寂しさが爆発した大晦日

 2022年12月31日(土)。15時12分。


 2022年もありがとうございました。2023年もよろしくお願いいたします。


 どこまで続かも分かりませんが。


 今日も、これで更新が終わるかもしれないし、終わらないかもしれない。夜の予定とか、そういうのすらよく分からないので、今年のお礼も書いておこうかなと思います。


☆☆☆


 はい。こんにちは。


 2022年12月31日(土)。15時15分。


 ずっと天井を見上げていた。遂に寝込んだ。やろうと思えばいくらでもやることは出てくる。今まさに、テレビで実況されている熊本県の大津高校の高校サッカー選手権大会も観ようと思えば観れる。


 dアニメに入っているから、気になっている Phantom というアニメも、観ようと思えば観れる。散々買った西尾維新先生の小説も山のようにあり、読もうと思えば読める。スケットダンス全巻だって、ボボボーボ・ボーボボ全巻だって、読もうと思えば読める。未来日記とか、ちょこっと読んで、面白かった。


 テレビの前にはポケモンカードが飾ってある。眺めたり、アクリルスタンドを分解したりして、遊ぶようなこともしようと思えばできる。


 スマホだって、最新機種で、#コンパスだってやろうと思えば無限に出来る。パズドラだってそうだ。PS4だってある。ニンテンドースイッチだってある。遊ぼうと思えばいくらでも遊べる。


 しかし、私は寝込むことを選んでしまった。なぜだろう。好きな人と暮らすとか、そういうことをしていない。結局子どものままで、大人になってしまった気分がある。


 友人がツイッターで自分の遺影を撮っていた。意味が分からないと思ったが、実は一人暮らししている友人も鬱っぽい、死が近いとか感じているのかもしれなかった。


 友人にあれこれ言うつもりはないし、多分この記事だって読まないと思われるから書くが、休日になると散々旅行をしている。それほどお金持ちなのかもしれない。パートではなく就職は上手く行っていた友人だったから、旅行に行くのだって軽い出費で抑えられているんだろう。友人は間違いなく自分よりも強いと思われるが、そんな友人だって孤独だと、自分の遺影を撮るとかそういう心理状態に置かれてしまうらしい。


 ところで私は一体何をしているのだろうか。


 せっかくの休みなのに。


 鬱々とした日記しか書けてないじゃないか。


 働くのは嫌なのだが、休日もたった三日目で鬱状態に陥るとなると、無職もどっちも嫌だ。結局はパートタイマーくらいで落ち着くのが一番良いのかもしれない。


 あと、世間様は忙しいのか、別に私が4000字近く何かしらを書いても新しいPVは2とかで、『なんだ。100万字書いても。110万字書いても。私に注目してくれるような人はほとんど現れないのだな』という、今まで何回ぶつかったであろう。『書くだけ無駄ですよお兄さん』『何を書いても無駄なので毎日更新とかしなくていいから、長文とか書かなくていいから、勝手に寝てろ。お前は敗者で負け組なんだから、ただ寝てろ』『書こうが寝ようが、金銭的には何も変わらず、お前に情けを掛けてくれるような人も現れず、現実を変えるのは無理というか、無駄だから、もうちょい命の使い方というか、そういうのを大事にしろよ』みたいな感情がどばどばと出てくる。


 多分、健全な心のありようというのは、何を会話しても冗談めいた会話のできる異性と、同棲をしながら、貧乏ながらも一緒に何かを乗り越えようね、みたいな人と一緒に仲睦まじく暮らしていくのが人生の20代の正解なのかなと思ってしまう。


 同級生で結婚した人って、ほとんどの人がツイッターを辞めていく。寂しさを共有してくれる誰かが常に側におり、生きる上で何も困ったことはなく、子どもがいたりして、子どもを育てることだけが唯一の生きる意味になる、みたいな、政府が描くような20代の人生設計。


 本当に、結婚した同級生は、ツイッターにおいてはビジネス以外で存在しない。一方で、結婚していない人はツイッターで延々と何かを話している。正社員とか、正職員とか関係なく。すなわち、もっと結婚する確率が下がるであろう、精神障害者2級のパートタイマーの男性というのは、統合失調症とか関係なく、政府が描くような人生の道のりに乗ることは到底不可能ではないか、という結論に行きつく。


 障害者ってダメじゃん。寂しいのは、一人で独立できていないからだ。誰か信頼できる異性と同居し、話し相手や相談相手が常にいる状態であるのが、寂しさを超えられる壁だと思うのだが、障害者の時点でもうダメじゃんという諦めの気持ちになっていく。


 昨日、過去の自分と話した。なんのことか分からないと思われるが。


☆☆☆


 もうこんな文章を書いていてはダメだと思い、大津高校の高校サッカー選手権大会2回戦を観ていました。


 後半アディッショナルタイムに同点弾。PK戦でゴールキーパーが2本止め、感動しました。


 全部観ていなかったのですが、おいしいところだけ観てしまった感じがしました。諦めない気持ちを教えてくれる感じがして、とても勇気をもらいました。


 テレビの向こうから、大津高校サッカー部が勇気をくれました。嘆いていてもダメだという気持ちにしてくれました。ありがとう大津高校サッカー部。3回戦も頑張ってください。


☆☆☆


 前の話に戻ると、過去の自分と対話し、過去の自分の気持ちに入りこみ小説を書いていたら、やっぱり今の自分はダメじゃないかとか思ってしまいました。多分、過去の自分の絶望の果てに今の自分があるのではないのでしょうか。


 諦めを何回したか分かりません。


 文字を書く努力っぽいことを何回も、何回も、頑張ってきたつもりですが、ギフトも一回だけしかもらえていませんし、お金という対価も貰えないどころか。まあ、ただの趣味として存在している有様です。


 100万字書いて、誰からもオファーなり、人気になったり、そういうことが一切ないということは、自分の文章には価値など全くないということを認めなくてはいけません。


 もともと、人生が上手く行っていたら、こんな駄文を書く人生は送ってはいないでしょう。本音で喋れる相手がいれば、こんな気持ちを文章にすることなどしていなかっただろうと思われます。


 そういう人生になってしまったのだから、書くしかないわけなのですが。


 連休3日目で、寂しさが爆発してしまいました。誰からも認められない悲しさが爆発してしまいました。


 なんの意味も無いのだろうか。この文章体は。

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