見た目が良いと勝手に尊敬される

 2022年10月27日(木)。21時18分。


 はい。


 いつもならばお風呂で何かしら思い付くのだが、お風呂で一人で変顔大会をしてしまい、何も思いつかずに今を迎えている。


 週末にコンタクトレンズを買いに行こうと計画しているのだが、別に採用面接に有利になるとか、そういうことではなくて、結局格好良くなりたいというただの願望でコンタクトを作りに行く。


 仕事の能率とかは眼鏡のほうが明らかに高いだろうし、朝の支度だってコンタクトのほうが時間はかかるだろう。コンタクトにすることにはデメリットしか感じられない。眼鏡を掛けていたら目が小さくなっていくのは知っている人は知っている知識で、それは眼鏡のレンズに目が集中してしまって起こる、物理的な現象なのだが、コンタクトに変えたら、目が徐々に大きくなっていく。


 実際、目が小さくならないように、眼鏡のレンズは大きなものを選んでいて、女優なんかもドでかいレンズの眼鏡をプライベートでは掛けていることはよく知られている。


 なんだかんだ、自分の中で、目を小さくしたくない、出来る限りイケメンのままでいたい、という願望が心の底ではあったかのように思われる。


 たいしたイケメンではないのだけれど、自分からルックスを悪くしたい人は、そうそういないような気がするが、いや、いると思う。ルックスを保つことは男女を問わずに努力が必要なことなのだ。


 例えば、髪型で、詳しくないが、男性のМ字ハゲが出来るところを切らずに伸ばすと小顔効果が期待される髪型がある。中学時代にルックスでいじめを受けたことのある経験から、「人は見た目が9割だ」と思うようになり、髪型には特に注意をした。髪型を変えて、スラックスの腰回りを大きくして、カバンの白い線を針で縫い破り、学ランの裏には青い裏ボタンを付けた。


 いつの間にか女子の見方が変わった。変わったというか、なんというか、尊敬されるかのようなそんな目線になった。


 しかし中身は無かった。「和音はいてくれるだけでいい」と陰で女子に言われていたことは、当時ショックだった。いてくれるだけで花があるという意味だったのかもしれないが、中身が無く、部活もベンチで、ガリ勉で、真面目で、話していても特に面白みもない人物と思われていたのだろうと、今なら思う。


 ルックスが変わっただけでいじめとかは無くなった。田舎のヤンキーな雰囲気に嫌気がさした。都会の真面目な高校に受かった。


 浮いた。なんだこいつはという感じだった。誰とも馴染めなかった。なんとなくだが、大半の人が私に恐れおののいていた。勉強が出来る高校ではルックスなどどうでもよく、勉強が出来る人だけが無条件に尊敬されていた。ルックスもあって、この高校に合格するような奴は、皆から尊敬というか、恐れの対象のような、関わりたくないとも取れるような反応を受けた。


 しかし、ルックスを良くするだけの努力をするだけで、人は自分を無条件に尊敬するという事実は、高校に行っても変わらず、「このままの自分でいたい」と思うようにはなった。


 しかし、勉強とルックスを良くする努力の両輪は回らず。発達障害というどうしようもない昼間の眠気、ナレコレプシーがあったのかもしれないし、単に勉強をする習慣というものが無かったのかもしれないし、真面目に生きることの馬鹿らしさを中学時代に噛み締めていたからかもしれないが、真面目のなかの息苦しさに苦悶する日々が続いた。


 大学受験も当然のように失敗する。


 徐々に孤独になっていく。


 孤独になると、ルックスなどどうでもよくなる。


 コンタクトを付けることも無くなり、髪の毛もアシメは付けているが勉強の効率を考えて目にかからない程度にまで切ってもらった。


 徐々に、The浪人生、というような顔つきに変わっていった。


 話は戻って今現在。


 浪人生でもなんでもなく、勉強したところで社会に評価されることもなく、能率を上げようが下がろうが、給料は変わらないことに、社会人3年目でようやく気が付く。


 男用のフェイスウォッシュも買うようになり、ニキビが消えていった。


 自分って一体、何を求めていたのだろうか、と問い直すような余裕のある日々に戻ってきた。


 楽に生きるのもいいけれど、欲に生きるのもいいじゃないかと思えるようになってきた。ようやく経済的にも自由になれて、生きたいように、自分が正しいと思えることを選択できる生活が整ってきた。


 ルックスに磨きをかける、中学時代のような自分でもいいじゃないかと、最近思い始めた。コンタクトレンズを付けていたのはサッカー部に入っていたからコンタクトレンズを付けていたのであって、現在は別にコンタクトレンズを付けている必要性は全く無い。


 経済的にもお金がかかるだけだ。仕事の能率も下がるだろう。頭の回転も下がるだろう。


 でももういいやと思い始めた。どうでもよくなった。ルックスに磨きをかけることに努力を傾けてもいいじゃないかと思い始めた。


 子どもなのかもしれない。結局はキダルトの延長線上の考えなのかもしれない。


 しかし、私は自由になった。それだけは言える。


 見た目を良くする努力。大変なのは分かっている。


 しかし、やってみるのもいいかもしれない。それで尊敬とか、人生において何かが変わるのかもしれないと思えば、その努力も無駄にはならないだろう。

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