はい。ところでなんで冒頭に『タイトルから書いています。話が逸れていったら申し訳ありません。』とか書いているのですか。2022年12月31日の22時を過ぎた後に書く記事なんて『今年度もありがとうございました』以外にないと思いますが。結局あれですか。いつも通りの枕詞を置いておかないと気が済まないとか、字数稼ぎをしたい、とかそういうあれですか」


 という話は置いておいて。


 みなさん、年賀状って届きますか。というか書きますか? 私は一通も書いていませんし、恐らく一通もやってこないと思います。寂しいとか、「やっぱりあなたは大した仕事をしていないのですね」という話に勝手に繋がっていきそうな気がいたしますが、「別にもらってもいらないし、書くのももちろん面倒だし、今の人間関係くらいが丁度良くね。一人、大切にしてくれるような彼女とかできたらそれだけでもう満足なんだけど」みたいな気持ちになってしまいます。


 未来日記という漫画をちょろっと読みました。


 その中に雨流みねねという登場人物がいまして。ええ。女性です。9巻で結婚を迫られるのですが、そのときのセリフが『私の人生は 一人きりで定員なんだよっ』というものがあります。やっぱり漫画って良いですね。物書きには創造の種のようなものを与えてくれます。


 独り身でいるときの心の支えとなる言葉になるのかもしれません。『私の人生は 一人きりで定員なんだよっ』ですよ。『人生』に『定員』がいて、それは一人だと決めつけて生きているのです。漫画とか読まないと普通こんなセリフは思い付きませんよ。やっぱり時間とお金があるときには漫画をぺらぺら読みましょうね。人生に大切な言葉がごろごろ存在していると思っております。小説もいいですが、小説の場合は、たいていが作者が用意したオチを見せるために9割方退屈な前半や中盤を読まなくてはいけません。私が小説を読む際は大体飛ばし読みで読んでいき、名言だと思った箇所には付箋をはる。電子書籍だったらラインマーカーを塗る。


 なんでこんな話をしているのでしょうね。


 彼女とかそういう話でしたね。


 彼女とかいたほうが寂しさは和らぐというのは、今日の昼間に孤独を感じて、確実に人間にはお互いを支え合うパートナーが必要だと思ったのですが、その壊れかけた心に、雨流みねねさんの言葉が突き刺さりました。一人で生きていく際には、「自分の人生は一人きりで定員なんだ」という言葉を覚えておいて、少しでも寂しさが和らぐように生きていこうと思います。


 自分を磨いていってさえいれば、いつかは自分を発見してくれる女性も現れるかもしれません。実は現れたりしたとこの前告白しましたが、私が未熟だったために振られてしまいました。振られて良かったのかもしれませんが、無償の愛情を与えられた、自分だけが特別に扱われた。あの感覚は忘れたくても忘れることはできないだろうなって思います。


 自分が女性を選ぶということは、これから先の人生では無さそうな気がいたします。


 2022年の最後の記事が、寂しさを乗り越えるための漫画のセリフや、彼女を探すためのスタンスみたいなよく分からない記事になってしまいましたが、まあ、これが『統合失調症(本物)になると、起こること。(雑記ブログ)』っぽい終わり方なのかなとか思ってしまいます。


 2022年。本当にありがとうございました。


 2023年。多分書き続けていくだろうと思われます。時間の許す限り。心の躁鬱が許す限り。いくらでも。いつまでも。

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